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なぜ人は働かないといけないのか?

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こんにちは、白石です。

バリ・アグン山への巡礼も終わり、今は毎日をいそがしく過ごしています。

そんな折、ある相談者の方から、仕事に張りあいが持てないという相談を受けました。
普段から仕事に関する相談は数多く受けるんですが、大きく分けると3つの相談が大多数をしめます。

現状の仕事や職場に満足できないという悩み
新しい仕事や職場への転職や転勤に関する悩み
仕事がない、働く意欲がわかないという悩み

この3つが仕事についてのもっとも多い悩みです。

そこで今回の『人生の智慧』は、“はたらく”ということについて考えてみたいと思います。


さて、読者のみなさんはどんな仕事をしているのでしょうか?


働いている人、働いていない人、いるかと思いますが、そもそも“はたらく”とは人間にとってどういうことなのか考えたことはありますか?

生きていくために、食べるために必要なものという位置付けは理解できても、それ以外の意味を考えたことはあるでしょうか?

「食べていくこと以外に働くことの意味などあるの?」と考える人も多いかもしれません。

たとえば宝くじで大金が手に入ったら、仕事を辞めてしまってのんびりと残りの人生を過ごしたい。
こういう夢を追って、宝くじを買い続けている人も多いことでしょう。

もちろん偶然に大金を手にしたりあるいはすでに持っている人が、仕事をせずに毎日を過ごしたいと考え、それを実践することができたとしても、人は仕事をすべて手放すべきではないと僕は考えます。

その理由ですが、
『人間にとって働くということは、呼吸とおなじように大切な生命活動のひとつである』という仮説を僕はもっているのです。

どういうことか説明します。

まず人間が生きていくために必要な最低限の生命行動を考えてみます。
それは呼吸をすること、食べる(水分補給を含む)こと、排泄すること、寝ることの4つです。

もちろん細かいことを言えば、体温管理などという問題もありますが、
極論をいえば、人は「息して」「寝て」「食って」「出す」ことができていれば、生き続けることは出来るはずです。

もしかしたらすでに限りなくこの4つの行動に近い活動のみで、毎日を過ごしてしまっている人もいるかもしれませんね(笑)

しかしこういった最低限の生命活動だけで毎日を過ごしていると、人間はどうなってしまうのでしょうか?


その昔、ローマ帝国の時代にフリードリヒ2世という皇帝がいました。

この方は少々変わった人で、なにか疑問が沸くと、その疑問を解決すべく実験をおこなう癖がある人だったようです。
そしてある日、こんな疑問を感じたのです。

『言葉を教わらないで育った子供は、いったいどんな言葉を話すのか?』

こういう疑問を思いつくのもすごいですが、これを人体実験で解明しようとしてしまうのが、この時代の皇帝の怖いところです(笑)

さっそく部下に50人もの赤ん坊を集めさせて、大部屋に隔離し、その子たちには一切の言葉を聞かせないまま育てるのです。

ミルクやオムツ変えやお風呂などの面倒は充分にします。
ただし接触するときは、赤ちゃんの目を見ない、笑いかけない、話しかけない、必要以上に触らないというルールを看護士には義務付けました。

このように一切の愛情や刺激や情報を与えないで育てていた赤ちゃんたち。
いったいどうなったと思いますか?


全員、あっという間に死んでしまったそうです。

※まあこの実験自体が本当に行われたのかという疑問もあるようですが、歴史上、過去には同じような実験をした人たちが結構いたという記述も残っているようで、その場合もやはり同じような結果になっていることからも、少なからずこの実験結果には信憑性があります。


そしてこの実験結果から解ることですが

人間は、単に生命維持だけの生活に偏ってしまうと、逆に生命エネルギーがやせ細っていくという事実です。
つまり人には生きていくための生命活動以外に、なんらかのプラスの刺激がすごく大切なのです。

その刺激とは仕事だったり、趣味だったり、ボランティアだったりと様々あるでしょうが、取り分け“はたらく”ということは、毎日にあたらしい刺激を与えてくれる大きな役割りをもったルーティンなのです。

