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魂を科学する part2

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さて皆さん、お待たせいたしました。

量子のスリット実験の話しからの続きになります。
前回のエントリをまだ読んでいない方は先に読んできてください。
魂を科学するpart1

いやしかし量子の性質は本当に面白いですよね。

量子の世界では、紹介した2重スリット実験以外にも、常識の範疇では測れないような実験結果を得ている研究もたくさんあるんです。
たとえば時を戻してしまったりとか(笑)

おそらくこの量子力学の世界に、反重力を活かしたタケコプターですとか、テレポーテーションのどこでもドアですとか、時空を超えるタイムマシーンなど、我々が夢見てきたドラえもんの世界が詰まっているのではないかと思います。
本当に夢があるね。

さてさて、話しを本題に戻していきましょう。
前回のスリット実験の結果についてです。

あの不思議な結果を見て、まだ世界中のどの研究者も「なぜ?あのような現象がおこるのか?」という疑問の解明には至っていないわけですが、

実は、僕はこの実験は魂という存在で証明が出来るのではないかと思っています。

どういうことかと言うと、魂も厳密には量子であるということです。
名付けるなら、魂子(こんし)です。魂は、質量のある物質であるということですね。

研究者が「さあ観測するぞ」という思いを脳内に巡らせるだけで、実は魂子が発射され、電子に影響を与えているのです。
その影響がどのように電子に作用して、波の働きになるのかの科学的な根拠については正直分かりませんが、僕の中ではそういうことだと理解しています。

もっと言えば、我々が発する言葉や思考も量子であり、外の世界に何らかの影響を与えているのです。

ですから、例えば研究者の思考がまったく関与しない状況下において、このスリット実験を行うことが出来たら、もしかしたら観測の有無に係わらず波状の縞模様が出来るのではないかと想像しています。
ぜひ実験をできる立場の方がいらっしゃったら試してほしいです。

僕が、魂が見えない粒状のものだと初めて皆さんに説明したのは、2004年にリリースしたホームページ人生の道に迷ったら読むサイト~smiling again~でした。あれからもう18年も経つんですね・・。

僕にとっては幼いころから見えていた当たり前の世界の話しを書いたつもりだったのですが、結構、衝撃的な内容だったようで、当時は「ふざけたホームページを作るな!」とかお叱りの意見も多くもらいました(笑)
(あのホームページは、内容は変えずにデザインだけ一度リニューアルしたままで今も置いてますので、皆さん、たまには読みに行ってみて下さい。)

このSSSのブログ上でも、再三、魂と肉体の関係性や、魂を飛ばして他の魂とぶつけあうことの危険性、なぜ行動や言動、思考がカルマとなって身に降りかかってくるのか?などを説明してきました。

2014年の300人以上が参加した大実験は、まさに大勢の人が一度に一点に魂を集中させることで変化を見るという内容でしたが、あれは今振り返ってみれば一つの量子力学の実験だったとも言えます。

あの実験後にも言いましたが、もしかしたら繊細な変化を記録できるセンサーや、もっと参加人数が多ければ結果が違っていたかもしれません。(そもそも実験の趣旨が、量子変化を見極めるものではなく、魂の修復などを目的にしていたということもありますが。)

また2020年に開設した白石メソッドも、魂のエクササイズという皆さんに分かりやすいコンセプトで始めましたが、そのメソッドの深い目的は魂の防御力を上げることとともに、魂子を思い通りに動かすことのできる力を身につけることです。

誰でも魂子を飛ばすことは出来ます。
ただその量や力をコントロールできる人は少ないです。

コントロールできるようになるとどうなるのかと言うと、ビックリするくらい危険回避能力が上がるだけでなく、勘力が高まります。
勘についても昔から言及してきましたが、勘の良さは確率ではなく、能力なのです。
勘の良い人は死ぬまで勘が良いのです。反対に悪い人は死ぬまで悪い。

あのメソッドを毎日続けることは困難ですから、1年持つ人が何人いるかと思っていましたが、思っていたよりも意外にいるようでびっくりしています(笑)
コメントしてくれる人はすっかり少なくなりましたが、続けられることが素晴らしいことなのです。
継続できているあなた。あなたは間違っていないです。今後も自分の勘を信じて突き進んで欲しいと思います。


