記事一覧

運の良し悪しを決めているのは part4

ファイル 60-1.jpg

運の良い人と悪い人、なぜ運気は人によって差が出るのでしょうか?
運が悪い人は一生運の悪いままなのでしょうか?

今回の魂の智見は、運気について真実の知識を伝えるシリーズ『運の良し悪しを決めているのは part4』です。
このシリーズのファイナルとなります。
今日始めてこのエントリを読む人はまずpart1~3を先に読んで下さい。


運の良し悪しを決めているのは
運の良し悪しを決めているのは part2
運の良し悪しを決めているのは part3


さて前回のハイライトです。


~~~~~前回のハイライト~~~~~

運気を上げる為の種を撒くのは意外に大変なことである

運気の良い人も、実は特別多くの良い種を撒いているわけではない

運の良い人と悪い人の差は“ケチ”であるかどうか

“ケチ”には様々な種類があり、実は“ケチ”こそが不幸を呼び込む根源になっている

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前回はこういったところで講義は終了していました。
今回の講義は“ケチ”についての考察です。

なぜケチであることが、運気を下げてしまうことに繋がるのでしょうか?
例えばお金にケチな人の行動といえば、貯金をする、常に節約に努め、お金を遣わない。
一般的にこういう人のことをケチと言います。

たしかに無駄をなくし節約に努めることはいいことです。無駄に浪費することが良いことであるはずがありません。
では何をもってケチというのでしょうか?いったい節約とケチにはどんな差があるというのでしょう?


まず“ケチ”という言葉の語源ですが、これは平安言葉の『怪事(けじ)』から来ています。

怪事とは不吉ごとを指す言葉で、今でも使われる「ケチがつく」という言葉も元は「怪事がつく」から来ていて、縁起の悪いものが身に付いてしまった様子を指したネガティブな言葉です。
その後、江戸時代あたりから現代の意味になっていったようですが、古来からケチという言葉が持つ意味合いは決して良いものではなかったわけです。

これを踏まえてケチには定義があるのです。


以下の文を読んでパッと思いついたことで、あなたの精神的なケチ度を見てみましょう。

  • -----------------------------------------------

Aさんは買い物をしていると人だかりを見つけました。
見ると無料でサンプル品を配っているようです。それを手に入れようと人が殺到しています。
そのサンプル品はAさんにとってとても魅力的な物です。
Aさんは他人を掻き分け、やっと伸ばした手に商品をゲットしました。
しかし次の瞬間、なんと横にいたおばちゃんにその商品をパッと横取りされてしまったのです。
その瞬間に配布が終了。

さて、この文章を読んでお答え下さい。
Aさんの思考・行動で当てはまるものは何番でしょう。複数でも構いません。

①おばちゃんに対し殺意をおぼえる
②おばちゃんに対し抗議し商品を取り返す
③おばちゃんに対し文句を言う
④おばちゃんに対し怒りをおぼえるが、何も言えない
⑤おばちゃんの行動に対し笑ってしまう
⑥おばちゃんの行動に対し感心する
⑦特に何も思わない
⑧その他の行動および感情

  • -----------------------------------------------

さてどうでしょうか?
特に勘ぐらないで、パッと素直に思ったことです。
さあ何番でしょうか?決めましたか?

まず①~④ですが、精神的なケチ度は④→①の順で高くなっていきます。
例えば、おばちゃんに殺意も覚え、且つ抗議し商品を取り返そうとしたとするならば、それは危険レベルのケチ度といえます。

しかし①~④を選んでしまった人にしてみれば、取られたものを取りもどすのは当然のことで、それは正義であり当然の権利であるという意識が働きます。
確かに一般論としてみれば、その商品を取りもどすために抗議する行為は不自然なものではありません。
ただその行為をカルマの視点から見ると、マイナス的な種を撒いているという状態に当てはまってしまうのです。

では⑤~⑥を選んだ人はどうでしょうか?

商品を取られてしまったことに対して
「ああ取られてしまった(笑)」 「おばちゃん逞しすぎる(笑)」
思わず笑ってしまったり、逆に感心してしまう人もいることでしょう。

この⑤~⑥を選んだ人というのはカルマ的に見ると、大きなマイナスポイントを生み出すことはありません。
ただ、笑ってしまったり、感心してしまうという感情も、実は呆れてしまったという怒りの感情の派生的な感情に過ぎません。
精神的なケチ度はそんなに高くありませんから、人生においても大きな運気の低下に陥ることはありませんが、決してマイナスポイントが無いわけではありません。
ゆるやかなマイナスといったところでしょうか。

次に⑦ですが、特になにも感じないを選んだ人もいるでしょうか?
