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魂とはなんぞや?

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そもそも魂とはいったい何なのか?
今日は“魂”そのものについて考えてみたいと思います。

ここであえて“考える”と表現したのは、魂のことを僕自身もすべて知り尽くしている訳ではないからです。

魂の存在に対する記述は古代エジプトやインド時代から記録には残っていますが、その全容は現在においても確立しているとは言えません。

“魂”というものの存在は古くから人間は認識していても、

それがなぜ?
どのような経緯で?
どのような力が働いて存在しているものなのか?

このあたりの意義的知識については実は誰も全容をつかみ切れていないのです。

もちろん“魂”とはこういうものであると確定させている哲学者や宗教などもありますが、その説明がそれぞれ食い違うことも少なくない現状を見る限りでは、魂の存在意義的な部分に対する知識というものは、未だ想像の枠を超えていないのではないかとも思えます。

それはなぜ宇宙が出来たのか?生命が存在するのか?といった難題に匹敵する話しでしょう。
もしかしたら人類の歴史では解き明かすことができないかもしれません。

僕のように魂の状態を見ることが出来る特異体質を持った人間は古くから多くいたはずなのですが、圧倒的に見えない人が多いゆえ、魂そのもの存在を懐疑的にみる人も多いことも、その全容を解明する妨げになってきたのかもしれません。

しかし世界中で何千年とその存在が語られてきている事からも解るように、魂が存在していることは確かなことです。

例えば、魂を否定する人がいたとしても、実際はその人にも魂が存在していて、口とは裏腹に魂の本質からは逃れられない現実があります。

「自分は魂は信じない、でも死んだら成仏したい」 「地獄に行きたくない」 「幸福な人間に生まれ変わりたい」と考えてしまうのです。

しかしこれは矛盾した考えです。
魂の存在を否定するのなら、本来死後の心配など必要ないことでしょう。お墓に入る必要もありません。

ピラミッドや古墳がなぜ存在しているのか? 宗教が廃れないのか?といった問題まで含めて、魂の存在を否定することは、ある意味では人類の歴史をも否定することと言えるのです。

そもそも魂は動植物など生物のすべてに存在しているものです。
言うなれば、魂は生命を営むコアです。

魂と肉体が結びつき生命となってこの世に生まれ、魂の導きによって成長し、生命を紡ぎ、全うしようとします。
それこそが魂の本質です。

例えそれがタンポポであれ、蝶であれ、猫であれ、人であれ、宿っている魂の本質は変わりません。
ただ入れものである外格が、植物や昆虫や魚や哺乳類であるかの違いだけです。

さて次回の講義は、魂と生命の関係についてです。
本日はここまで メリークリスマス


東京より
白石

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