さて、かなりの長さのエントリになってしまいましたが、僕が伝えてきた魂の世界のことを、今こうして量子力学という分野に当てはめてみると、いつか近いうちに究明できてしまう気が強くしています。
岐阜にあるカミオカンデのような大規模な実験施設でようやく観測できるニュートリノのように、生命体に帯びている魂子の存在を人類がつかめる日がきっと来るでしょう。

魂、つまり生命エネルギーと言われるものは、見えないから存在しないわけではなく、まだ人間が見つけることが出来ていない量子の一種であるということ。
いつかその量子を発見する科学者の方が出てきてノーベル賞を取るかもしれませんが、読者の方はこのブログを覚えておいて下さい(笑)

皆さんは、このブログで僕が何度も伝えてきた自分の魂を守ることの大切さや、良いカルマの種を蒔くという意味の大切さを今から考えてみて下さい。

人は人に影響し、影響させる力を誰もが持っているのです。


東京より
白石

魂を科学する part1

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魂の存在もいつか科学で解明・証明される日が来るのではないか

これはこのブログの2015年1月の記事
魂の大実験を解説してみます内での僕のコメントです。

2014年にブログ読者307人の方に参加してもらい開催した、大規模な魂の実験の結果について解説をした中での一言です。
この解説の中では科学的な見地からのアプローチで、魂についての見解を述べました。

多分、実験に参加して下さった古参の読者もほとんどの人はお忘れでしょうし、読んだことのない人もいらっしゃると思うので、ぜひ一度お読みください。

記事では、量子という物質の根源となるものと魂の関係について、世界中の科学者の話などを交えながら解説させてもらいました。


量子というキーワード

今回は、この量子と魂の関係について僕の見解などをつらつらと書いてみようと思います。

科学講義みたいで興味ない人には申し訳ないのですが、どうしても文面で残しておきたかったことなので、ぜひお付き合いください。
とっても興味深い内容になっていると思います。


この量子というもの。

一般的にはあまり使うことのない言葉ですが、実は量子はとても身近な存在です。

「へー、私の周りでは見当たらないけど・・」と思ったあなた。

この量子は、身近などという陳腐な言葉では表しきれません。
実はこの世に存在するすべての物質はほぼすべて量子で出来ているのです。
そう、すべてです。

今、皆さんがSSSを読むのに使用しているパソコンやスマートフォンはもちろん、今みなさんの着ている洋服も、みなさんが毎日食べる食事も飲む水も、今、吸っている空気もです。
それだけではありません。みなさん自身も小さな小さな量子の集合体なのです。

量子は、物体を形つくる分子や原子などのナノサイズの粒子だけでなく、さらに小さな電子や中性子、陽子も量子です。
もっと言えば、目に見える光も光子という量子ですし、宇宙から注がれるニュートリノなども量子です。

つまり目に見えるものも見えないものも、我々の地球上に存在するすべてのものは量子という物質で出来ているのです。そう地球自身も含めてです。

今、世界中の巨大IT企業や研究機関では量子コンピューターという、優れた計算能力を発揮する新たなテクノロジーを用いたコンピューターの開発に対して莫大な資金を投資して実用化を競い合っています。

最近、ニュースなどでよく耳にする機会も増えてきたのではないかと思います。

この量子コンピューターは、従来の0と1で計算する2進法のビット式のコンピーュターに比べて、天と地ほどの違いのある計算能力を秘めています。

どのくらい違うのかというと、今、世界各国で順位を競い合っているスーパーコンピューターと言われるものがあります。
(ちなみに2022年現在で、もっとも優れた計算能力を持っているのは富岳という日本開発のコンピューターです。)

「スーパーコンピューターで1万年かかる計算を、わずか3分で計算してしまった」と発表したのは2019年のGoogle社です。
この発表は世界中の研究者に大きなインパクトを残しました。
しかしまだまだ計算エラーも多く、本当の意味での実用化までには数年は掛かると思いますが、いずれにせよ桁違いのとんでもない能力を秘めているのが量子コンピューターと呼ばれるものです。


