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魂の大実験 まとめと結論

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もう6月ですか・・・。
来月はもう定例のアグン巡礼月です。半年がほんとに早いね。
そろそろまた色々と準備しないと・・
ここのところ身体もなまってるし、本格的な梅雨前にどこか予行練習で登ってこないとな・・。

などと困った風につぶやいていますが、実は初夏の登山へ行くのが楽しみで仕方ない白石です(笑)


さて現在、SSSでは新しいテーマで『魂の智見』をお送りしていますが、その合間に、昨年みなさんにご協力いただいた『魂の大実験』についてのまとめをお伝えしておこうと思います。すっかり時間が掛かりましたが・・。

今回の実験が魂にどういう変化をもたらしたのか?
またそれは、何らかの効果といえるものだったのか?

参加くださった方から多くの感想を頂いていますので、これらをまとめたものを解説しながら、僕の考察と実験結果も書いていきたいと思います。

さて、そもそも『魂の大実験』を開催することになったいきさつを簡単に振り返ってみたいと思いますが、ご存知のように僕の仕事は、傷ついた魂の修復です。

どうすれば効率よく黒カルマを除くことができるのか?また傷つき硬化してしまった魂を修復する方法はないものか?
これらの課題を解決すべく、過去にも様々な仮説を立てては実験をくりかえしてきました。

そんな中、時は2013年2月、当時僕がまだバンコクに住んでいたときでした。
ひょんな事例から魂のひらめきを得て、いてもたってもいられずこのブログに書き込んだことが始まりです。
魂の“ひらめき”を得ました

その後このひらめきを形にすべく、どういう実験方式をとればいいのかを考え、そして考え付いたのが『魂の大実験』だったのです。
魂の大実験 参加者大募集!!


思い起こすと魂の修復作業は、常に僕個人の能力の範囲内での作業でした。

しかし所詮、個人の仕事ですから、対象者数も限りがありますし限界があります。
事実、その限界がきて、僕は一度はこの仕事をあきらめて引退した経緯があります。


ただ、やはり頭の中にはどこか割り切れない思いが渦巻いていて、引退したとは言いながらも、常にその問題を解決する手段がないものかと考えてばかりいたのです。

そして考え付いたのが『多人数型チャネル融解法』という仮説です。


人によって強弱はありますが、人間には潜在的にチャネリング能力というものがあります。

チャネリングとはテレビのチャンネルと同じ、つなぐ、つなげるといったような意味を持つ言葉です。

人は想いが高まると、魂を飛ばす能力を持っているのです。
チャネリング能力が高い人は、それこそ遠く離れた地にいる他の魂とコネクティングすることが出来ますが、ただこれには強弱があり、人によって能力に大きな差があります。

しかしたとえ弱い能力しか持っていない人だったとしても、他の魂をやさしく包み込んで労わろうとする魂が一堂に集合したら、もしかしたら魂が互いを修復しあうといった現象が期待できないだろうか?
ふとした閃きでしたが、これを思いついたとき、正直、身震いしました。

そして確信はありませんでしたが、なんとなく上手く行きそうな予感が働いたのです。
僕個人の能力で仕事をするのではなく、たくさんの魂をあつめて仕事をしあうという相互型の修復方式です。

そしてついに昨年2015年1月5日の実験には、このブログSSSの読者、約300人からの方が参加くださり、同じ日の同じ時間に満月に想いを飛ばすという前代未聞の大実験が行われたのです。

そしてその結果は非常に興味深いものでした。


感想を頂いたうちの7割くらいの方が、気持ちに落ち着きと癒しを感じ、4割の方が誰かの存在を感じ取り、3割の方が身体的に暖かさを覚え、2割の方が声や光を見聞きしました。