「まあ仕方ない」と納得できてしまう人です。

偽りのない素直な気持ちでこの⑦を選んだ人というのは、⑤~⑥を選んだ人以上に精神的なケチ度は低くなります。
今回の質問のようなことが実際に実社会で起こったとしても、⑦の精神でいられる人はとても少ないのが現状ですが、こういう精神状態を保てる人というのはマイナスの種を撒く機会が極端に少ないので敵も作りませんし、運気を失わずに生きることができる人です。

では⑧のその他の行動および感情、これを選んだ人はどのくらいいるでしょうか?
おそらく⑧を選んだ人は数パーセントと少ないはずです。また理由が2つに分かれると思います。

ひとつはおばちゃんに対して抱いた感情や行動が①~⑦になかった人です。
ただその場合は表現の違いだけで、基本おばちゃんに対して怒りの気持ちを持ったものであるならば、それはやはり①~⑥の中に当てはまってくるでしょう。マイナスです。


もうひとつの理由として⑧を選んだ人はいるでしょうか?
それは、そもそも無料のサンプル品の人だかりに入ろうとは思わないという人です。

もしあなたがそういった理由で⑧を選んだ場合は、精神的なケチ度が著しく低く、運の良い人生を送れる、もしくはすでに送っている可能性の最も高い人と言えます。


実はこの質問をすると9割以上の人が①~⑥までに収まります。
ほとんどの場合、横取りされたことに対してムッとしてしまう怒りの感情が湧いてしまうのです。
⑦および⑧の後者に当てはまるのは数パーセントに過ぎません。
特に⑧の後者「そもそも無料サンプルを取り合うような人だかりに入りたくない」とまず考えた人は少ないことでしょう。
この感情は精神的なケチ度の高い人にとってはなかなか理解できないところでもありますが、世の中には確実に一定数います。

無料サンプル品を争ってでももらうことを“得”と考えてしまうのは、運気の悪い人の思考です。
でも運気の良い人の思考は違うのです。
仮にそのサンプル品が自分の興味あるものであっても、無料だからという理由でその輪に入って手を伸ばす自分の姿が嫌だと思ってしまいます。
当然、輪に加わりませんから、そもそも争いごとも起こることはありません。

今回のサンプル品の話しはほんの一例に過ぎません。
自分がケチであるかどうかを指し計るような機会は、生活上の様々なときに訪れます。


ケチであるかどうかのボーダーラインを知っておいてください。

それは、その行動や発言や思考が『粗末でいやしい』に当てはまるかどうかです。

無駄をなくし、シンプルに生きることは美しいことです。
しかしそれが度を越えてしまうと、途端に粗末でいやしくなってしまいます。

いやしさが表に出てしまった人ほど、見ていて醜いものはないでしょう。

でも多くの人は“損得”が絡んでくると感情が剥き出しになってしまうのです。必死になってしまう。
自分から得を奪う人を許せない気持ちになりますし、他人の得を妬んでしまいます。

⑧を選ぶ人に対し「気取っている」とか「お高くとまっている」とか「それはお金持ちだからでしょう」などと考えてしまうとしたら、それはまさに粗末でいやしい考え、ケチな人の思考です。

そういう思考のままだと、事あるごとにマイナスの種を撒き続けることになり、たまに気まぐれ的にプラスの種を撒いたとしても全体で言えば大きなマイナスカルマを背負っていますから、運気が上がるわけがないのです。

つまり運の良い人と悪い人の決定的な差というものは、プラスの種蒔きよりも、むしろマイナスの種蒔きの差が顕著に現れているということです。
山を登るのではなく、下る一方では景色が良くなる事はないのです。

運の良い人はカルマ的にマイナスの種を撒かないで済む人生を選んで過ごし、たまに訪れるプラスの種蒔きの機会を得ながら、徐々に運気を上げていきます。


以前、このブログはランキングに参加するための説明記事を載せました。

ブログランキングの参加について

この中で『シェアする気持ちを持って欲しい』という部分があります。

SSSを誰かに伝えることで、人生を生きるヒントを得られる人がいるかもしれない。
その人のために自分で出来る行動をなにか起こすことは、目に見える見返りはないかもしれないけれど、あなたにとっては無駄なことではありません。

こんな記述をしました。

あのエントリから2ヶ月経っても毎日欠かさずクリックしている読者の方がいます。
持続できているのはほんの数人ですが、確実にいます。

最初の頃こそ、いずれ自分に良い形で返ってくるという期待の気持ちも入り混じりながらクリックしていた人も多かったでしょう。
でも今でも持続できている人は、本当に誰かのためにという純粋な気持ちでクリックできていると思います。

なぜならクリックするというのは簡単な作業ですが、簡単だからこそ持続は難しいのです。
