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人生ゲーム

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昔からある定番のボードゲームに『人生ゲーム』がある。
皆さんも子供の頃やったことがあるだろう。

このゲームのルールをいまさら説明する必要もないと思う。
成長し、家族をもうけ、金を稼ぎ、人生の成功をめざしてマスを進めていくあのゲームだ。

このゲームは最終的にお金をもうけることを目的としている。
株や土地売買、時には子供まで売って!? 勝利を目指す(笑)
※子供を売るというルールは昔のルールにあったようで、今のものには当然ありません。

このゲームは1960年にアメリカで生まれたゲームだが、これほど息の長い人気を保っているのは「人生」という誰もが共感を憶えるものを主体としたゲームであるからだろうと思う。

人はこのボードゲームに自分の人生を掛け合せ、理想の人生を体感すべくコマの車に乗り込むのだ。

しかし実際の人の一生というものは、当然ながら土地や株を売買しながら大金を稼ぐボードゲームのそれとはだいぶ違うものある。
実際の生活は多くの場合毎日を生きるのにも必死で、細々とした悩みもあるし、ゲームのような華やかなイベントなんてそうそうあるものではない。
人生ゲームなど所詮は子供の遊びだというのが、ほとんどの大人の考えであろうか。

でも僕はこの『人生ゲーム』というものは唯一無比の素晴らしいものであると思う。
このゲームから学べるもの、大切な人生のコンセプトがあるからだ。


それは人生を勝ち抜くということだろうか?
それとも社会の厳しさだろうか?
もしくはお金の大切さだろうか?
家族の絆?夢を持つこと? 困難に立ち向かうこと?

いやどれも違う。
そんな気持ちや現状はケースバイケースで簡単に揺らいでしまうものだと思う。

僕が『人生ゲーム』から学びとるべきだと思う最大の教えは、
『人生』とは所詮『遊び』であるということだ。


人間の寿命が80年あるとするならば、
生きることとは80年使う遊びなのだ。

仕事や失恋や結婚など様々なイベントを乗り越えて、最終的に天寿を全うしたところがゴール。

ゲームだから良いことばかりではなく悪いことも起こる。
お金を稼ぐ人もいれば、稼げない人もいる。
家族に恵まれる人もいれば、生涯独身で過ごす人もいる。
良いことが多く起こる人もいれば、悪いことの方が多い人もいる。

でも、それも含めて人生は『遊び』なのだから楽しまなくてはならない。

仕事人生だと言う人も、恋愛体質だと言う人も、家族主義な人も、身の回りに起こる幸も不幸も、すべて遊びという大枠の中での出来事にすぎない。

このゲームの勝敗はお金の有無や名誉ではない、あえて勝敗を付けるとするならば、人生というゲームを最後まで楽しんだかどうかだ。


人は手ぶらで生まれて、手ぶらで死んでいく。

人生ゲームで手に入れたものは、パンの一かけらすらあの世に持って行くことはできないが、ただひとつだけ持っていけるもの。

それは『人生』というゲームを楽しんだかどうかという感想だけなのだ。


白石

怒りの泡

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『怒り』はなにもイライラ、プンプンしたりするだけが『怒り』ではありません。

自分と違う考えの人を蔑んだり、見下したりするような気持ちも、ある種の『怒り』の感情です。

暴力的になったりすることと相手を下に見る気持ちは、強弱の差があるだけで、実は同じ『怒り』という感情が原因なのです。


『怒り』とは普段は穏やかな水面にポンと湧き上がる泡のようなものです。

水中に溶け込んでいた有毒ガスがささいな切っ掛けで圧縮された泡となり一気に上昇します。
水面に顔を出した瞬間に破裂し、中のガスを大気中に放出拡散します。

そしてこの破裂した泡に気付かないままでいると、次々に泡が生まれ、いつのまにか大気は汚染されてしまいます。


そうならないようにする為には、泡がポンと割れた瞬間に


「あっ、いま泡が割れた!」


と意識できる自分がいればいいのです。

『怒り』の泡は割れた瞬間にそのことを認識できる自分がいれば、その後の泡の発生を防ぐことができるのです。

1個の泡が割れた程度なら大した汚染にはなりません。
すぐに感情をコントロールできるようになります。

しかし『怒り』の泡が割れていることに意識を持って行けないままでいると、怒っている自分に気付くことが出来ません。
泡は次々に発生し、次第に大きくなり、もはや地獄の釜のようにボコボコと大きな泡が破裂しだす。
大気はガスで汚染されて真っ暗闇に。