この量子の特徴として面白いのは、人間が定義している常識というものが量子にはまるで通用しないことです。

たとえば量子は地球を貫通してしまったり、ペアの量子を2つに分けて、それぞれを地球の裏側などの遠い場所に離しても情報を同時に共有したり出来ます。
理論上は例えば何光年離れていても同時に情報を共有できるそうで、そのスピードは光のスピードも超えてしまうので、光より速いものは存在しないとしたアインシュタインの相対性理論も通用しません。

こういった不思議な量子の働きを研究する量子力学は、人類を大きく進化させる可能性を持った最先端の学問ですね。


その量子力学の中でも本当に面白いと思った研究は、2重スリットの実験です。
この実験は、今世紀最も美しく難解といわれる実験で、とても有名なものですからご存じの方も多いことでしょう。

一応、ご存じない方のために図解付きで簡単に説明してみます。


小さい砂の粒が発射される噴射器があります。
それを2つのスリットが開いた壁に向かって噴射したとします。そして、このスリットの先には接着剤がついたスクリーンがあります。

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すると、スリットの壁の先にあるスクリーンには、スリットをすり抜けた砂粒が付着するわけですが、どのような模様になると思いますか?
こんな模様になるのではないかと想像できますよね。

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実際その通りです。砂粒はまっすぐ飛んでいくわけですから、スリットを抜けた砂はそのまま2本の線となって現れます。

それでは次に、砂粒噴射器の代わりに電球を置いて明かりを照らしたら、スリットの先のスクリーンにはどんな模様が出ると思いますか?

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するとこんな模様が壁に映し出されます。

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このような縞模様になる理由は、光の場合は砂粒のように真っすぐ進むわけではなくて波の性質があるからです。
スリットを抜けた光の波の山と谷が打ち消しあいながら干渉しあって、濃淡のある縞模様になるわけです。

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ここまでで分かることは、粒のような個体はまっすぐ進む性質があって、光には波打ちながら進むという性質があることです。
その上で、今度は砂粒の代わりに量子のひとつである電子を一発づつ電子銃で打ち込んでいきます。
そうするとどんな模様がスクリーンに残ると思いますか?

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すると、このように何本もの縞模様が浮かび上がるんです!
電子は一発ずつ打っている粒なので、波のように干渉しないはずなのに、なぜか砂粒の時のように2本線ではないんですね。
この模様を見て、研究者は電子は波の動きをするということなのか?と考えました。

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そこで研究者は、電子銃から発射された電子が、2本あるスリットのどちらを通過してスクリーンに跡を残しているのかを確認しようと思いました。
電子銃とスリット壁の間にセンサーを設置して同じ実験を行ったのです。

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そして浮かび上がった模様がこれです。

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???????

人間の想像をこえた驚愕の実験結果ですよね。
さっきまで現れていた縦の縞模様が、2本線になってしまうのです。

つまり、波のような挙動だった電子が、人間が観測すると粒のように真っすぐ進む性質に変化してしまうのです。

不思議すぎますよね。
電子はヒトの眼を察知すると、なぜか挙動を変えてしまうのです。

このあまりにも有名な2重スリット実験は1961年にはじめてドイツの大学で行われました。
しかし60年以上経った今だに、なぜこのような現象が起こるのかを証明している研究結果は出ていません。
これを解明したらノーベル物理学賞は間違いないでしょう。

どうですか?面白いでしょう。
本当に不思議なふしぎな量子の世界ですが、、、、

さて、ここまでは長い前振りです(笑)
いよいよ本題ですが、、、、

ちょっと長くなってしまったので、もったいぶって一回区切りましょうかね。

お楽しみはまた次回 Pert2ということで。


東京より
白石

魂の劣化を見逃さないために

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最近、妙に怒りっぽくなった。
気が付くとイラッとしている。
なにかと理屈ぽくなった。

このような変化に気付くことはあるでしょうか?

