バリレポートをお待ちの皆さんすみません。
来週頭には日本を発つのでいろいろ買い込んだりと
なかなかバリの渡航記をまとめる時間がとれずにいます。
もう少々お待ちください。
写真はアグン火口で半年の眠りから覚めたばかりの2013年もののアグンクリスタルです。
下の茶色い石は本物のアグンストーン。1964年の最後の噴火以来の日の目です。
この前で瞑想をすると魂が静まり、本来の自分が進むべき道が明確にされてきます。
あなたに そっと勇気を
バリレポートをお待ちの皆さんすみません。
来週頭には日本を発つのでいろいろ買い込んだりと
なかなかバリの渡航記をまとめる時間がとれずにいます。
もう少々お待ちください。
写真はアグン火口で半年の眠りから覚めたばかりの2013年もののアグンクリスタルです。
下の茶色い石は本物のアグンストーン。1964年の最後の噴火以来の日の目です。
この前で瞑想をすると魂が静まり、本来の自分が進むべき道が明確にされてきます。
途中ちょっと天候が危うかったんですが、なんとか無事に登頂成功しました。
コメントくださった皆さんありがとうございます。
この山にはかれこれもう10回くらい登っていますが、何度目でも感想は一緒ですね。
やっぱり、やっぱり、やっぱり凄いパワーの山だということです。
山頂で小一時間ですが己の魂と向き合い、語り、そして洗濯と充電をしてきました。
誰に邪魔されることもない、特別な場所で、特別な時間を過ごしてきました。
相変わらず人を寄せ付けないような岩山ぶりで体力的には疲れましたが、
そんなことを忘れさせるほどの圧倒的な充実感に僕は今包まれています。
山の様子などは帰国してからあらためてお知らせします。
今日はおいしい食事もいただいたので、もうバタンキューです(笑)
みなさんお休みなさい。
Z.Z.Z...
バリ・ヌサドゥアより
白石
21日から2泊3日の強行スケジュールでバリに行ってきます。
もちろん目的はあの山。
現地では折角の楽園なのに、
寝て起きて登山して寝て起きたらもう日本へとんぼ返りという、
とんでもスケジュールなのでまったくゆっくりできませんが、
しばし寒い日本から脱出です。
じつはお正月は日本の食事が美味しすぎていっぱい食べてしまい、あれよあれよと体重がやばい領域へ!
あわてて10日前くらいから階段の昇降トレーニングをしたんですが、
まあ、、、
大丈夫でしょう。
そこはキャリアでカバーです。
うん・・・。
東京より
白石
いやいや寒いですね。
14日は大変な雪でしたが、特に新成人の振袖の女の子は可哀相でしたね。
ちなみにタイでは成人式というものは特にないんですが、男子は二十歳になるとみんなお寺に出家するんです。
1週間から3カ月くらいの短期なんですが、6月くらいからの雨季の間に僧侶になるんです。
タイは言わずと知れた仏教国で僧侶の地位がものすごく高く、誰からも尊敬される存在です。
成人してお坊さんとなることで、男子ははじめて一人前と呼ばれるようになるわけです。
タイのミニ情報でした(笑)
さて今回の『魂のリプライ』
このブログ読者の方からいただいた相談や質問に白石がお答えするコーナーです。
今日のご相談は「質問」ですね。
面白そうな質問なので答えてみたいと思います。
《相談内容》
いつも、ブログを興味深く読ませていただいています。
パソコンのサイト、それからアグン山のこと…私が読んだときには、白石さんはすでに更新をお休みしてしばらくたっていましたが、今、リアルタイムで白石さんのお話が読めること、本当に感謝しております。
今回質問させていただきたいのは…世の中の仕組みといいましょうか、いわゆる、「引き寄せの法則」のことです。
思考が現実化する、思考のトレーニング(ポジティブ思考)で願いを叶える、幸運や望む未来を引き寄せる…という、いわゆる「宇宙の法則」と言われているものです。
このテーマに関しては、たくさんの本などが出版されていて、私もかなり読みました。
たとえば恋人がほしいなら、理想の恋人をイメージして、わくわく気分になる。理想の恋人にふさわしい自分になるために自分磨きをするうちに、自然に魅力アップしてよい人に見つけてもらえる…とか、理論や心理学的には納得できる部分もあるのですが…
この「引き寄せの法則」は、霊能力者の方々からすると、当たり前のことなのでしょうか?
白石さんの言う黒カルマは、ネガティブな思考などで増えてしまい、悪いことを引き寄せることがあるというので、引き寄せの法則の、「ネガティブ思考は悪いことを引き寄せる」という部分にあてはまっていると思います。
でも、黒カルマは特別な方法でなくては浄化できないのですよね。
ならば、黒カルマと、ポジティブ思考で幸運を引き寄せるということは、無関係なのでしょうか?
それとも、黒カルマの多い人は、どんなポジティブ思考でも、幸運を引き寄せることはできないのでしょうか?
