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“瞑想”知らぬは一生の損 part2

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こんにちは、白石です。

さて、今回の『魂の智見』は、“瞑想”知らぬは一生の損 part2です。
前回のエントリからすこし時間が経ってしまっていますので、ぜひpart1を読み直してから戻ってきてもらえればと思います。

“瞑想”知らぬは一生の損 part1

前回は瞑想が人にとって良いものであるというザクッとしたお話ししか出来ませんでしたが、今回からより具体的なことについてお伝えしていきたいと思います。


さて、まずこの疑問から。

そもそも、いったい瞑想とは何なのでしょうか?


一般の雑誌・ネットなどのメディアでも最近は“瞑想”が紹介されることが多くなってきました。
しかしその内容を見てみると、大体どこも同じなんですが、瞑想することによって得られるメリットを中心とした紹介の仕方になっています。

心が落ち着き、集中力が増し、ストレスが緩和され、健康な肉体になる、などなど。
こういった精神的・身体的なメリットが得られる瞑想はすごい、といった感じですね。

こういう紹介が多いので、どうしても皆さんは、たとえば筋肉や関節を伸ばすことで身体の調子を整える“ストレッチ”の同列ような、一種の“健康法”として瞑想をとらえている方が多いのではないかと思います。

もちろん、ひとつの健康法として瞑想をとらえることは、取っ掛かりとしては悪いことではありません。

しかし、そこはこのSSSの読者の皆さんですからね(笑)
ここはもうひとつ奥にある瞑想の本質を理解したうえでスタートしてほしいところです。
そうすれば、より瞑想のすばらしさや効果を深く感じとることができ、そして長く続けることができるはずです。


瞑想は健康法ではありません。
瞑想をすることで得られる肉体的・精神的メリットは、単なるオマケのようなものであって、決して目的ではないのです。

では瞑想をする目的とはいったい何なのか?

それを理解するためには“瞑想”をこうとらえればいいでしょう。


瞑想は“魂の睡眠”である。


ふんふん、なに?余計わからなくなった?(笑)

いやSSSを熱心にお読みいただいている読者の方でしたら、僕の言うことは何となくでも理解できるはずです。


魂の睡眠


魂は肉体という“上物(うわもの)”を一時的に支配しているだけのオーナーだということは、以前からお伝えしてきたことです。(この辺を理解できていない人はこのあたりのエントリを読まれるといいでしょう。)
魂と心の違い

じつは魂はとっても働き者なのです。

魂にとっての仕事、それは自分が担当した肉体を長く生かすことですから、基本的には不眠不休で24時間365日働き続けています。
肉体が朽ちて動かなくなるまで、つまり死ぬまで働き続けているのです。

肉体は働き続ければ、だんだんと疲れが溜まり、正常な状態が保てなくなってきますよね。
でもこれは、魂もしかりだということなのです。魂だって疲れが溜まるのです。


肉体は疲れが溜まると眠りにつくことで回復に努めますが、魂の場合は基本的に不眠不休で活動しています。

たとえ肉体が睡眠中であっても、人間は夢を見て、呼吸をして、血液を体内に循環して体温を保ち、内臓を動かして、寝返りを打って、完全にその活動を止めることはありません。

これらの生命の維持は、その根源に魂の働きがあるということなのです。
魂がその活動をやめるときは、つまり人間の寿命を意味します。

そう、あなたの心臓は勝手に動いているわけでは無いということ。

今ドクドクと波打つように動いていている心臓は、魂があなたの肉体に宿っていて、今この瞬間もしっかりと働いてくれているという証なのです。

どうですか?
すこしは自分の魂を大事にしようと思いましたか?