30代、40代、50代、歳を重ねるにつけ性格が怒りっぽく、どんどん攻撃的になっていく人がいます。
我に返ると、本当にささいなことで腹を立てている自分に気付くのです。

昔の自分はもっとやさしかったと思う。

こう過去を振り返って、冷静に自己診断できる自分もいます。
しかし、自分の感情をコントロールする能力が落ちている自分にも気付いているのです。


目の前で赤信号につかまった。

エレベーターの扉を閉めたら、閉まる寸前に他人が乗り込んできた。

降りない階のボタンを間違いで押された。

買おうとしていたものが目の前で売り切れた。

レジに並んだら、前の客の支払いが遅い。

こういう小さなアンラッキーってよくあるシチュエーションですね。
こうした日常によくある偶発的な小さな不運に見舞われた時に、舌打ちしちてしまったり、イライラッと来てしまうことが増えている自分に気付いたのなら、それは魂の黄色信号なのです。

どんどん悪化してくると、お年寄りや子供の行動に対しても寛容になれなくなってしまいます。

とにかくイライラしっぱなしで、気に入らないことには声を出して文句が言いたくなる、もしくは実際に言ってしまう。
冷静になればどうってことないような小さなことにも、異常に執念を見せてしまうのです。

また、怒りの元となるものは
過剰なまでの“正義心”が原因となることもあります。

「それは間違っている!」

一度こう思うと黙っていられないのです。
それが赤の他人であっても、正義は自分に有ると信じているので、とにかく相手を正したい一心でひとこと言いたくなってしまう。
実際に口にするのはためらったとしても、インターネットやSNSの世界ではかなり攻撃的な言葉を発する人も多いのです。

自分を基準として物事を測りだし、自分にとっての正義を押し売りしたくなってくる。自分が正しいことを他人に分からせてやりたくなる。

それは一歩間違うとクレーマー化したり、身近にいる人に、そのイライラをぶつけてしまい、大切な人間関係を破壊してしまったりといった惨事にも繋がります。

小さなことを、客観的に小さいことと認識できなくると、それは赤信号です。 
小さな火種を見つけると、自分からどんどん煽り、火が大きく燃え広がっていくのです。
結果として日常的に火事が増えていきます。

若いときはそんなに怒りに振り回されることがなかったはずなのに、なぜ年齢を重ねると怒りぽっくなってしまう人がいるのでしょうか?

その一番大きな理由は、魂の劣化です。

魂が萎縮し、硬くなってくると段々と魂のパフォーマンスが落ちてきます。

具体的には、他人の魂との距離感がつかめなくなってくる。相手の魂の波動を感じ取れなくなってくるのです。
肉体に例えるなら、目が見えなくなってくる。耳が聞こえなくなってくる状態です。

もし自分の目が見えなくなってきて、音が聞き取れなくなってきたら、どういう行動をとるでしょうか?
真っ暗闇の中では、スタスタと歩くことは出来なくなります。声を掛けられても誰だか認識できなくなります。
常に及び腰になり、自分に触れるものに対して100%の信用など出来なくなるでしょう。

つまり魂が守りに入るのです。
傷付けられることを恐れるがあまり、逆に攻撃的になってしまう。
自己防衛本能が高まり、撃たれる前に撃ってしまえ!という暴走状態になってしまうのです。

こうなると人間関係が崩れていくのはあっという間です。

本当は受け入れなくてはならないのに、攻撃こそが最大の防御とばかりに人を傷付けてしまう。
どんどん黒カルマがたまっていきます。
自分を守ろうとするがゆえに、さらに攻撃的になっていく負のスパイラルです。

魂の破滅、精神の崩壊、最悪は犯罪行為へとエスカレートすることもあります。

そうなる前にどこかで気付き、どこかで改善が必要なのです。
意識的に争いを避ける、衝突を回避する、魂をやわらかく保つ努力。

肉体は年を取るが、魂は年を取りません。魂は永遠のものだからです。
しかし、肉体からの間違った取り扱いで魂はいとも簡単に劣化してしまいます。

まずは何よりも魂を劣化させない生き方が大切なのです。
魂を痩せさせない、黒カルマを増やさない生き方は、今日からでも出来ます。

乾いてボロボロになったゴムのように、劣化させてからでは遅いのです。
黄色信号が灯っていると自分で判断できるのなら、まだ十分に修正できます。

イラッとしたときに、そのイラを冷静に分析できるでしょうか?
なぜ自分はイラついたのか?を冷静に振り返ることが大切です。
釣られた魚のように、飲み込んでしまった針をもがきながら外そうとするのではなく、なぜ飲み込んでしまったのかを時間をさかのぼって考えてみる少しの余裕。その余裕が張りつめた糸のテンションを緩め、針を外すことが出来るのです。