また人に限らず、生命にとって“はたらく”ことは、課せられた生命活動の一つといっていいでしょう。

餌をもとめて歩き続ける蟻んこだって働いていますし、植物だって根を張り、太陽の光を求めて上へ上へと葉を広げ、枝を伸ばします。

もちろん動植物たちにとっての“はたらく”は食べていくこと、生命維持の為の仕事です。
しかし人間にとって“はたらく”という行動は、単に生きるという目的以外にも、生きがいや生命力や知恵の向上というプラスアルファを与えてくれる、活動に幅を与えてくれるものという一面もあるのです。

そしてその一面こそが、人間の人間たる所以とも言えますし、逆にその一面がない人生を歩むということは、刺激がなくて死んでしまった赤ん坊のように、生命エネルギーを失っていってしまうことに繋がります。

朝早くおきて庭の手入れをしたり、玄関前を掃除したり、孫の世話をするお年よりも働いています。
子どものお弁当を作り、ご主人を会社に送り出し、家の掃除や洗濯をする専業主婦も働いているのです。

かならずしも『働くこと』イコール『お金を稼ぐ』ということではないのです。
働くということは、言うなれば『毎日の景色を変える』ということなのです。

新しい人や環境と出会い、視点が変わる、景色が変わることで、新たな展開がひらけていきます。
1歩すすめば視点は変わり、未来も変わります。

人の生命エネルギーを細めていく一番よくない原因は、視点の変化がなくなってしまうこと、立ち止まってしまうことでしょう。

もしあなたが病気で寝込み、天井しか見れない立場になったとしても、活動を止めてはいけません。
未来にむけて一歩でも進むために、今出来ることを考え、実践する毎日でなければいけないのです。


また昨今、仕事ができる体力と時間をたらふく持っているけれど、精神的に弱さがあって仕事をしていない“ニート”と呼ばれる人たちが増えているようです。
もちろん中には病気であったり、小さな子供がいて働くに働けないという環境の人もいるでしょう。
しかしそういう環境外でありながら、なかなか新しい一歩が踏み出せずにいる方に、最後にお伝えしておこうと思います。


三十代後半、四十代、五十代になった自分を雇ってくれる会社があるはずない。
新しい職場で溶け込む自信がない。
自分のやりたい仕事がいつまでたっても見つからない。
自分はうつ病だから、仕事を続けていくことが出来ない。


自分が働けない理由に、このようなマイナスな理由を言い訳にしてしまっている自分の存在に気付いているのなら、あなたにはまだ仕事で活躍するチャンスが残されています。
そして働かない自分を否定せずに、肯定化している自分がいるのなら、はやくそいつとは手を切ったほうがいい。

あなたが働けない本当の理由は、あなた自身が作りだしている“臆病な自分”というもう一人の自分からの説得です。
本当はあなたは今日からでも働くことが出来るはずなんです。でも臆病なもう一人の自分があなたにいろいろと言ってくるのです。

「お前が求められているような職場なんてあるわけないぞ」
「お前に今さら何ができるんだ?」
「お前よりもうんと若いやつに頭下げて仕事を習うのか?」


こういう臆病な自分の言葉に言いくるめられてしまうと、どんどん時間だけが流れていきます。


ぶっちゃけ仕事なんて何でもいいのです。
働いてみてどうしても嫌ならチェンジして構わない、転職する権利はだれにでもあります。

自分にあった仕事、満足感の高い仕事、条件の良い仕事。
もちろん見つけることが出来ればいいですが、実際はなんらかのマイナスな要因が目にとまって、すぐに他の仕事を探してしまうの繰り返し。いつまでたっても仕事は決まらない、そのうちに働く意欲すら失っていく。

そういう道を歩まないためには、とにかく“間”をあけないことが重要です。
何らかの理由で仕事を辞めたとしても、そこで一息つかないこと、間を空けずに次の仕事に就くことです。


仕事は最低限稼げればよいと割り切ってしまえば、いくらでもあるはずで、とにかく現状から1歩進むことで見えてくる景色の変化、これが重要なのです。

景色が変われば行動パターンも変わり、考え方も変わり、出会う環境も変わっていく。
それはつまり未来が変わっていくということです。
目に見える景色が変化していく中で、本当に自分がやりたいものや、やりたかったものに出会える確率は上がっていきます。
立ち止まっていても景色は変わりません。思い描いているだけでは駄目なのです。