多くの人は肉体の健康ばかり心配し、気をつかい、お金をつかい、時間をつかって、何とか健康を維持しようと必死になります。

やれ「これは身体によい食物だ!習慣だ!健康器具だ!」といった具合です。

ほんとに僕に言わせると愚の骨頂なのです。


人間の健康を保つ上で、魂ほど いの一番にケアしなければならない存在はありません。

魂が健康であって、はじめて肉体は正常に機能しようと活動しますが、一般の方で魂の健康を気にする人はほとんどいないのが実情です。
魂をおろそかにしてしまうことが、すべての元凶になっている事実を知らないのです。



疲れた魂を、すこしの間、休ませてあげることができる“技”

それこそが“THE 瞑想”なのです。
思わずTHEをつけてしまうくらい、瞑想は魂にとってのご褒美になります(笑)


よく言われる瞑想によって得られるメリット、精神集中や疲労回復やストレス解消やら、、、
こんなものは実は小さい小さいことであって、魂が休息を得られたことによる、ほんのささいな好結果のひとつに過ぎません。

瞑想の本質はそこではなく、魂が一息つけることでその活力がグンと増すこと、パフォーマンスが高く維持できること。
それこそが重要なのです。

魂のパフォーマンスが上がれば、肉体の維持力だけでなく、魂自体の防御力にも違いが出てきます。
黒カルマに汚染されることに対して、抵抗力も上がります。

それは人生の正しい道を歩むために必要な“決断力”や“勘”の強弱にも係わっていきます。


アップル創業者のスティーブ・ジョブズやマイクロソフトのビル・ゲイツ、マドンナやイチローなどの成功者と呼ばれる人たちが、瞑想に取り組んでいるのも、単に言われているメリット以上のものを得られていることに気付いているからなのです。


などと瞑想の本質についてつらつらと書いていると、今回もやっぱり文章が長くなってしまいました・・・。

「なんだ、具体的な瞑想方法を教えてくれるんじゃなかったの?」

こんな声も聞こえてきそうですが、慌ててはいけません。

まずは瞑想がどれほど人間にとって有効なものなのか?
これを理解していないと単なるちょっと面倒な健康法くらいのレベルでしか瞑想を受け止めることができないのです。
正直、それでは長く続かないでしょう。

魂は文句も言わずに、毎日働いてくれていますが、ある日いきなり壊れてしまうパソコンのように、知らず知らずのうちにバグが溜まっていたりするのです。

瞑想はメリットを得るためのものではなく、デメリットを無くすためのもの。
そういう思いではじめることで、結果としてメリットも生まれてくるのです。

次回の魂の智見では具体的な瞑想方法を“必ず”やります(笑)



東京より
白石

“瞑想”知らぬは一生の損 part1

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こんにちは、白石です。

さて、今回の『魂の智見』ですが、じつは以前からこのSSSで取り上げなくてはと思っていた題材がありますので、今回から何回かにわけてお伝えしたいと思っています。

それは“瞑想”についてです。


「ええぇぇ瞑想?? 私、興味なーい」


今、こう思ったあなた。

僕は、そういうあなたにこそ“瞑想の本当のすごさ”お伝えしたいのですよ(笑)

というのも、ほとんどの方は瞑想についてその本当の効果をしりません。

僕のホームページやSSSでもたびたび瞑想については触れてきましたが、なぜ瞑想がよいのか、具体的にどんな効果があるのか、ということについては、詳しく説明する機会がなかったように思えます。

そこでこの機会に、瞑想の意味や、やり方、効果についてお話してみようかなと思います。


瞑想については数年前になりますが招待制のホームページのなかで“白石式瞑想法”をお伝えしています。
覚えていらっしゃる方も多いでしょう。

ただあの瞑想法は山頂火口での黒カルマの浄化を想定したものですから、普段、自宅でする瞑想とはまた違った意味合いになります。
もちろん自宅ではヴォルフォースの流れを意識する必要はありませんから、一般的に言われている瞑想法をすることになりますが、一口に瞑想といっても様々な手法があり、何を目的とするかによってもそのやり方が変わってくるのです。