いつでも自分が正しい、自分のタイミングが中心、他人の間違いや失敗を許せない。
こういった思い上がりが、他人を傷つけ、そして自分をも傷つけます。
自分が知らないところで、他人をイラつかせ、傷付け、火種を起こしているかもしれません。

自分は常に間違っている、自分は何も知らない、自分は偉くない。
一歩引いた謙虚な思いが、余裕となり、他人との衝突を回避していく。
弱い犬ほどよく吠えるとは良く言ったもので、結局、怒りとは、自分の弱さの現れなのです。


宇都宮より
白石


追伸:ニュースでご存知の方もいるかもしれませんが、バリのアグン山がいよいよ危険な状況になってきたようです。
ここのところ山頂付近での火山性地震が増加したようで、インドネシア火山地質災害対策局(PVMBBG) が警戒レベルを最高レベルの4へ引き上げました。
また、地域住民の自主退避も始まっているようです。
現在は噴煙が上がっていて、当然、山頂付近への立ち入りは禁止されていますから、もしかしたら近々50数年ぶりの噴火があるかもしれません。
インドネシアは多くの島が連なって出来ている国ですが、これらの島はバリ島を含めて環太平洋火山帯の島です。
このブログでもたびたび取り上げていますが、ここ最近もシナブン山、ガマラマ山、リンジャニ山と立て続けに噴火しました。リンジャニはバリの隣のロンボク島にある火山です。
これらは地下でつながっているでしょうし、同じプレートの上にありますから、まあアグンを含め、インドネシアの数ある活火山はどれがいつ噴火してもおかしくはありません。
仮にアグンが噴火した場合はしばらくは山頂への登山は出来ないでしょうし、多分7月に埋めてきた水晶も回収は不能になるでしょう。
おそらく来年1月の登山は中止となりそうですから、そういう意味でいうと7月の水晶は、もしかしたら最後のアグンクリスタルだったのかもしれません。
しばらくは注視していきたいと思います。

死 ~魂の行方~ Part3

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また例のごとく間が空いてしまいました・・・。
しかも今回は長かったね。続きを待っていた方ごめんなさい。

今はとある研究に力を割いていて、寝ても覚めてもという感じで没頭しています。
一旦集中すると時間の経過も忘れてしまうたちなもので、仕事の合間に研究というよりは、研究の合間に仕事をしている毎日です。

そういうわけでSSSの更新もすっかりペースダウンしていますが、
とは言っても書きだしたら一気に書くタイプなので、ある日突然、連発投稿することもあるかもしれませんから、まあ定期的に目を通すようにしておいてください(笑)


さて『魂の智見』の新テーマ“死 ~魂の行方~ Part3”です。

前回Part2の最後にすこしショッキングなことを書きました。
忘れた方はちょっと戻って読んで来てください。

死 ~魂の行方~ Part2


あなたの死後、転生先の宿となる肉体は人間以外になるかもしれません。

Part2では最後の一文に、こんな一言を投げかけていたのですが、
死んだ後の話しとはいえ、これって結構地味にショックを受ける人も多いのではないかと思います。

「私は死んだら、カタツムリに生まれ変わるの?」

こんな疑問と不安に駆られながらもやもやと過ごしてきた人もいることでしょう。
でもこれは、ほぼ本当の話しです。

“ほぼ”としたのは、たとえば人間が次世代でいきなりカタツムリに転生することはありません。
それは魂のレベルが人間とカタツムリとでは違いすぎるからです。

地球上で最高の肉体は我々人間ですが、この人間をあやつる魂のレベルと、カタツムリの魂のレベルはイコールではないということ。
しかしサルや犬などの、比較的脳が発達した動物に生まれ変わる可能性はあります。

現世で魂というエネルギー体を痩せさせ、パワーを落としてしまえば、それに見合った低レベルな生命体が新たな宿となるのです。
逆に、魂をストレスフリーで活発化させ、パワーを溜め込んだ活力あふれる魂へと育て上げた場合は、それに見合った高度な肉体の宿へ引き込まれていきます。