クリックすることのモチベーションが自分の損得だけ考えてしまった人は続きません。“得”と“苦”を秤にかけてしまい、すぐにケチな思考に打ち負けます。

僧侶が修行を積むのは煩悩を断ち切るためです。
偉いお坊さんになろうと我慢して修行しているうちは修行は苦でしかありませんが、世のためになれる自分になろうと思えたとき、辛い行も苦でなくなるそうです。

僕が、記事中で「無駄ではないという事がすぐに解る」と書いたのは、まさにここです。
2ヶ月間毎日ブログを開き、クリックしているあなたのその気持ちにケチな考えはありません。
その気持ちの持続こそが運気の山を昇ることができるほんの数パーセントの人の思考なのです。
あなたが得ているその思考は、到達している人にしか解らない思考、やったつもりの創造では補えない思考なのです。

その思考をどうぞこれからも持続して下さい。
1年も続ければ運気が大きく上昇カーブを描き、人生が大きく変わっていくはずです。


では今回の質問で①~⑥に当てはまってしまった人は、今後どういう生き方を心がければいいのでしょうか?

それは自分がケチな思考の持ち主である事をまずは認めましょう。
そしてそのことを正当化してはいけません。ケチから抜け出そうと強く思ってください。

ケチな思考に支配されている時というのは、自分ではなかなか気付きませんから、まずは

「今、私ケチってるな」

こう気付ける自分になることをまずは目指して見ましょう。

ケチは怪事である。
自分の人生がけち臭いものにならないようにするには、自分で自分の臭いに気付ける鼻を持つことなのです。

そして昔ながらのことわざの生き方の実践です。

損して得とれ
急がば回れ
負けるが勝ち

この生き方には、言葉以上にカルマの理論が詰まっているのです。


さて、パート4まで続いた『運の良し悪しを決めているのは』も今回でラストです。
黒カルマや魂などのように目に見えないものではなく、自分の思考や行動で人生をコントロールできる方法としての知識です。
実践するもしないも自分で決めることが出来ます。

見渡してみれば解るように、運の良い人は、悪い人に比べると圧倒的に人数が少ないでしょう。
でもそれは仕方ありません。どんな山も山頂は狭いものです。

山を昇るには、休んでもいいですが途中で下らないことが重要だということ。
山を下らない為の目安となる生き方こそが、ケチにならない生き方なのです。


さあ本日の講義は終了!
長文疲れました。お茶沸かして飲みます(笑)



バンコクより
白石

コメント一覧

スカイ 2013年05月24日(金)12時22分 編集・削除

運のよい人を羨むばかりで何もしない。
そんな自分のケチかげんを白石先生に見抜かれたような内容でした。
読み終えてショックを受けました。
前にコメントにクリックを習慣にすると勇ましく書きましたが、はい、まったく続いていません・・・。
その場かぎりの口だけでした。
思えばいつもそんな人生を過ごしてきた気がします。
こんな自分を今度こそ変えたいです。
気付かせて頂けて、ありがとうございます。
白石先生のブログは私の鏡です。

春名 2013年05月24日(金)17時41分 編集・削除

粗末ないやしい人間には誰も寄ってこないですよね。
自分も気をつけます。

今回も貴重な知識を有り難うございましたm(_ _)m

インディゴ 2013年05月24日(金)23時33分 編集・削除

白石様こんばんは。

いつも為になる良いお話を書いて頂きありがとうございます。
ブログは拝見しておりましが、初めてコメントさせて頂きます。
数年前より白石様のファンで、新HPへの招待、富士登山などについてもアドバイスを頂き、その節はありがとうございました。

ブログの記事を拝見しておきながらで申し訳ありませんが、私は毎日こちらのランキングのクリックはしておりませんでした。
でも、日課としてクリック募金というのを、もう5年間ほど続けておりますので、今回白石様が仰ったこと、少しは理解できます。

もちろんクリック出来ない日もありますが、このワンクリックが見知らぬ誰かの助けになっている可能性があると思うだけで、モチベーションは全く下がりません。
むしろ年々クリックするのが楽しくなってきております。
偽善者と思われても、誰からも褒められなくても、そのワンクリックが、逆に少しづつ少しづつ、自分の心を育ててくれているような気がします。

そんな事を考えておりましたので、今回の記事はとても琴線に触れました。
早速、毎日のクリック募金のリストの中に、こちらのブログも入れることに致しました(笑)。

白石様のブログ記事はとても勉強になることが多く書かれていますので、これからも更新楽しみにしております!

