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魂が健康であれば人生の谷は苦ではない

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11月26日の実験に参加したみなさんはお疲れ様でした。

実は僕は25日~今日まで私用でインドに行っていました。(今回の記事は帰りの飛行機の中で書きました)

インドは今回で2回目なんですが、前回は10数年前だったので経済発展のスピードに驚かされました!
ムンバイにそびえ立つビルの高さや数はもちろんのこと、走っている車や、人々の服装もソフィスティケートされてきていて、今、世界で一番勢いがある国だと実感しましたね。

今回の旅は、大都市ムンバイからとある地方町への2泊4日の弾丸行程だったのですが、26日はとんでもない田舎に滞在していたもので(笑)、そこはネット環境もない上に電波状況も悪く、まったくのお手上げ状態でコメントを書き込むことが出来なかったのですが、メールやコメントを残してくれた方々ありがとうございます。

次回はクリスマス12月25日が最終実験日になります。
クリスマスの夜に無欲になり「皆の幸せを願う」という、1年の終わり方はいいですね。
僕も一参加者として願おうと思います。


さて、このSSSを開設してから3年を過ぎ、いままで魂のことや、生き方のヒント的なことなどをあれこれ書いてきました。

最近は「本当に生き方が楽になった。」「いまが一番笑ってすごせています。」などといったメールをたくさん頂けるようになってきて、「忙しいなかでも何とか続けてきて良かったな。」と本当に思います。

僕のブログは文章が多くて読むのも大変かもしれませんが、それでもしっかりと読んでくれて、自分の中で咀嚼し、普段から実践に移してくれている人は、確実に魂の硬化を遅らせることが出来ていて、本当に健康を取り戻してきているんですよね。

たとえば、湧き上がる怒りを治めるですとか、魂が危険にさらされるような場所に近づかないですとか、ケチな思考に捕らわれないようにするですとか、普段の生活の中で魂のために実践できることは意外に多いものです。

何も気を付けてない人と年単位で比べてみれば、そういった何気ないことの積み重ねが大きな開きとなっていくのです。


人生の道は平坦ではありませんから、誰にでも良いことも悪いことも起こります。

今現在、生きていくことが苦しいと思っている人がいるならば、それは谷間にいるからです。
暗い谷底だからと下を向き、とぼとぼ歩いては立ち止まり、後ろを振り返っては後悔し、またとぼとぼ歩き始める。

だからいつまでも谷を抜けないのです。

魂が健康な人は、谷間を歩いていても下を向きません。
頭を上げてしっかりと先を見ることが出来ます。魂がタフになり簡単にめげなくなっているのです。

そして“生きる”ということを前向きにとらえるようになっています。
最悪の状況であっても自分が進むべき山の頂が見えているので、恐怖もなく、明日に希望があります。

同じ谷間にいるとして、頭を上げるか下げるかの差ですが、この差が実はとても大きいのです。

しかし魂が弱ってくると、こうしたことは頭では分かっていても実践できなくなっていきます。
身体が重く、行動力は薄れ、気持ちばかりが焦ります。
過去の良かったころの自分の記憶と今の自分の差に苦しみ、すべてを投げ出して終わらせたいとさえ思うようになると、それは魂がいっぱいいっぱいの証拠です。

魂が健康であれば、前へ進むために一歩を出すという人生の基本でつまづくことはまずありません。特に意識して考えなくても実践できてしまうのです。

魂の健康の差が、人生において苦しみの量や、笑顔の数を左右してしまうということです。


では現状、魂の健康が保てていて、特に悪いこともなく平穏無事に過ごせている人は何も気を付けることはないのでしょうか?

いえ、暗い谷間を抜けて、明るい山道を歩いているからと言って油断してはいけません。

今が好調な人が足を滑らせてしまうこともあるのです。

その一番の原因、それは“欲”です。


人は暗い谷に下った時には気分がすぐれず、自分ほど不幸な人間はいないとさえ思います。
しかし山の上に出ると、谷での出来事のことなどすぐに忘れて、気分が高揚し、自分はもっと高みに行けるのではないかと思います。

もちろん向上心をもって進んでいくことは悪いことではありません。
ただ、欲を出して無理に高みに登ろうとすると足元がおろそかになり、簡単な窪みで足を取られ谷底に転げ落ちます。
高い山と深い谷はセットですから気をつけねばなりません。

人生において大切なことは、今の1歩を確実に踏みしめることです。
何事にもケチにならずに、今自分に出来ることを疎かにせずにこなすこと。


人生の高みというのは気付いたらいる場所であって、行こうと思っていく場所ではありません。


台湾上空より
白石

smiling again