一般的にリラックスや集中力の強化などを目的とした瞑想は“サマタ瞑想”といわれるものです。
日本人が理解しやすい言葉に直せば“禅”ですね。

心穏やかに無の境地に入っていくことで、精神の安定や肉体の回復だけでなく、脳の活性化、心の余裕や正しい判断力なども生み出す効果があります。

またサマタとは別に“ヴィパッサナー瞑想”というものもあります。

いずれもインド由来の仏教から生まれた瞑想法といわれていますが、ヴィパッサナーはサマタの先にあるもの。
いわゆる悟りや解脱といった境地に達するための瞑想法で、ブッダもこの瞑想法で悟りを開いたとされています。

まあ普通の人が悟りを開くことを目的にすることはありませんから、一般的に瞑想といえばサマタになります。


この瞑想ですが、普段から日常的に瞑想をしている人はたぶんあまりいませんよね。
おそらく読者の皆さんも、したことがない人がほとんどではないかと思います。


『よく“瞑想”という言葉は聴くけれど、そもそも意味がわからない。瞑想ってなんなのさ?』

『瞑想状態ってどんな状態のこと?』

『瞑想すると、どんないいことがあるの?』


こういう疑問をもっている人がほとんどでしょうから、そこに価値観を見出すことはできないでしょうし、あえて判らないことをやってみようという気持ちも起こらないのが本音でしょう。

これは例えるなら、外国人にお風呂の良さを伝えることと同じかもしれません。

我々、日本人はお風呂の湯船につかることの効能は体験を通じてよく知っています。
でも生まれてこのかたシャワーしか使っていない国の人に、わざわざ毎日のように熱いお湯を大量にためて、そこに数分間もつかることの意味を説明するのはなかなか大変なことです。
不経済だし、場所をとるし、時間の無駄だと片付けられてしまうこともあるでしょう。


同じように、瞑想の良さを皆さんに伝えることは、「リラックスできる」「集中力が発揮できる」「細胞が活性化される」などというメリットが理解される前に、“面倒”“むずかしい”という思い込みが先行して拒絶されてしまうことのほうが多いのです。

瞑想はお風呂と一緒で、続けることができれば離れられなくなるくらいにその良さが理解できるもの。
こう考えてみると瞑想の価値観は伝わりやすいでしょう。


たとえば瞑想の良さは、瞑想や禅を実践している有名人がとても多いことでも判ります。

世界中の誰もが知っている企業のCEOやミュージシャン、スポーツ選手、俳優などなど、瞑想や禅を日常的におこなっている人はとても多いんですね。
反対に一般の人ほど、瞑想には無関心な比率は高くなると思います。

これは成功者と呼ばれる人の立場になると、いかに自分の精神をコントロールすることが日常のパフォーマンスに影響力を与えるのかということを、身をもって体験しているがゆえのことかもしれません。

つまり肉体の健康に気を使うだけなのが一般の人だとするならば、さらにその上の考え方として、精神や魂の健康状態にも気を使うようになる人。
やはりこういう人が、成功するべくして成功していると考えることもできるでしょう。

まあ確かにすべての瞑想実践者が成功しているということはありませんが、すくなくとも実践していない人に比べると、その毎日の生活において、様々な恩恵を受けているという考え方はできます。

知らぬは自分だけかもしれません。


最近はヨガがブームになったこともあって、一般の人でも以前よりは瞑想に触れる機会が増えたかもしれませんが、実際はまだまだ一般的とはいえないものです。
でも、だからこそ人より先にはじめてみるのもいいと思います。

では具体的な瞑想方法についてお話を進めていきたいと思ったのですが、話しが長くなってしまうので、また例のごとく次回以降に引っ張ってみましょうか(笑)


でもちょっとだけ・・次回以降の予告を。

じつは瞑想とはまた違うのですが、以前、僕がまだバンコクに住んでいたときに“ひらめいた”アイディアが段々と見えてきました。
覚えている方もいるかもしれませんが、魂の“ひらめき”を得ましたというエントリでのことです。