今まで未経験の仕事であろうと、力仕事であろうと、夜間勤務であろうといいんです。
ニートだという人はとにかく一歩進むことで景色を変えることが先決です、それによって目標が遠のくことはありません、むしろ近づいてきます。


“はたらく”ことは人生を華やかにするための色付け作業であって、人間は色のない人生を歩めない唯一の動物でもあるのです。



東京より
白石

バリ島アグン山にはやはり神が住んでいる

白石です。

今、バリのウブドというところに来ています。

ここ数年続けている半年に一度の行(パワーチャージ)、アジアの霊峰マウントアグンに登頂するためにここ数日滞在しています。

ここのところバリはあまり天気がよろしくない日々が続いていて、雨の日が多かったのですが、タイミングをみてついにアタックしてきました。

もともとウブドは山の中なので涼しい地域ですが、太陽があまり出ないので気温も上がらずにかなり寒いなかでの登山となりました。

真夜中の樹海のジャングルを抜けるのに、ぐちゃぐちゃの泥の川のような、窪みのような、なんとなく道のようなところを這いつくばって、樹海を抜けるのに3時間くらいかかってしまいました・・・。

近年ない厳しい登山になりました。

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でも、でも、行かねばならぬ~
なぜなら世界最高の場所が待っているんですから(笑)



そして、、



足元がきびしい中を登り続けること6時間半




こんな素晴らしい景色が僕を待ってました。

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雲海を真っ赤に染めるサンライズ


もうこの山には何回登っただろう・・・

でもはじめてだよ、こんなの。


奇跡のような景色。

しかも独り占め。


今回は大変だったけど頑張って登ってよかった。

おNewのトレッキングシューズは大変なことになったけどね(笑)

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山頂で1時間の瞑想とチャージで霊的パワー満タン!

半年ぶりに掘り起こしたクリスタルも、これ凄いね。
最高の状態で、ほんとに強烈!



よし、ミッション成功!!

さあ日本に帰ろう!




バリ島 ウブドより
白石

“瞑想”知らぬは一生の損 part1

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こんにちは、白石です。

さて、今回の『魂の智見』ですが、じつは以前からこのSSSで取り上げなくてはと思っていた題材がありますので、今回から何回かにわけてお伝えしたいと思っています。

それは“瞑想”についてです。


「ええぇぇ瞑想?? 私、興味なーい」


今、こう思ったあなた。

僕は、そういうあなたにこそ“瞑想の本当のすごさ”お伝えしたいのですよ(笑)

というのも、ほとんどの方は瞑想についてその本当の効果をしりません。

僕のホームページやSSSでもたびたび瞑想については触れてきましたが、なぜ瞑想がよいのか、具体的にどんな効果があるのか、ということについては、詳しく説明する機会がなかったように思えます。

そこでこの機会に、瞑想の意味や、やり方、効果についてお話してみようかなと思います。


瞑想については数年前になりますが招待制のホームページのなかで“白石式瞑想法”をお伝えしています。
覚えていらっしゃる方も多いでしょう。

ただあの瞑想法は山頂火口での黒カルマの浄化を想定したものですから、普段、自宅でする瞑想とはまた違った意味合いになります。
もちろん自宅ではヴォルフォースの流れを意識する必要はありませんから、一般的に言われている瞑想法をすることになりますが、一口に瞑想といっても様々な手法があり、何を目的とするかによってもそのやり方が変わってくるのです。

一般的にリラックスや集中力の強化などを目的とした瞑想は“サマタ瞑想”といわれるものです。
日本人が理解しやすい言葉に直せば“禅”ですね。

心穏やかに無の境地に入っていくことで、精神の安定や肉体の回復だけでなく、脳の活性化、心の余裕や正しい判断力なども生み出す効果があります。

またサマタとは別に“ヴィパッサナー瞑想”というものもあります。

いずれもインド由来の仏教から生まれた瞑想法といわれていますが、ヴィパッサナーはサマタの先にあるもの。
いわゆる悟りや解脱といった境地に達するための瞑想法で、ブッダもこの瞑想法で悟りを開いたとされています。