魂のパワーサイズと、宿となる肉体の器の大きさが、ペアリングとして適合するか否かということです。
ヤドカリと貝殻の関係ですね。

ほとんどの場合、人間は人間に転生することになるでしょう。なぜなら人間の魂は他生物の魂に対して、とても大きなものだからです。しかし魂を痩せさせれば、必ずしも人間に生まれ変わるとは限らなくなります。
実際、猿類の魂の大きさは人間とそう大差ありませんし、群れのリーダーともなると非常に活発で力強い魂を持っています。おそらく猿から人間へ転生する魂も多いと思われます。


しかし、この生まれ変わりの話しも、
「自分が死んだ後の話しなどどうでもいい」「興味ない」
と心から割り切ってしまえれば、どうってことのない話かもしれません。

なぜなら、現世の記憶はあくまで現世の肉体(脳)のなかにインプットされているもので、次世の新たな肉体へは移行できません。
つまり自分の前世が人間であった、猿であった、カタツムリであったという記憶は引き継がれないわけですから、仮に人間から猿に生まれ変わったとしても、それはそれで苦ではないからです。

「早く人間に生まれ変わりたい」と願いながら、生きている猿はいないでしょう。(おそらくですが・・笑)

前世の記憶を引き継がないならば、ドライな考え方を持って、今を思い通りに生きるという選択ももちろんありだと思います。
しかし多くの人は、なかなかこういったドライな割り切りができないはずです。


魂に刷り込まれた本能とは

「自分が死んだ後も人間として生まれ変わりたい」「しあわせな人生を歩む人になりたい」
こう願っている人が多いことでしょう。

また不幸にも身近な人を亡くしてしまった人も、「生まれ変わったら幸せな人生を歩んでほしい」と願っている人がきっと多いはずです。

なぜ人は死後のことまでも心配するのでしょうか?
死後のことまで考えて生きている生物は、おそらく人間だけだと思います。

例えばエジプトのピラミッドは、何のために作られたのか?
諸説ありますが、王が死後も輝かしい栄光を発揮することができるように造られた建造物だとう説があります。
王は立派なお墓の中で、たくさんの財宝に囲まれて眠れば死後も強い影響力を保てると信じていたのかもしれません。

そもそも“お墓”という概念は人間しか持っていません。
死後の家も用意するという行為は、よくよく考えてみればとても不思議な行為ではありますが、これこそがまさに魂の本能であると言えます。

魂が本能的に求める“永遠なる繁栄”という欲求。

そこには魂の厳しい生存システムがあるのです。

どういうことか?
実は魂にとってレベルアップ・現状維持することはとても難しいことですが、レベルダウンは比較的簡単なのです。


先ほど、魂にとって人間は最高の転生だとお伝えしましたが、では猿が人間にレベルを上げる転生を果たすには、どのような人生(猿生?)を過ごせばいいのでしょうか?

猿という肉体に宿っている魂が、死後、人間に転生するためには、生まれた時よりも魂の活力を上げる必要があります。
小さな子ザルが、年老いた老ザルになる2~30年の間に、どのような行為をするかで魂のレベルは変化するのです。
これは猿も人間も、またその他の生物も同じなのです。

人間社会では国や地域という枠の中で、法やモラルというルールに則って生きなければなりませんが、猿社会はどうでしょうか?
猿は群れになって行動する種が多いと思いますが、その猿社会のなかで魂のパワーレベルを上げる行為を考えてみたいと思います。

ただ残念ながら僕は猿語が話せませんし、彼らの特性を理解できている専門家でもないので、あくまで憶測の域は越えませんが、(いやもしかしたら前世は猿だったのかもしれませんが(笑))

例えばリーダーとなってその猿社会を統率する行為、群れの為にエサを確保する行為、子を産み生命を育む行為。
またもしかしたら人間が理解していないだけで、彼らには彼らなりの猿社会特有のルールやモラルが存在し、魂を活性化させる“善い”とされる行為などがあるのかもしれません。
※これは人間の経験や知識や常識、モラルやルール解釈では測れないことです。モノサシが違うのです。

人間には人間の、猿には猿の、カタツムリにはカタツムリの、その生命体の枠のなかに存在する魂の悦ぶ行為。
そういった行為を生前に多く成し遂げた魂は、パワーが上がり、活性化していくことになります。
そして、それは転生時により器の大きな種への昇華へとつながっていくのです。