にゃ~ 2013年05月25日(土)04時08分 編集・削除

私は人だかりが苦手なほうなので近寄りません。
しかしこれは例であって、いろいろ想像してみるといけないゾーンの感覚になることがある自分がありそうな気がしました。しょぼん。^^;
たとえばおさかなは3つ欲しいけど、2つ入りしかない。
一パック買えば1つあげる、、ということであればほしいです。
最初から間に合わなければともかくも、一度手中に来たものが横取りされても平静でいられるか、というとなかなか難しいです。
もともとはじめからないはずのものなのに、落としてしまったりしても激しくがっかりしそうです。

動物にも食べ物でおこらないやつと怒って取り戻すやついますね。^^
女性とかだと異性のとりあいとかも根深そう。

これからもっと深く咀嚼していくことになると思いますが、この章のいわんとしていることがなんとなく脳みそというより感覚的にわかってきそうな感じがします。じわ~っとくるかと思うと楽しみです。
読んでいるうちにやってくるエネルギーとでもいいましょうか、。
そんなものもあるような気がします。

生きている限り煩悩がありすべてのことにおいて⑧のような方はマザーテレサくらいしかすぐに思いつきませんけど、、。^^;

クリックは毎日訪れていなかったので来た時だけですが続けます。

このごろは自然のエネルギーをがんがん取り込むことが楽しみです。体は少し体力がなくて疲れますが、気はすごく元気になるのがわかります。地球の力と自然の美しさの中にいれることは感謝すべきことです。ついでに黒カルマなるものが少しでも洗い流されているならラッキーです。

カルマのアンケートですが、私はちょっと選択が難しいのですが聞いてもいいですか。
黒カルマかどうかわかりませんが、人の頭頂から出てくるものです。ふわ~とした全体のものではなく、ポイントで集中したときに、細めに出てきます。無理やり言葉にするとグレーっぽいけむりのようなものとか、黒いビニールホースのようなものとか、黒い水のようなものです。けむりみたいのが多いです。それはアンケートのものと関係があるのかないのかです。顔の前の黒ゴマではないので違うかもしれませんが。人によって感じるものは違うと思うので、なんだそれって笑われてもいいですが、なんだかわかれば私もすっきりします。

蜘蛛の糸は独占したときに失ってしまう、、、のですね^^

白石 2013年05月27日(月)23時38分 編集・削除

スカイさん

>前にコメントにクリックを習慣にすると勇ましく書きましたが、はい、まったく続いていません・・・。
>その場かぎりの口だけでした。

ひとつ間違えないで欲しいのは、
クリックしないこと=ケチな人 ということではありません。

人は常に様々な感情をめまぐるしく変化させながら生きています。

他人の為に何かをしてあげたいという優しい気持ちを持つ事もあれば、他人を排除しようという冷酷な気持ちに支配される事もあるでしょう。
そういった感情の変化の頻度が激しい人というのは、山を昇ったり降りたりを繰り返しているだけで、いつまでたっても山頂にたどり着く事は出来ません。
むしろ実生活では登る機会のほうが少ないでしょうから、徐々に運気の谷を下降していってしまうのです。

クリックはひとつの種蒔きの機会だと考えてもらえればいいのではないでしょうか?