まあ普通の人が悟りを開くことを目的にすることはありませんから、一般的に瞑想といえばサマタになります。


この瞑想ですが、普段から日常的に瞑想をしている人はたぶんあまりいませんよね。
おそらく読者の皆さんも、したことがない人がほとんどではないかと思います。


『よく“瞑想”という言葉は聴くけれど、そもそも意味がわからない。瞑想ってなんなのさ?』

『瞑想状態ってどんな状態のこと?』

『瞑想すると、どんないいことがあるの?』


こういう疑問をもっている人がほとんどでしょうから、そこに価値観を見出すことはできないでしょうし、あえて判らないことをやってみようという気持ちも起こらないのが本音でしょう。

これは例えるなら、外国人にお風呂の良さを伝えることと同じかもしれません。

我々、日本人はお風呂の湯船につかることの効能は体験を通じてよく知っています。
でも生まれてこのかたシャワーしか使っていない国の人に、わざわざ毎日のように熱いお湯を大量にためて、そこに数分間もつかることの意味を説明するのはなかなか大変なことです。
不経済だし、場所をとるし、時間の無駄だと片付けられてしまうこともあるでしょう。


同じように、瞑想の良さを皆さんに伝えることは、「リラックスできる」「集中力が発揮できる」「細胞が活性化される」などというメリットが理解される前に、“面倒”“むずかしい”という思い込みが先行して拒絶されてしまうことのほうが多いのです。

瞑想はお風呂と一緒で、続けることができれば離れられなくなるくらいにその良さが理解できるもの。
こう考えてみると瞑想の価値観は伝わりやすいでしょう。


たとえば瞑想の良さは、瞑想や禅を実践している有名人がとても多いことでも判ります。

世界中の誰もが知っている企業のCEOやミュージシャン、スポーツ選手、俳優などなど、瞑想や禅を日常的におこなっている人はとても多いんですね。
反対に一般の人ほど、瞑想には無関心な比率は高くなると思います。

これは成功者と呼ばれる人の立場になると、いかに自分の精神をコントロールすることが日常のパフォーマンスに影響力を与えるのかということを、身をもって体験しているがゆえのことかもしれません。

つまり肉体の健康に気を使うだけなのが一般の人だとするならば、さらにその上の考え方として、精神や魂の健康状態にも気を使うようになる人。
やはりこういう人が、成功するべくして成功していると考えることもできるでしょう。

まあ確かにすべての瞑想実践者が成功しているということはありませんが、すくなくとも実践していない人に比べると、その毎日の生活において、様々な恩恵を受けているという考え方はできます。

知らぬは自分だけかもしれません。


最近はヨガがブームになったこともあって、一般の人でも以前よりは瞑想に触れる機会が増えたかもしれませんが、実際はまだまだ一般的とはいえないものです。
でも、だからこそ人より先にはじめてみるのもいいと思います。

では具体的な瞑想方法についてお話を進めていきたいと思ったのですが、話しが長くなってしまうので、また例のごとく次回以降に引っ張ってみましょうか(笑)


でもちょっとだけ・・次回以降の予告を。

じつは瞑想とはまた違うのですが、以前、僕がまだバンコクに住んでいたときに“ひらめいた”アイディアが段々と見えてきました。
覚えている方もいるかもしれませんが、魂の“ひらめき”を得ましたというエントリでのことです。

これにともない、過去、例を見ないスタイルの魂の実験を考えています。
これは読者の皆さんが参加するかたちで行いますが、もしかしたら魂の柔軟性において画期的な効果を生み出す可能性があります。
近いうちに実施できたらといいなと思っていますので、参加してみたい方はたまにここをのぞきに来ておいて下さい。
告知してから1ヶ月くらいの猶予をもって実施したいと思っています。
参加はもちろん無料です。そのときはぜひご協力をお願い致します。


あと追伸というかお知らせです。
いよいよ7月は半年に一度のアグン巡礼でバリに渡航します。
今月プロフィール欄のなかでひっそりとお知らせしてきましたが、そろそろ7月渡し分のアグンクリスタルの予約は受付を終了する予定です。
おかげさまでこのSSSを通じて継続くださる方からの注文が多く、部屋置きに関しては数を増やしたにも係わらず、現時点でほぼ完売となりそうです。
購入を考えていた方はお早めにご連絡ください。尚、完売の場合はご了承ください。