黒カルマのことを知ったのと、引き寄せの法則を知った時期は少し違うのですが、なにか関連があるんじゃないかと、最近考えているところです。
もし可能なら、霊能力者の立場から、引き寄せの法則や黒カルマの関連について教えていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
ここ数年、突然耳にするようになった『引き寄せの法則』
ネットを通じて日本で流行りだしているのを知っていたので、一昨年でしたか、ちょっと目を通してみようとバンコクのメガ書店を回ったんですがどこも扱っていませんでした。
日本では関連する書物やDVDがたくさん販売されていますが、香港・シンガポールの本屋さんにもなかったので、どうも日本だけやたらと過熱している感があります。
昨年の春に日本に戻った際にようやく本屋で何冊か手にしましたが、パラパラっと読んで棚に戻してしまいました。
それは特別に驚くようなことが書かれていなかったからなんですが、僕の感想としてはブッダ思想の『カルマの法則』にすこしキリスト教的な西洋宗教の教えをプラスさせたようなものと思えました。
そういえば『マーフィーの法則』も何年か前にいきなり流行りましたが、日本での流行り方というか、匂いがちょっと似ていますね。
ネットにはステルスマーケティング的な書き込みや関連したサイトも多いようで、ちょっとビジネス臭がします。
内容的にはまさにカルマの法則を基本としたもので、ちょっと呼び方を変えて、ブッダの替りにエイブラハムという智の集合体を教えの中心に置いたもの。
エイブラハムとはイスラム教やキリスト教の始祖「Abraham(アブラハム)」から来ているのかどうかは解りませんが『カルマの法則』も『引き寄せの法則』も言っていることは因果応報・自業自得です。
善因善果(良いことをする、考えることで良い結果が訪れる)
悪因悪果(悪いことをする、考えることで悪い結果が訪れる)
正直、目新しい教えではないですが、引き寄せの法則では善行より『思考』に重きを置いている感じですね。
善行をするのは大変そうだけどポジティブにいることなら出来そう、という現代人の怠慢心理を突いている感があります。
しかしカルマの法則に置いても、考えの種が縁を呼び込み結果として現象を生み出すと説いているので、まあ引き寄せの法則はカルマの法則をよりスリムにして解りやすく簡潔化したものと考えるのが妥当ではないでしょうか。
ただこのポジティブ思考と言うのも、ポジティブであることと妄想癖を勘違いしてしまう人もいそうなので少し怖いところです。
“妄想”については以前『妄想に逃げるということ』でも書きましたが、はまってしまうと幸運どころか、アンラックしか生み出さないので注意が必要です。
より良い自分の姿をイメージすることはいいのですが、そこに溺れて満足してしまうようならむしろそれすらも足かせになってしまいます。
ポジティブ思考が幸運を呼び込むか?本当のところは
ポジティブ=楽観的の度合いによるでしょう。
僕は今日一日を前向きに生活できる程度のポジティブさが丁度良いのではないかと考えています。
あまり未来のことに強く目を向けすぎると人はすぐに妄想癖に変わりやすく、楽観しすぎると、誰も自分のお尻を叩く係りがいません。
ポジティブであることはいいことではありますが、度が過ぎると叶わなかったときに落胆も大きい。
適度な不安要素(ネガティブ思考)も必要だと思いますね。
引き寄せの法則自体は否定しませんが、ちょっと浅さが透けて見えるというのが僕の正直な感想でした。
さて、今回の質問者さんの黒カルマに関する質問にお答えして、本日は了とします。
>>黒カルマの多い人は、どんなポジティブ思考でも、幸運を引き寄せることはできないのでしょうか?
もし自分から黒カルマを生み出してしまうような、魂が硬化した痩せた状態であるなら幸運どころではないでしょう。
そういった魂は、肉体の病気に置き換えれば重病患者のような状態なのです。
そのような状態になると、勘を失い、決断力を誤り、人間的にも魅力を放たない人格しか持ち合わせていませんから他人からの施しももらえない。
そんな状態で幸運を呼び込み続けることができるのかを考えれば難しいでしょう。
しかしもし他人から少量の黒カルマを貰ってしまっているだけなら、浄化をすすめることで幸運体質に戻すことは可能でしょう。
一時的な魂の風邪ひきのようなものです。
こじらせないうちに柔らかな魂をとりもどすことです。
東京より
白石
偽善と善行についてもう少し詳しく書いておきましょう。
なぜ偽善は善のカルマにならないのかを説明しておきます。
ただその前にひとつ言っておきます。
“偽善”は別に悪いことではありません。
そもそも偽善という言葉があまり良くないのかもしれません。
偽善者というと悪いイメージがありますが、偽善者の行為によって助けられる人や喜ぶ人がいればそれでいいではないかという考えもあります。
与えるものと与えられるもの、特に両者に不具合がなければ第三者から批判される筋合いではないのはごもっともな話であって、そもそも世の中は偽善で成り立っているという一面もあることでしょう。
僕も別に否定はしません。
しかしカルマの話しでは“偽善”はどこまでいっても“善”ではないので、そこには明確な区別が必要なのです。
ではどう違うのかを解りやすく解説するならば、
“偽善”は『奉仕』ではなく『取引』だと考えるといいでしょう。
『取引』は見返りを求めた行為ですから、ある意味、商売などと変わりません。
例えば大々的にアピールする寄付行為などは、まさに何らかの見返りを求めています。
それが「好感度アップ」だったり「ビジネス的な利益」だったりします。
何かを与えて、何かを対価として得る行為。
商取引としてみれば悪いことではないんですが、決して善行ではないのです。
対して“善行”は何も求めずに与えるだけの行為です。
単に困っている人を助けたいという想い。非常にシンプルなものです。
カルマ論で言えば、
善行はリンゴの種を蒔く行為、偽善はリンゴを買う行為。
未来に繋がるのは善行のみなのです。
もし人が飲まず食わずで生きられるのなら、善行のみの人生を歩みたいというのは理想論かもしれません。
しかし、なかなかそうはいかないのが世の常です。
ですから世知辛い世の中でも、機会があれば本当の善行を積みたいという本能が我々の魂にはあります。
どうでしょうか?
善行と偽善の違いがなんとなく理解できたでしょうか?
東京より
白石
追伸:
今日の写真は用事があって出掛けた折に撮影しました。
六本木ヒルズのイルミネーションです。とても綺麗でした(笑)