これにともない、過去、例を見ないスタイルの魂の実験を考えています。
これは読者の皆さんが参加するかたちで行いますが、もしかしたら魂の柔軟性において画期的な効果を生み出す可能性があります。
近いうちに実施できたらといいなと思っていますので、参加してみたい方はたまにここをのぞきに来ておいて下さい。
告知してから1ヶ月くらいの猶予をもって実施したいと思っています。
参加はもちろん無料です。そのときはぜひご協力をお願い致します。


あと追伸というかお知らせです。
いよいよ7月は半年に一度のアグン巡礼でバリに渡航します。
今月プロフィール欄のなかでひっそりとお知らせしてきましたが、そろそろ7月渡し分のアグンクリスタルの予約は受付を終了する予定です。
おかげさまでこのSSSを通じて継続くださる方からの注文が多く、部屋置きに関しては数を増やしたにも係わらず、現時点でほぼ完売となりそうです。
購入を考えていた方はお早めにご連絡ください。尚、完売の場合はご了承ください。


東京より
白石

魂に燃料がなくなると part 3

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さて今回の魂の智見はだいぶ間が開いてしまいましたね。
お待たせいたしました。

『魂に燃料がなくなると part 2』からの続きです。
内容を忘れてしまった人はもう一度見直してください。

魂に燃料がなくなると part 2


~~~~~前回のハイライト~~~~~

重たい荷物を降ろすことは人生の負荷を減らすことになる。

魂に生命力を継ぎ足すことは出来ない。

魂に悦びを与えるもうひとつの方法とは?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

part 1~2と続き、今回はpart 3
魂に悦びを与えるもうひとつの方法について講義を進めたいと思います。

前回の講義では、魂の仕事についておもちゃのトラックを例に説明をしました。

その中で、いかにトラックのスピードを落とさずに走らせることができるのかを実践することが魂の悦びにつながり、しいては魂にとってのエネルギーになる。
そのための方法論を説明しているところで今回へ持ち越しになったのでした。
(本当に長いこと引っ張ってしまいましたね(笑))


それでは続きの講義を始めます。

まず魂の悦びは、基本的にはストレス無く、仕事を全うできることで充分に満たされます。
その仕事とは、肉体を生かすことであり、寿命を縮ませることなく全うさせるということに尽きます。
ロウソクの火を消すことなく最後まで灯すことが魂の最大のミッションなのです。

しかし肉体はそんな魂の立場などお構いなしに、自由気ままに生きています。
自分だけは事故にあわない、病気にならない、死なないと信じていて、寿命が尽きるのもはるか彼方の未来のことと思い込んでいます。
腰の曲がったお年寄りを見ても、まさか自分がそうなるとは思いもしません。

ですから体に悪いことも言い訳しながら続けますし、魂にとっての苦痛も平気で与えます。
もしかしたらロウソクは、不意に明日にも尽きてしまう長さしかなかったとしてもです。

われわれは常に「自分には安定が約束されている」「平穏無事が与えられ続ける」と信じ込んでいるのです。

そしてこの“思い込み思考”は、段々と身勝手な自意識を育てる要因になっていきます。


ちょっと想像してみて下さい。
もしあなたの人生が明日終わるとするなら、あなたは人生の最後の一日をどのような気持ちで過ごすでしょうか?


誰かと喧嘩をして過ごしますか?
誰かに意地悪な気持ちで嫌味を言うでしょうか?

いえ、きっとすべての人に感謝の気持ちを感じながら、敬意を持って接するのではないでしょうか?
1秒1秒の重みを感じながら、今という瞬間を覚悟をもって大切に過ごそうとするはずです。


人は、自分の人生は保障されているという勘違いが高まると、他人に対して優しさを失い、上からの目線で接するようになり、様々な対人関係の事故を誘発します。
そして自らの魂を傷つけ、疲弊していくのです。