東京より
白石

霊に憑かれるということ ―魂のリプライ―

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先日、ホームページを読まれた方から質問をいただきました。

「白石先生は霊能師なのに、なぜ地縛霊や浮遊霊や除霊についてのお話しがないのですか?
ほかの霊能師の方のサイトを拝見すると、低級霊に取り憑かれた怖い体験談や除霊に関する話しなどが書かれていることが多いです。」

要約するとこんな感じの質問だったわけですが・・・

ふむふむ、この読者の方は僕の書く文章にすこし物足りなさと言うか、ほかの霊能ブログに比べて違和感を覚えたのかもしれませんね。

まあ僕が書く内容は、霊能師という割にはちょっと霊的な恐怖要素が足りないと言うか、地理や科学の勉強みたいだったり、道徳的な要素があったりと、たしかに他の霊能師ブログと比べると、すこし異質なものかもしれません。

また“魂”に関する記述が多いので、この読者さんは「この人は本当に霊能師なの?」と疑問に思ったのでしょう。

このブログのディープな読者の方は理解できているのでしょうが、浅い読み方をしている人には、霊能者のイメージというか先入観があるので、僕のようなタイプはなかなかスンナリとは理解できないのだと思います。

まだまだこのブログだけでは、全ての人にまで魂のことは伝わりきれていないようですね。

でも実は僕は一貫して、このブログでもホームページでもそうなんですが、霊に関することや、霊に取り憑かれた話しを書き続けているのですよ。

理解できない方のために、一応、復習がてらに書いておきましょう。


いいですか?


まず“霊”と“魂”は同じものなのです。


自縛霊とか動物霊とか水子霊とか、いわゆる幽霊とかお化けとかヒトダマとか言われるもの
これはすべて“魂”なのです。

霊魂などとも言いますが、言い方の問題だけで、要は魂そのものです。

また、霊に取り憑かれた、憑依されたといわれるもの
これは他の魂による、自分への魂への攻撃を意味します。
いわゆる魂と魂がぶつかることで削れて、黒カルマが発生する状態ですね。
これは言い換えれば“憑依”“憑かれた”ということなんです。

霊に憑依されて体調が崩れたり、生活がおかしくなったり、精神が病んだりといった状態。

このメカニズムを一般の人にも具体的に判りやすく説明していくのが、このブログの意図するところなんですよね。

ですから、このブログではおどろおどろしい自縛霊の話しは出てきません。
背筋が凍るような怖いお化けの話しもしないですしね(笑)

病気の話しに例えるなら、
癌にかかってしまってこんなにも苦しんだ、大手術したという話しではなく、

なぜ人は癌にかかるのか? どうすれば癌を予防できるのか?
また癌に侵されてしまったら、どうやって完治させるのか?

こういうややメカニカルな視点、そもそも霊とはなんぞや?という、いままで曖昧にされていたところを分解してお伝えしているサイトなのです。


「霊が憑依して悪さをする」というサイクルを事細かに説明している方が他にいないので、どうしても僕のサイトには異質感がありますが、まあ慣れてください(笑)

でもそのうち時間があったら、夜中に一人で読んだらトイレに行けなくなってしまうような怖い話しも書きましょうかね(笑)


ところで話題は変わりますが、
最近は読者の方からの相談をいくつか受けているんですが、なかなかハードな方が多いですね(汗)

ほぼ毎日のように全国から数通の相談事のメールが届くんですが、一応、時間があるときに、その方の魂をささっとですが見させてもらっています。
でもそのほとんどは実は“魂”とは無関係な問題です。

時間もないのでそういった方には特に返信はしていませんが、中には「おいおい」と思えるような人がたまにいます。

そういう方にはなるべく返信して、メールでカウンセリングしてあげるようにしているんですが、危険度が高いのはやっぱり“もらい黒カルマ”が多い人です。

過去になんらかのアクシデントなどで他人から恨みを買ってしまったり、意図しない誤解から生じた人間関係の亀裂が攻撃的な魂を生み出してしまっていたりと理由は様々ですが、長い年月に渡って魂にアタックを受け続けてしまうと、やはりどんな健康な魂であっても痛みが出てきてしまいます。