そうなってしまうと、怒っている自分に怒り出すような怒りのスパイラル。
何に対しても瞬間湯沸かし器のように感情が沸騰してしまう癖がついてしまうのです。

生活していれば『怒り』の泡は誰にでも立ちます。
ただポンと泡が割れた瞬間に、そのことを認識できるもう一人の自分の存在を育てることが出来れば大事に至ることはありません。

『怒り』は簡単に瞬間的に生まれますが、消すことも簡単に瞬間で消すことが出来るのです。


白石

勝負する相手は誰?

人は自分を他人と比べることで、落胆したり、安心したり、優越感を憶えることを繰り返しています。


個々の能力や物ごとには少なからず差がありますが、その勝ち負けに必要以上にこだわってしまうことは、万が一、圧倒的な差をつけられたときに大いなる落胆と諦めの心に自信喪失するリスクを背負っているのです。

また勝ったにしろ負けたにしろ、無駄に争いの軋轢を生み出し魂を削ることに繋がります。


ですから僕は、勝ち負けに心を割くのではなく、自分自身がいかに能力を発揮できるかにこそ人間の真の進化があると思っています。

その追求こそが、自分に本当に適した道を探し出すことへと繋がるのです。


ものごとの優劣は他人との差ではなく、自分との戦いだということ。


他人を蹴落とすことで得る勝利に価値を見出すのではなく、自分の能力をフルに発揮することに精進することこそが、人間の価値を高めることといえるのではないでしょうか。



白石

覚悟を決めることで道は開ける

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『勉強がつらい』

『部活がつらい』

『いじめられた』

『友達と喧嘩した』


学生のときにこうした悩みを抱えていた人も多いことでしょう。
毎日がつらく学校に行きたくなくて、仮病で休んだこともあるかもしれません。
「はやく社会に出て、夢を追いかけたい。」そう願ったことも。



『就活がつらい』

『仕事がつらい』

『上司と反りが合わない』


でも社会人になったらなったで、また新たな不満や苦しみが生まれ悩みになる。
はやく家庭を持って落ちつきたい 癒されたいと願います。


『恋人・結婚が出来ない』

『失恋・離婚した』

『家族とうまくいかない』

『お金がない』


恋人がいてもいなくても、結婚してても独身でも人間関係のいざこざも、生活苦難も常に生まれます。


『リストラされた』

『やることがない』

『体力がない』

『孤独でさみしい』


仕事をリタイアし責任や人間関係から解放されたはずなのに、やはり悩んでいる自分がいる。
そしてぽつりとつぶやきます。

「昔はよかったな」

あんなにつらかった学生時の勉強や部活動、徹夜で残業にあけくれたサラリーマン時代の苦しささえも歳を取ればただただ懐かしく、輝かしくさえ思える。


どんな立場であっても、何歳になっても、生きている以上様々な苦しみが生まれ、つらいことが次々と訪れ、私たちを悩ませるのです。


生きるということは常につらいもの。
そう覚悟することは人間には必要なのです。


「つらいことが起きるのは、自分が生きている証拠なんだ」


こう覚悟を決めればつらくても納得できるようになります。開き直って立ち向かえます。
これは人間として生まれてきた宿命です。悲観しても仕方ありません。


だからこそ大切なことは『今日』という一日にどれだけの充実感を得ることが出来るのかなのです。


人間は過去に起こってしまったこと、未来に起こることをコントロールすることはできません。
でも『今』だけはコントロールすることができるのです。


悩みのある人は下を向くのではなく、充実感を感じることができる『今』を追い求めましょう。
強いてはそれが善い明日を呼び込むことへと繋がっていくのです。





白石

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