魂を悦ばせるためには、まずもって魂に負担をかけないことが最適な方法であることは間違いありません。
魂のミッションの邪魔をしないことは、単純ですがとても有効なことなのです。


さてそれでは魂の活動を“育成中のリンゴの木”に例えて、どうすれば美味しいリンゴが実るのか考えてみましょう。

成長の妨げになるようなストレスを木々に与えないことは、実の生育に最も大切なことであることは理解できるでしょう。

そのうえで木々が悦ぶことを与えてあげるのです。

例えば肥えた大地、燦々と降り注ぐ太陽光、たっぷりと綺麗な水を与えてあげることも木々が悦ぶ要因でしょう。


魂にここちよいエネルギーを与えてあげること。

この“与える”ということこそ、我々が普段の生活のなかで実践できる、魂にここちよいエネルギーを注入することへと繋がるのです。

リンゴの実を欲しいと思う人はたくさんいますが、リンゴの実を育て、人々に与えようという人は少ない。
しかし与えてもらった人は、与えてくれた人に感謝の念を持つことでしょう。
そしてその感謝の念は、与えた側の魂にとって大いなる悦びなのです。


あなたが誰かを助けたり、手伝ったり、与えたりしたときに、その相手はあなたに対し礼を言い感謝します。
あなたはその時に大いなる満足感を憶え、自分のしたことに対して誇りと強い達成感を得ます。

「自分のしたことで喜んでもらえた、感謝された。」

それがたとえ無償の奉仕だったとしても、とても気分が良くなり、心は高揚することでしょう。

人に感謝されたり、正しいと思えることをしたときに気持ちが良くなるのは、魂のレベルで気持ちが良くなっているのです。

それは「ありがとう」という気持ちである謝恩の念や、見返りを求めない奉仕の念というものが持った独特の柔らかなエネルギーが生み出す効果です。


これらの柔らかなエネルギーの波長に包まれた魂は、得もしれぬ心地よいやすらぎを憶えます。
それは魂にとって一種のエクスタシーのようなもので、これらの良エネルギーに包まれた魂は高レベルの活力を発揮するようになります。

怒りや恨み辛みが魂の激しい交錯とするならば、与える気持ち、感謝する気持ちで生まれる交錯はとてもやさしく柔らかいもの。
魂と魂がなで合うように接触する状態です。

魂はこの“柔らかな交錯”が大好きなんです。

肉体や脳はそういった状態の魂に反応し、実生活においても向上心や頑張る力を生み出し、精神の安定をも得られるようになるのです。

他に、お互いに必要としあう気持ち、認め合う気持ちなども、同じような柔らかな良エネルギーを生み出す切っ掛けになります。


しかしこの与えるということは、実生活においては簡単なことではありません。
簡単に出来る人と、なかなかできない人にハッキリと分かれてしまいます。


次回の講義では、与えるという行為の難しさや、その効果についてお伝えしましょう。


バンコクより
白石


追伸:来週になりますが、短期で日本に戻る予定です。

その時に、何人からか連絡を頂いているのですが、以前、すこし半端な時期に追加でキャンセル分のアグンクリスタルのブレスをお売りしたことがありましたが、すでに石の寿命期間を経過してしまっていますので購入したい方がいましたら連絡して下さい。
ただし僕が日本に戻っている期間にしか発送作業が出来ませんので、11/8(金)までに決済まで完了できる方に限定です。

また2014年1月渡しの予約は11月1日(金)から受付る予定です。
ただこの4か月ですでにかなりの問い合わせを頂いているので、この感じだともしかしたら早めに予定数に達してしまうかもしれません。
詳細を希望の方はお早めにご連絡を下さったほうが良さそうです。


あとこれはまだ決定ではありませんが、来年から日本に戻って仕事を一部再開しようかと考え中です。
今進めている研究も日本の方が進めやすいなどいろいろ要因はありますが、一番の理由は・・・

『日本が恋しくなってきた!』

ということです(笑)

魂に燃料がなくなると part 2

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さあ今回の魂の智見は前回からの続きです。

魂に燃料がなくなると part 1