また攻撃を受ける人は地の性格が悪い人なのかというと、必ずしもそうではなく、むしろ良い人のほうが多かったりするのです。
これは本当に突発的なアクシデントがもたらした不幸です。

そういう人はやはり何とかしてあげたいという気持ちがありますからつい連絡してしまうのですが、最近も水子霊に憑かれてしまっている方にお節介を焼かせてもらいました。

せっかくなので、すこし水子についても書いておきましょうか。


水子霊は、中絶や病気などで亡くなった赤ん坊の魂だというのは皆さんご存知だと思います。

でも水子霊が成人の魂に比べて、とっても強いエネルギーを持っているということは知られていません。

それは“生きる”ということに対して純粋で、肉体に生命を宿らせる初期の段階ゆえの力強さがそなわっているからなんです。

止まっている車が走り出すときに一番パワーとトルクを使うように、魂もまた肉体を生命の起動に乗せるときに一番パワーを使うのです。
つまり『一生懸命に生きよう』とするのです。

ところがそんな魂のパワーを受け止めるべく肉体が、なんらかの理由で不幸にも無くなってしまった場合。
そのときに水子の魂はどうなるのか?

なかには肉体が無くなったことを受け止めて転生する魂もありますが、そうでない魂も多くいます。
つまり浮遊霊となってしまうのです。

しかし水子の場合は、ただやみくもに浮遊することはありません。
どうなるのかと言うと、自分の肉体の親となるはずだった魂の元へ向かうのです。

そして単にそばにいるだけでなく、乳をもとめて母親の魂にやや攻撃的に魂をぶつけてくることもありますし、安心をもとめて父の魂にぶつかってくることもあります。
小さな子供の魂ですから本能的に欲求をぶつけてくることが多いのです。

ただ幼い魂とはいえパワーが強いゆえ、意外にも我が子の魂で黒カルマを生み出してしまう両親のケースはとても多いのです。
こういった水子霊はすみやかに転生を促す必要があります。


まあ、たまには霊能師らしい話しで締め括ってみました(笑)



東京より
白石

科学者が検証した幸せの上手な探し方

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新年の挨拶を掲載してから、ありゃりゃもう5月(笑)

今年から日本で活動再開していますが、ゆっくりと過ごそうと思っても、やっぱりなんだかんだと忙しくなってしまいます。

タイのゆったりタイムに慣れていたので、あわあわしてしまう日々になかなか順応できませんでしたが、最近はすっかりジャパニーズタイムでバリバリ活動できるようになってしまいました(苦笑)

ただ以前と違うのは、精神的に根詰めるところまでシビアに仕事をしていくことは無くなりましたね。

どこかタイのマンペイライ(大丈夫、なんとかなるさ)精神が根付いていて、忙しい中でも心のなかに余裕というか、休憩所のような場所が感じられます。

この仕事は不幸なことや困難を扱うことが多い仕事ではあるんですが、そんななかでもご相談者さんとのあいだに、空間がはりつめない緩やかな時間が過ごせている感じはしますね。
僕もすこしは成長できているのでしょうかね?


さて、先日気になる記事を見つけましたのでご紹介します。

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科学者が検証した幸せの上手な探し方。誰か(何か)の為にする小さな一善(米研究)

誰もが幸せになりたいと願う。幸せの追求のは人生の中で最も必要不可欠な目的の一つであり、幸せは精神的な健康の証とみなされることが多い。しかし幸福とは多くの人々が思い描いているものよりも不可解で複雑であり、幸せへの欲求がはっきりしているにもかかわらず、それを達成する方法は曖昧だ。

 米スタンフォード大学の社会心理学者、ジェニファー・アーカーと、ヒューストン大学のメラニー・ラッド、ハーバード大学のマイケル・ノートンは、人々が心から実感できる幸せについての研究を行った。それによると、人は自分の為に何かするよりも、誰か(何か)の為に良いとされることを行い、それを達成できた時に最も大きな幸福感を得ることがわかったという。


研究チームを率いたアーカーは、「幸せへの道」がぼんやりしている理由の一つとして「人々はたいてい自分は幸せになる方法を知っていると思っているが、本当に自分を幸せにするものを間違えていることが多い」ことをあげている。

 研究チームは基礎研究と全国調査の蓄積データから543人の人々を対象に様々な実験を行っていった。その結果、人が幸せを手に入れるもっとも有効な手段は、「誰か(何か)をより幸せにする」ことに専念するということがわかったそうだ。ではどんな方法で行っていけばよいのだろうか?