魂には本能的にレベルアップしたい、安定したいという欲求が組み込まれています。

自分は死んだら犬になりたいとか、鳥になって大空を羽ばたきたいとか、もう生きていくのは疲れたから無になりたい、などと考えることはあるかもしれませんが、それは多くの場合が、一時の人生経験からの脳内判断の迷いであって、魂の本能判断ではありません。
生命感にあふれている幼少期の姿というものが、魂の本来の姿であるのです。

しかし社会で生きていくと、様々なことが起こります。
良いことだけではなく、悪いことも起こるでしょう。
それは人間社会だけではなく、猿もそうですし、カタツムリの社会でもそうです。

そうした事象に対し、どう乗り切るのか?あるいは乗り切れないのか?
こうした事象に対しての一つ一つの対応が少しづつ魂のその後の方向性を決めていきます。

人間にとって、魂の本能に背くように生きてしまう原因のひとつは、挫折感や劣等感などの肥大化ですが、マイナス感情の増大はやがて魂の自傷につながり、それは魂自体のレベルダウンへとつながっていきます。
硬化した魂は活力がなくなっていき、その状態のまま転生することになると、人間の器に当てはまらなくなる可能性が出てくるのです。

魂をレベルアップあるいは維持することは難しいが、レベルダウンさせることは簡単。

魂の進むべき、指し示した方向は決まっています。その方向に素直にしたがう生き方ができるかどうか?
SSSの読者の皆さんは、どんな状況でも魂の声を聞き取れる人生を選んでくださいね。


さあ、ここで皆さんに宿題でも出しておきましょうか(笑)

(問題)
すべての生命体に共通する、確実に魂の活性化を上げるであろう行為があります。
その行為は、魂にとって最高のミッションです。
それはなんだか分かりますか?


ゆっくりお考えください。時間はたっぷりありますからね。
※次回の更新が遅くなる言いわけではありません(笑)


東京より
白石

死 ~魂の行方~ part2

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先月はバリ島のアグン巡礼登山の月でした。
もうアグンにはかれこれ二十回くらい登りましたが、僕も年なのかだんだんとキツさを感じるようになってきましたね。
とくに樹海が雨でぬかるんでいたりすると本当にキツイ!
以前はきつい中でもまだ余裕があったのですが、最近はほんとに余裕がないです(笑)
毎回、下山しながら「もう今回で最後にしよう」と思うのですが、、、でも1カ月もするとまた導かれるように登りたくなる。
まったくとんでもない山に魅せられてしまったものです・・・。


さてさて今回は『魂の智見』の新テーマ“死 ~魂の行方~ part2”です。

忘れた方はこちらから
死 ~魂の行方~ part1

“死”というとても重いテーマを取り上げているので、なかには敬遠したいと考える人もいるかもしれません。
そう感じた方はもちろんパスしていただいても結構ですが、前回もすこしお話ししたように“死”は“生”と表裏一体であるというのが僕の見解です。
生きることと死ぬことは永遠のループであり、死ぬことも生まれることも、そのループの中の一瞬の継ぎ目でしかないのです。

1年の終わりの日、“大晦日”と新しい年の初日である“元旦”が1秒の継ぎ目で繋がっているように、魂もまた生と死を1秒で繋ぎながら輪を廻しているというわけですね。

そう考えると、“死”を考えるということは、それは同時に“生”を考えるということでもあるのです。
そしてそれは今を生きる私たちの“生きざま”というところにも繋がっていきます。

私たちはいかように生きて、いかように死を迎えるべきなのか?
転生をスムースに行うために必要な生き方を知っておくことは、実は人間にとっては最も必要とされる究極の智恵といえるかもしれません。

人は誰もが死んだ後は、天国へ行きたいと願っているでしょう。
しかし魂が肉体から離脱したあとに、天国という特定の場所に住み着くということはありませんし、同じように地獄という場所に閉じこめられることもないのです。

魂にとって天国とは、すみやかに新たな肉体を宿とした転生を完了させ、新生命体として現世を生きること。
つまり生まれ変わることです。

反対に地獄とは、転生をなかなか行えずにぐずぐずと滞ってしまう状態。
生まれ変わることが出来ないで、現世を漂い続けてしまう、いわゆる浮遊霊の状態です。

この“転生”こそが、魂の天国と地獄をわける現象なのです。


ではこの“転生”ですが、なぜ転生成功と失敗に分かれてしまうのでしょうか?
肉体が朽ちたあと、すんなりと新たな肉体へとおさまることが出来る魂と、出来ない魂の違いとは何なのでしょう?