お年寄りに席をゆずる事が強制ではないのと同じで、クリックする事も別に強制されたり、義務感を感じながらすることでもないでしょう。

どうせなら偽善ではなく、自然に他人の為に行動できるような自分になるように、行を積むつもりで、心から誰かの為にと願いながらマウスを押してみて下さい。
いつしか、いやしく裏を読まないで行動できる自分に変化していくはずです。

白石 2013年05月28日(火)00時18分 編集・削除

春名さん

>粗末ないやしい人間には誰も寄ってこないですよね。
>自分も気をつけます。

確かに、粗末でいやしいケチな人からは人が離れて行きますよね。
春名さん、読者の皆さんの周りにもそういう人がいるでしょうか?
もしかしたら一人二人くらい思いつくかも知れません。

でもこれ決して人ごとではないのです。
もしかしたら、自分はそうでないと思い込んでいるだけであって、周りにしてみたら、あなたのことをケチな人と思っている人が大多数かもしれないのです。

ケチな自分に支配されている時というのは、他人の目なんか気にしませんし、他人のことを思いやる気持ちも薄れています。
つまり自分がそういう状態である事の認識がないのです。

これはある意味ちょっと怖い話しです。
冷静な周りから見れば、ちょっとそれってどうなの?という目で見られていることもあるかもしれないのです。

ケチな自分はふとした瞬間に顔をのぞかせ、あなたに快楽的な提案をしてきます。
そしてあなたを麻痺させ、自分本位な世界へいざないます。

ケチな自分にならないためには、ケチである自分にいち早く気付ける鼻を持つことが大切です。


関係ない話ですが、“春名さん”を変換したら“榛名山”になって、「そういえば小学校のときに群馬の榛名山に遠足で登山に行ったなあ」などと遠い遠い記憶が・・・まあ100%本当にどうでもいい話です(笑)

白石 2013年05月29日(水)02時00分 編集・削除

インディゴさん

>日課としてクリック募金というのを、もう5年間ほど続けておりますので、今回白石様が仰ったこと、少しは理解できます。
>偽善者と思われても、誰からも褒められなくても、そのワンクリックが、逆に少しづつ少しづつ、自分の心を育ててくれているような気がします。

素晴らしいですね。
その5年間で積み上げられているものは、今後の人生で大きく活きてくるでしょうね。

考えてみればクリック募金なんてクリックしようがしまいが、誰が見ているわけでもなく、サボろうと思えばいくらでもサボれるものです。
その価値の解らない人にとっては、「5年クリックしたから何なのだ?」「結局、何を得たの?」
こんな安易な考えしか持てないことでしょう。

日本でちょっと前にペットボトルのキャップを集めて、アフリカの子供にワクチンを送ろうという話しがあったと思います。(いまでもやってるのかな?)

この話しを聞いて、子供たちのために素直な気持ちで集めていた人もいることでしょう。

しかししばらくして、ペットボトルのふたを集めてもほとんどが輸送費などの中間でマージンとして消えてしまい、実際にはいくらもワクチンとして送られることはないから、そんなことはやるだけ無駄だという意見が出てきました。

「そんな無駄な事をするならば、直接お金を募金したほうがいい、世間知らずの馬鹿のすることだ」

こういう意見です。

確かに何千個とキャップを集めるよりも、直接募金したほうが効率がよくたくさんの子供たちを助けることができるのでしょう。
しかしだからといって、集めている人たちの事を「馬鹿だ」と一言で片付けてしまおうとする人たちのなかで、果たしてどのくらいの人が本当に直接募金をしているのでしょうか?

純粋に助けたいという思いで、毎日キャップを集めている人を批判的にからかうことで悦に入っているような人が多いのは本当に残念なことだと思います。

結果がすべてだという世の中で、プロセスを無視する風潮が本当に良い事なのか?

目先のことや目に見えるものにしか興味を持てない、モチベーションを保てない人の視点は浅く貧しいものです。
未来のために今を成長できる意欲のある人とは、10年スパンでどんどん差が出てくるでしょう。

他人ではなく、自分が何をどうしたいのか?
そこを見誤ってはいけません。

インディゴさん、ぜひ今後もクリック募金続けてください。

インディゴ 2013年05月29日(水)21時39分 編集・削除

白石様

ご返信ありがとうございました!