~~~~~前回のハイライト~~~~~

人生に意味を見出そうとする行為は、実は魂が燃料不足に陥っているからである。

魂へのエネルギーの供給を遮断してしまう原因は、肉体(脳による思考)にある。

魂が悦ぶことをしてあげることが、魂にとってのエネルギーになる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回は、魂の悦びについて講義を進めたいと思います。


魂にとっての燃料は“悦び”であるという話しをしましたが、この悦びとは一体どのようなものなのでしょうか?

そして、どのようにすれば魂は悦びを感じることが出来るのでしょうか?


実は前回の講義ですでに半分正解を伝えています。
それは、魂の使命について述べた、以下の一文です。

もともと魂にとっては、生きることもそれ自体が使命であり大いなる悦びなんですが、肉体(脳による思考)はときにそれを拒否するのです。


魂の使命と言うと、なんだかとても深くて難解な意味があるように思えてしまいますが、じつは魂自体はそんなに複雑な使命を背負って存在しているわけではありません。

ひとことで言えば、“肉体を生かす”という仕事を淡々とこなしているだけに過ぎないのです。

生命体ひとつひとつに存在し、その礎となる魂は、与えられた肉体がその寿命尽きるまで活かし続けることが仕事。
その仕事を全うすることこそが魂の大きな悦びなのです。
そこには複雑なロジックなどありません、至極シンプルなものです。

しかし肉体というのは非常にワガママなもので、すぐに魂の仕事を邪魔しようとしてしまいます。
ことあるごとに魂の求める“悦び”を奪うことしかしないのです。


魂の仕事をゼンマイ仕掛けのおもちゃのトラックに例えてみましょう。

魂のトラックは荷物を積んで走ることが仕事です。
ゼンマイの推進力でトラックはぐんぐんスピードを上げて行きます。

しかし肉体はそんなトラックの荷台にお構いなしにどんどん荷物を積み込んでいきます。


悲観、傷心、弱気、確執、不和、重圧、鬱積、緊張、間違い、私怨、誹謗、虐め、etc・・・


こうしたネガティブな荷物はトラックの加速をにぶらせ、スピードを落とす要因になります。
前へ進もうとするトラックの悦びを奪うことになるのです。


ではスピードが落ちつつあるトラックを再び、力強く走らすにはどうすればいいのでしょうか?
それには二つの方法があるでしょう。

ひとつは荷台に積んだ邪魔な重い荷物を捨てて、軽量化をはかること。
もうひとつはゼンマイを巻き加えることです。


荷台の荷物を捨ててしまうことについては、前回の人生の智慧のエントリ
捨てる勇気も読んでいただきたいと思いますが、人間はモノだけでなく、見切りを付けたほうが良い過去も重い荷物として背負ってしまう人が多くいます。

人生の負荷を軽くし、前へ進む推進力を妨げないようにすることは、魂の悦びにつながります。
そしてこれは肉体がコントロールできることでもあります。

人間は生きていれば欲も湧きますし、楽もしたくなります。
しかしいかに依存をなくしシンプルに生きることができるか?というところは、魂の仕事には大いに関係している要因です。
ここを意識して過ごすことは、無意識でいるよりも確実に差が出ることなのです。


もうひとつの方法としてゼンマイを巻き加えるということがあります。

魂にとってゼンマイの巻き具合と言うのは、まさに生命力に直結しているといっても過言ではありません。
当然、たくさん巻いてあるほうが強く長く力を生み出し、トラックは速く遠くへ進みます。
もし途中でゼンマイを巻き加えることが出来たら、それは魂にとっては大きな悦びになることでしょう。

