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魂に燃料がなくなると part 1

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自分はなんのために生きているのか?

こんなことを考えてしまうことはあるでしょうか?

ふと心に穴が開いたような、なにか満たされない想いに支配されてしまったとき

あなたは自分の生まれてきた意味を知りたいと思います。


自分を必要としている人はどのくらいいるのか?

自分に何が残せるのか?


こういったことを考え、あれこれ問答している自分に気付いたなら
それは、あなたの魂が燃料不足に陥っているからです。


魂がパワーに満ち満ちているときは、人は生きる意味を疑問に感じることはありません。

毎日をひたすらに、ただただ走り抜けます。

生きていることに対し感慨ぶけることもありません。

ただ当たり前のように、日々を加速し続けるのです。


しかし、ふと自分の存在価値や生きる意味を考えはじめたとしたら、それはあなたの魂の燃料メーターが下がってきて警告ランプが点灯したのだと理解してください。

そうなったら魂にあらたに燃料を注ぎ込まないと、過去の惰性で残りの人生を走るだけの詰まらない生き方しかできなくなってしまうでしょう。

そして完全に魂の燃料が尽きると、あたらしいことに挑戦する意欲もなくなり、過去のまぶしい栄光に想いをふけながら、その場しのぎの愉しい妄想に逃げ込むようになっていきます。

そうなると現実の人生は段々と勢いがなくなり、あとは自然に止まるのを待つだけです。


魂が燃料不足に陥ってしまった人が、ふたたび加速感のある人生を得るためには魂に燃料が必要なのです。

ガス欠のクルマにガソリンを入れるように、魂がもう一度雄叫びをあげるようなパワーの注入ができるか否かは、自分自身の気付きと、その後の生き方に掛かっています。


では魂の燃料とは何なのでしょうか?

それは何も、奇をてらった難しいものではありません。


悦びです。


魂が悦ぶことをすることが、これすなわち魂のパワーの源になります。

魂はあなたの思考とは関係なく、常に悦びを求めます。

もともと魂にとっては、生きることもそれ自体が使命であり大いなる悦びなんですが、肉体(脳による思考)はときにそれを拒否するのです。

なにか不満があるとすぐに投げやりになって自分のことを卑下したり、存在を拒否したり、死を考えたりします。
そういった繰り返しが積もると、魂は疲労し、活力を失っていきます。

魂の使命である 真っ直ぐに素直に生きることを拒否する肉体(思考)が、燃料不足につながっているのです。


それではもう一度、人生に加速感を得るにはいったいどうすればいいのか?
魂に悦びを与えるためにすべきこととは?

次回は魂の悦びについて詳しくお伝えしましょう。
今日の講義はここまでです。



バンコクより
白石


※来月は半年に一度のアグン巡礼です。
アグンクリスタルの7月渡し予約分をそろそろ締め切ろうと思いますが、ご希望の方はお早めにお願いします。
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