ハイ、恐らくこれからもクリック募金は死ぬまで続けると思います。
同じ千円でも、千回の気持ちが篭った千円は何か特別なものじゃないかと勝手に思っています(笑)。

私はお金にはあまり縁がないので、他人に捧げられる物は、時間くらいしかないんです。
ですから、毎日30分、様々なサイトのクリック募金をするようにしております。

継続は力なりで、5年間も続けていると、その行為の意味が段々とわかるようになってきますね。
毎日毎日、「果たしてこの行為に意味はあるのだろうか?」という自問自答の繰り返しですので(笑)。

そして達した結論ですが、この行為に意味はあるし、寧ろ独りで悦に入っているのは勿体無いということでした。
そこで、稚拙な作りですが、クリック募金リンク集や、多数のクリック募金を効率良く出来るツールを配布する為のホームページを作成しました。
こちらにURLを記載させて頂きますので、ご興味のある方は是非ご覧になってみて下さい。

http://clickbokinlinksyuu.web.fc2.com/

(白石様、宣伝のようになってしまいすみません。問題がある場合はお手数ですが削除願います)

それでは、これからも記事の更新を楽しみにしています♪
ありがとうございました!

トロッコ 2013年05月29日(水)23時30分 編集・削除

インディゴさん

毎日、5年間もクリック募金を継続されて本当にすごいです!!

わたしは子供の頃は純粋に人の為にと行動していたと思うのですが、大人になるにつれ表面の損得にとらわれ、そういった心から離れていきました。

しかし、魂の事を勉強したり、こちらの白石さんのサイトに出会い、その様な生き方こそ価値があるのだと再び思うようになってきた所なんです。

目に見えたり、すぐに形に現れる事ではないので、継続されている事が本当にすごいです。

白石さんのブログもそうですが、他人の為に惜しげもなく自分の力を分けてくださる。世の中にはそういう人もいるのだと知る事ができて、わたしも良い方へ引っ張られます。


ありがとうございます。


リンク拝見しました。クリック募金というものを初めて知りました。

わたしは毎日はできないけど、自分のできるペースでやってみようと思います^^b

東日本大震災の募金箱がコンピニ等から早々に引きあげられて「置いておけばできる時にするのに。ずっと支援が必要なのに。」と文句だけ言っていたのですが、こちらのクリック募金をしてみようと思います。

白石 2013年05月29日(水)23時48分 編集・削除

にゃ~さん

>たとえばおさかなは3つ欲しいけど、2つ入りしかない。
>一パック買えば1つあげる、、ということであればほしいです。

自分ひとりで買い物をしていてお魚3つ欲しい場合は、なにも問題はありません。もらってください(笑)
この場合は誰も争うようなことはないですし、自分基準で判断すればよいのです。

ケチである事の一番の弊害は、それが原因で生まれる他人との軋轢や、自己中心的なものの考え方で凝り固まってしまう危険性です。

ケチが染み付いてしまった人は、そうでない人に比べて、マイナスの種を撒く機会が多くなってしまう。そこが一番の問題なわけです。

ですからお魚をお得に買うことがケチなことであると自分で思わなければ、それはそれでいいのです。
ただしここに他人の思惑が絡んでくるようなケースでは、ケチの種が撒かれないようにしないといけません。
「この人、ケチ臭いひとだなぁ」と思われてしまうことは、未来的にカルマのマイナスの種となりうるのです。

>黒カルマかどうかわかりませんが、人の頭頂から出てくるものです。ふわ~とした全体のものではなく、ポイントで集中したときに、細めに出てきます。無理やり言葉にするとグレーっぽいけむりのようなものとか、黒いビニールホースのようなものとか、黒い水のようなものです。

文面から察するに、それはサハスラーラから洩れ出ているプラーナでしょうね。
クラウンチャクラともいいますが頭頂部の気の口からはプラーナと呼ばれる気を確認できます。
濃い黒は体調や精神的に強い疾患があるケースや生命体に死期が迫っているときなどに出る色です。
グレーはそれに準じますが、決してよい状態ではありません。

ちなみにプラーナはヨガや瞑想でマスタークラスになると見えるようになる人は意外と多いです。これは訓練でみえるようになる類のものです。
もちろん生まれ付いて見える人も多いでしょうね。
前回の黒カルマについてのアンケートでも黒いもやを見える人は割と多かったようですが、ほとんどの場合、見えているのはプラーナでしょう。

にゃ~ 2013年05月30日(木)01時31分 編集・削除

白石さま