実はこの違いこそが、今を生きる我々の“生きざま”に繋がってくるのです。
僕が今までも何度も魂について解説してきたことです。

魂の仕事を妨げないようにしよう、魂の悦ぶことをしよう、ということ。


自己満足や、うぬぼれや、偽善ではなく、魂の要求に素直に反応してあげる行為。
“魂の仕事”を単純にまっとうさせてあげること。

こういった魂に負担をかけない生きかたが、どの程度のレベルで維持できているのか?
ここに転生の成功と失敗の分かれ道があるのです。

『自分が死んだ後のことなんてどうだっていいよ。』

こう考える人もいるかもしれません。
たしかに今ある記憶は一過性のもので、自分の死後、あらたな肉体には引き継がれません。
死んだ後で魂が苦しもうが何しようが、自分には関係ないと割り切ってしまうことも出来るでしょう。

しかし、もし前世の魂の宿主の間違った生き方によって、今を生きる自分になんらかの負担が掛かっていたとしたら・・・あなたは納得できるでしょうか?

『ちょっと前世の人たのむよー』

などと文句のひとつも言いたくなるかもしれませんね(笑)

しかしあなたがどう思おうと、どんな生き方をしようと、魂のレベルは次世に確実に受け継がれていきます。


“魂のレベル”


これこそが転生を成功へ、あるいは失敗へと導くキーワードです。

魂を高レベルで維持することは、確実に転生を成功させることに繋がります。

しかし、もしあなたが今の現世で魂のレベルを落としてしまったとします。
そのとき、あなたの死後、魂はどうなるのでしょうか?

転生がうまくいかずに失速し、魂が現世を漂ってしまう状態に陥ってしまう。
魂が浮遊状態になるかもしれません。

これはまさに転生失敗です。
いわゆる地縛霊や浮遊霊といわれる状態になり、目的を見失ったエネルギー体だけが現世に取り残されてしまいます。

この状態の魂は、皆さんが考えている以上にとても多いんです。
それこそ、そこら中にいます。

ただ浮遊状態になっているからといって、永遠に漂い続けるのかというとそんなこともありません。
何かの霊的なエネルギーの流れや、突発的な出来事によって、ふいに転生を再開することもあるので、その場合は一概に転生失敗とは言えませんが、転生再開に数百年もかかるということも普通にあるので、やはり確実に転生ができたほうが魂にとっては幸せなことだと思います。

そしてもう一つ、転生には失敗といえる結果があります。
これは聞くと皆さんドキッとするかもしれません。

みなさん、こう信じていませんか?

『来世はもっとお金持ちで幸せな人生を歩める人に生まれ変わろう。』

あるいは、こんなことを考えたことはありませんか?

『私の前世はいつの時代、どこに生きていた人だったのかな?』


どうでしょうか?
スピリチュアルに興味がある方だったら、一度は考えたことがあるでしょう。

しかし皆さん、それって前世も来世も、自分は人間であることが前提となってはいないでしょうか?
もしそうだとするならば、魂の現実の前に、それは大きく裏切られるかもしれません。


地球上には人間以外にも様々な生命体が存在しています。
われわれ人間を含む哺乳類だけでなく、爬虫類、両生類、昆虫、鳥類、魚類、植物など、何億種という生命体が生きているのです。
『一寸の虫にも五分の魂』という言葉があるように、生きているものにはすべて魂が宿っています。
そして“生きる”という仕事を全うしています。

カタツムリの魂は、生まれ変わってもカタツムリとしてノロノロ進む?
ワカメの魂は、生まれ変わってもワカメとして海をゆらゆら漂い続ける?

いえ魂は現世の仕事の質により、転生後は見合った器の宿へ納まっていきます。

インパクトのある一言をお伝えします。

あなたの死後、転生先の宿となる肉体は人間以外になるかもしれません。



続きはまた次回です。




東京より
白石

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