しかし結論から言いますと、残念ながら魂のゼンマイを巻き加えることは現状では不可能です。
なぜならこれはある意味 神の領域、寿命にも大いに関係している部分なのです。

魂のゼンマイの巻き具合というものは、個々の魂が持っているポテンシャルの違いとして、我々生命体が生まれる以前から決まっていて、結びついた肉体はそれを受け入れることしか出来ません。
魂の生命力が低いからと言って、自分の意思でゼンマイのネジを巻くようなことは残念がら出来ないのです。

もしそれが出来てしまったら、人間の肉体は不滅になり、永遠の命を手に入れることになります。


では、魂のトラックのスピードを落とさないために自分でコントロールできる方法は、荷台の荷物を減らすことだけなのでしょうか?


いえ、あるのですよ、魂に悦びを与えるもうひとつの方法が

ええ、それについては、もちろん次回へ引っ張りますけどね(笑)



東京より
白石

魂に燃料がなくなると part 1

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自分はなんのために生きているのか?

こんなことを考えてしまうことはあるでしょうか?

ふと心に穴が開いたような、なにか満たされない想いに支配されてしまったとき

あなたは自分の生まれてきた意味を知りたいと思います。


自分を必要としている人はどのくらいいるのか?

自分に何が残せるのか?


こういったことを考え、あれこれ問答している自分に気付いたなら
それは、あなたの魂が燃料不足に陥っているからです。


魂がパワーに満ち満ちているときは、人は生きる意味を疑問に感じることはありません。

毎日をひたすらに、ただただ走り抜けます。

生きていることに対し感慨ぶけることもありません。

ただ当たり前のように、日々を加速し続けるのです。


しかし、ふと自分の存在価値や生きる意味を考えはじめたとしたら、それはあなたの魂の燃料メーターが下がってきて警告ランプが点灯したのだと理解してください。

そうなったら魂にあらたに燃料を注ぎ込まないと、過去の惰性で残りの人生を走るだけの詰まらない生き方しかできなくなってしまうでしょう。

そして完全に魂の燃料が尽きると、あたらしいことに挑戦する意欲もなくなり、過去のまぶしい栄光に想いをふけながら、その場しのぎの愉しい妄想に逃げ込むようになっていきます。

そうなると現実の人生は段々と勢いがなくなり、あとは自然に止まるのを待つだけです。


魂が燃料不足に陥ってしまった人が、ふたたび加速感のある人生を得るためには魂に燃料が必要なのです。

ガス欠のクルマにガソリンを入れるように、魂がもう一度雄叫びをあげるようなパワーの注入ができるか否かは、自分自身の気付きと、その後の生き方に掛かっています。


では魂の燃料とは何なのでしょうか?

それは何も、奇をてらった難しいものではありません。


悦びです。


魂が悦ぶことをすることが、これすなわち魂のパワーの源になります。

魂はあなたの思考とは関係なく、常に悦びを求めます。

もともと魂にとっては、生きることもそれ自体が使命であり大いなる悦びなんですが、肉体(脳による思考)はときにそれを拒否するのです。

なにか不満があるとすぐに投げやりになって自分のことを卑下したり、存在を拒否したり、死を考えたりします。
そういった繰り返しが積もると、魂は疲労し、活力を失っていきます。

魂の使命である 真っ直ぐに素直に生きることを拒否する肉体(思考)が、燃料不足につながっているのです。


それではもう一度、人生に加速感を得るにはいったいどうすればいいのか?
魂に悦びを与えるためにすべきこととは?

次回は魂の悦びについて詳しくお伝えしましょう。
今日の講義はここまでです。



バンコクより
白石


※来月は半年に一度のアグン巡礼です。
アグンクリスタルの7月渡し予約分をそろそろ締め切ろうと思いますが、ご希望の方はお早めにお願いします。
詳細希望の方は volforce@gmail.com までメールして下さい。(携帯からの方は受信設定して下さい)

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