これからおさかなはお得に買います^^
それは余談としても、カルマを作らないようにこころがけていきたいと思います。
きっと自分自身でも人からでも、なんかいや~な気分になるというのはこれなんでしょうね。

クラウンチャクラのこと、ありがとうございます。
ちょっとすっきりしました。
肉体がよくなさそうな場合の方は別のところで感じるようなので、おそらく精神的によくないものの濃さなのでしょう。
セッション中なのでほぼ100%近くの人から出ます。
白っぽいけむりの人もいますが。
濃くてもすっきりでる人もいます。
それって何?と聞かれたときにいいものではないイメージがあったので、よくない答えを聞くと受け入れられない感じの人には説明しにくかったです。私はこれを仮面ポジティブパーソンとしています。その方の心がけは素晴らしくまねもできませんが、ポジティブシンキングごっこの落とし穴だとも思っています。もし説明をしたら事実を言っているだけの私に怒りをぶつけてくるのはわかるので意味を話しにくくなります。占いやリーディングでもここちよいだけのことを言う人は、本当のことでないか、全部を言っていないと思います。私はこれを鑑に愛を持って指摘する人を大事にしようと思います。聞いたときはつらいかもしれないけど、受け入れがたいかもしれないけど、、、。

プラーナと額の青いぐるぐるはは生まれつき見えているので、周りの人も見えていると思いました。他のメインのチャクラもコツをならってからわかりやすくなってきたのでこういう系がわかりやすいのかもしれません。でも自分が特別だとまったく思っていません。これを語るにはぜんぜん自分では物足りないし、人はそれぞれに得意が違うだけです。でも、せっかくならもうちょっと自分なりにはっきりと意味を持って感じられるようになれたらと思っています。

山はまだ登れませんが、山、森、滝などに行く毎に魂が元気になるのがわかります。不思議です。楽しいです。たとえ体が疲れても気持ちは前より元気になります。地球のエネルギーをできるだけ感じるって大事だと思います。体力ある人はやはり山にのぼるといいのだと思います。私もあきらめないですごします。^^

インディゴ 2013年06月01日(土)13時12分 編集・削除

トロッコさんへ

(白石様、場所をお借りしてすみません)

子供の頃から、純粋に人の為にと行動されていたとは、お心の優しい方なのですね。
大人になり、皆、そういう純粋な気持ちを忘れてしまいがちですよね。
でも、どんなに月日が経っても、根っ子の部分は決して変わることはないと思います。
私もそういう心を長い間忘れておりましたが、クリック募金などを継続しているうちに、段々と思い出してきました。

手軽にボランティアが出来る機会を与えてくれて、募金サイトを作って頂いた企業や個人の方々には本当に感謝しています。
サイトの中には東日本大震災支援の募金も結構あるので、毎日クリックすれば、少しでも被災者の力になれると思います。

トロッコさんのような仲間が増えることで、こちらのモチベーションも一層上がります♪
あと、こういうものは出来ない時は無理せず、自分のペースで続けた方が良いと思いますよ!
こちらこそありがとうございました。

ゆきんちょろ 2013年11月14日(木)05時09分 編集・削除

初めまして

本日先生のblogを発見し、コメントさせて頂きました。

夫婦仲での心配事から眠れず、そして先生のblogを発見し、一気読みしてしまいました!

彼を責めている自分で一杯でしたが、
先生の言葉で救われました。
そして同時に、なんと自分がケチな人生を歩んでいたか!!
思い知らされ、たくさん分け与えることができた場面に遭遇していたのに、、と猛省させられました(-.-)(__)

今私は看護士になろうと勉強している身なのですが、
どこかで看護士という仕事に陶酔している部分もありました。

しかし、リンゴのお話で例えられていたように、
奉仕できる立場だわ!ラッキー!じゃないんですね。

善行ではなく、取引なのですね。

自分に酔う一歩手前でした。

先生のお言葉に出会え、私は運が良いと思いました。
物の考え方が正しかった訳ではなかった(おばあさんの心理テストでは4でしたし、、)ですが、
間違った道を選び続ける前に、
誰か(運かなぁ)が味方してくれたんだと思います。

ありがとうございました!

これからのご活躍を期待しております!

では、、失礼いたしました!

コメント投稿

投稿フォーム
名前
コメント
文字色
削除キー
 ←設定しておくことで後から削除・編集ができます
投稿キー
投稿キーには白石を「ひらがな」で入力してください(スパム対策)

smiling again