こんにちは、白石です。
ここのところ忙しさもあり、時間の経過がやたらと速く感じます。
この間まで夏だったのに、あっという間に秋も深まり、もう寒さをも覚える季節になって来ました。
北海道や東北の一部ではもう雪が降り始めているところもあるようです。
そういえば先日、車で東名を移動していたんですが、御殿場あたりで、正面にうっすらと雪化粧した、とても美しい別嬪さんな富士山を見ることが出来ました(笑)
秋晴れの中、なんとも得した気分になりましたね。富士山はほんとうに絵になる山です。
ただ山といえば残念だったのは、ちょうど一ヶ月前になりますが、御嶽山での噴火によって大災害が起こりました。
僕もこのブログでは火山の持つ霊的なパワーについて度々取り上げてきていますので、今回の噴火については思い期するものがありました。
そこで今回は予定ではありませんでしたが、「魂のつぶやき」として気になっていることを書いておこうと思います。
まずあの噴火が起こったとき、とっても驚きました。
というのも、実は今年の8月末ですから噴火の約一ヶ月前になりますが、僕は御嶽山に行っているんです。
とはいってもこの時の目的は山登りではなく、今回、救助隊が本部を置いていた麓の大滝村に流れ込んでいる川でのイワナ釣りでした。
あのあたりの川にはヤマトイワナという日本古来の原種のイワナが生息しているんです。
このイワナはとても希少な種類の魚で、御嶽山のあたり、長野・岐阜の一部にしか生息していない魚なんですね。
特徴としては普通のイワナのように白い斑点がなくて、黒いヌメっとした魚体なんですが、それがなんとも神々しい紋様をしていて、バンコクに移住する前は2年に一度くらいの頻度でよくあのあたりの川には釣りに行っていました。
また大好きな登山も、あのあたりの山は木曽駒ケ岳や乗鞍など軒並み登っています。
でも、じつは御嶽山は過去に一度も登ったことがないんです。
日本百名山のひとつである御嶽山なんですが、なぜか僕は敬遠してきました。
読者の皆さんは、僕は火山を積極的に登っているのになぜ?とお思いになるかもしれません。
その理由なんですが、
あの山はその昔から富士山に並ぶくらいに山岳信仰のメッカ的な霊峰として知られた山で、白装束で祈祷のために登山する人も毎年多くいます。
ただ同じ霊峰でも富士山とはまた違う厳しさと言うか、重々しさを感じる山なんです。
それは登山的な厳しさというわけではありません。むしろあの山は比較的に難易度の低い、登りやすい山とされています。
僕がいう厳しさ、重々しさとは霊的なもの。
行ったことのある人なら何となく感じた人もいると思いますが、あの山は独特の人を寄せ付けないような、厳格な雰囲気をもっている山なんですよね。
僕が釣りに行った当日も全国的に高気圧がすっぽり覆っていて猛暑日だったんですが、なぜか御嶽にだけ雲がかかっていて雨が降っていたのには驚きました。
スマホで雨雲レーダーを見てみても、本当に見事なくらいに日本列島のなかで唯一、一点 御嶽山にだけ雨雲がかかっているんです。
わずか数キロ離れればピーカン照りなんですが、、これには「さすが霊山だなあ」と思いましたね。
まるで意味もなく入山しようとする人を拒むような、なんというか結界のようなものが感じられる山なんです。
また今回の噴火では本当に残念なことに多くの犠牲者が出てしまいましたが、
僕には噴火が起こったということよりも「なぜ、あのタイミングで?」というところが気になって仕方がありません。
御嶽山は本州では代表的な活火山ですから、いままでも小規模な水蒸気噴火は数年に1回くらいの割合で起こっています。
一口に噴火といっても、地中の地下水が沸騰することで圧力が高まり地上に噴出する水蒸気爆発は、ハワイ島などで起こっているマグマ噴火に比べると比較的に被害の少ない、規模の小さい噴火レベルに分類されるんです。
今回の御嶽の噴火も水蒸気爆発でしたが、いくつかの悪条件が重なったことで大災害になってしまいました。
まずはなにしろ噴火の起こった9月27日土曜日というのが最悪的によくなかったのです。
登山をする人なら解るんですが、9月は1年で最高の登山月です。
真夏の暑さもやわらぎ涼しく快適に登山が出来ます。しかしこれが10月になると標高の高い山は一気に寒くなってきてしまうのです。雪が降ってしまうような山もあります。
また土曜日というのも最悪の曜日でした。
普通、会社や学校は土日が休みですから、登山をする人は土曜日に登り、日曜日は疲労回復の休養日にあてる人が圧倒的に多いのです。
さらに噴火が起こった時間帯、午前11時52分。
ご来光を目的としなければ、通常は午前を登りにあて、山頂でお昼をとって、午後に下るというスケジューリングを組むのが通常です。
つまり一日のうちで一番山頂に人が集まる時間帯、それがお昼の12時前後なんです。
また水蒸気爆発は必ずしも山頂火口で起こるとは限らないのですが、今回の噴火が山頂での爆発だったことや、秋の好天に恵まれた登山日和だったこと、もちろん比較的に噴火を繰り返している活火山にもかかわらず防護シェルターなどが設置されていなかった人的な問題も被害を拡大させてしまった原因でしょう。
しかし、もし噴火が起こるタイミングがもう少し遅れて、雪山になった後や、せめて時間帯が真夜中などでしたら、こんなに大きな被害が出ることはなかったでしょう。
御嶽山というと、1984年に起こった長野県西部地震での大規模な山崩れによって土石流が起こり、御嶽を水源とする濁川沿いにあった温泉施設などが一瞬で丸呑みになってしまった通称「御嶽くずれ」による悲しい大災害が記憶にある方も多いでしょう。
今でもふもとの大滝村から御嶽山を見ると、崩壊でえぐり取られた山肌や、土石流で広く削られて未だ整備されていないままの濁川河川も確認できます。
御嶽は名山であることに違いはありませんが、どうも僕は足が伸びないまま現在に至りました。
おそらく今後も登ることはない山のような気がしています。
その感覚は口に現すことは難しく、漠然としているのですが、なんというか、人が立ち入らないほうがよい場所といいますか、許されていない場所のような気がずっとしていたのだと思います。
そして今回の噴火で改めて感じたのは、
「やはり、この山はなんらかの明確な意思をもって生きている」ということです。
その意思とは何なのかは解りません。
解りませんが、なんとなく地球の内なる怒りというか
「この地球は人間を中心としたものではないぞ、人間どもよ勘違いするなよ」という警告を発しているように感じるのは僕の勝手な思い込みでしょうか?
なんだかそう思ってしまうような、近づけない怖さというものを ずっとこの山には感じていた気がします。
今回の噴火によって多くの尊い命が奪われてしまったことは大変残念なことですし、残された遺族の方の悲しみや悔しさを思うと慰めの言葉もみつけることができません。
御霊が迷うことなき涅槃に導かれるよう 心よりお祈りしたいと思います。
白石