誰かの為に具体的で実行可能な目標を定めそれを実行する。

誰か(何か)の為に、直ぐにでもできる小さな目標を定め、それを実行すると良いそうだ。つまり、「漠然とした善行や環境保護を目指す代わりに、そこにいる誰かを笑顔にしたりリサイクルする物を増やす。」 という自分にも実行可能な分かりやすい目標を定めてそれを実行していくのだ。

 誰か(何か)をもっと満足させる計画を立てることはそれ自体に幸せ効果があるが、それを実行しようとして具体案を考えることでさらに大きな幸福につながるという。具体的な目標は、成功した姿を思い浮かべることができる。それが目標の達成へつながる。

例えば骨髄移植に関する実験は、移植が必要な人に対し被験者が「骨髄を提供するかどうか」という抽象的な目標を持つのと、「ドナーを見つける手助けをする」という具体的な目標をもつのとではどちらがより幸せになるか、という点に注目して行われた。

 結果は、ドナーを探す手助けをする方がより幸せを感じる、というものだった。これらの「幸せの効果」は、目標を達成できるという”期待”と実際の”結果”との間にできるギャップに関係する。抽象的な目標は非現実的なことが多い。より具体的な目標を立てた方がそのギャップは小さくなり幸せが大きくなる。

ビジネスの例をあげると、「トムズ・シューズ」という靴屋は、まさに実現可能で見込みのある目標を消費者に持たせることで、幸せを増殖させていった。

 この靴屋で靴を1足買うと、別の一足を世界中にいる靴が必要な貧しい子供たちに届けてくれる。靴をもらった子供たちはもちろん、靴を買った消費者も靴を買うことで「誰かを幸せにする。」という目標を達成できる。

ただし、良かれと思ったことがかならず良い結果をもたらすとは限らない。研究者は指摘する。「その道の途中には”不幸のトラップ”が待ち受けている。善意で行う事が裏目に出るような形で不満が残ることもあるかもしれないが、それは幸せを追求する際どこかでくわす可能性があるということをまず理解しておくべきである。」

 例えば電車で席を譲ろうとしたら不機嫌な顔をされたとか、泣いている子どもに声をかけたら通報されるといった事案だ。そういったトラップに出くわすと、人は他者の為に何かしようとしなくなるが、そこで留まるっていると満たされない気持ちのままずっと過ごすこととなる。それは自らを幸福へと導く為の通過儀礼であると割り切った方がよさそうだ。

 少しだけ楽観的に考えればよい。自分以外の誰かに何かをもたらす人々の目標が現実的にはっきりして、具体的なレンズ越しに見えたとき、素晴らしい幸福はすぐそばにあるということだ。

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この記事を読んで、ピンときた人は僕のブログをよく読みこんでいる人だろうと思います。

過去にブログで伝えてきたことが、科学的な視点から書かれているだけで、結論付ければ『善行とカルマ』ということにつながっていることが理解できるでしょう。

本当の善行 善行と偽善の大きな違いとは?などでもお伝えしましたが、目の前の小さな善行を自然に積み重ねることは、流れ流れて自分の元へ幸福として戻ってくるのです。

それはどんな形であるかはわかりません、まったく想像もしなかった形であるかもしれません。いや形がないものかもしれない。

本当の幸せとは、お金や形のあるものに限らず、あなたの心を緩やかにし、豊かに、そして優しい気持ちにさせてくれるもの。

それはある種のエネルギーともいえます。

良いことも、悪いことも、すべての要因には未来へつづくエネルギーの種が詰まっています。
そしてそれは、時を経て必ず自分が浴びることになるのです。


東京より
白石

smiling again