特に何も感じることが出来なかった人も3割程度いましたが、多くは他人の目線や雑音、寒さなどが原因で集中しきれなかったという人が多かったようです。

この時期は真冬でとても寒い日で、満月を見るために外で参加した人が多かったですから、なかなか集中しきれなかったかもしれません。まして初めての経験ですしね。


しかしながら300人中、200人以上の方がなんらかの効果があらわれたことは、うれしい結果だったと思いますね。

その後、読者の方からたまたまNHKで放送していた興味深い番組のことを教えてもらい、ますますこの結果が必然であったと思えるようになっていったのです。
魂の大実験を解説してみます


そのため、更なる効果が期待できるとの読みから、2015年5月10日から12月25日までの期間、満月の夜に全9回の同実験を再開。
長期に渡った場合に、どういう効果が期待できるのかを検証してみたのです。

毎月参加くださった皆さんからは、魂が喜んでいる実感を得られた方が多かったようで、今年も継続してほしいという意見も多くいただいていますし、今も満月の度に必ず月に想いをよせている方もたくさんいらっしゃるようです。


ただ今年になって実験を続けなかった理由としては、皆さんからいただいたフィードバックや、参加者の魂のウォッチを入念に検証しなおした結果、残念ながら魂の修復までは至っていないという結論に達したからです。


これは参加してくださった方はちょっと残念だと思いますし、僕も皆さん以上に残念なんですが、皆さんの貴重な時間を割かせてまでお願いするほどの超絶した効果は得られないだろうと判断せざる得ませんでした。

一時的な魂の休息効果は期待でき、瞑想方法としては最高峰ともいえる効果が得られるので、継続することで魂に悪いことは何もありませんし、もし普段から瞑想をつづけている方がいましたら、毎月の満月、夜9時からの15分間は『多人数型チャネル融解法』を続けていってください。
これはあくまで任意参加なので、特にSSSで実況したりすることはありませんが、普通の瞑想よりもあきらかに沈静効果はあります。
今も続けている人が少なからずいますから、もしかしたら更に長期にわたった時に効果が生まれる可能性もあります。


ただ、ただ残念ながら、僕が期待していた魂の修復というテーマにそってみると、今回の実験では完全解決とはいかなかったということです。
これがうまくいけば本当に美しかったんですけどね。

しかしだからといって、今回の実験は無意味だったのかと結論付けるのかと言うとそうではありません。

魂が一つの方向に動いたときに感じたエネルギーのうねりは、今まで体験したことがない強さをもったものでしたし、おそらくあのレベルのエネルギーの先に、僕が目指す答えが見つかるのではないかという、漠然としていますが光も見えました。

さらに知恵をしぼり、もう1枚、2枚、ドアを開けないとハッキリとした光は見えてこないのかもしれませんね。
やはり魂という運命体に手を加えるということは単純簡単ではないということでしょう。

今回の実験を終えて、僕の率直な感想としては、

ほんとうに魂はむずかしいな、としみじみ。けれど魂は本当に面白いものだなと、しみじみといったところです(苦笑)


最後になりましたが、僕の思い付きの魂の大実験に、貴重な時間をさいて参加して下さったたくさんの皆様にこの場を借りてあらためてお礼とお詫び申し上げます。
どうもありがとうございました。そして期待に応えらえずにごめんなさい。
どうか皆さんが落胆し、魂に興味をなくしませんよう。今後もあきらめずに一緒に道を探っていってくれたらと願います。


東京より
白石

死 ~魂の行方~ part1

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人は死ぬとどうなるのか?

きっと誰もが考えたことがある疑問でしょう。

生前、善い行いをしていたものは天国へ、悪いことをしていた人は地獄へ。
我々は幼いころからこう聞かされ、天国へ行くために道徳を学んできました。

いまはドクドクと元気に働いている心臓が、そっと活動を止めたとき、いったいその1秒先にはどのような世界が我々をまっているのでしょうか?

魂と肉体の関係性を語るなかで避けては通れない“死”という問題。

『魂の智見』

今回からの新しいテーマとして、“死 ~魂の行方~”と題してお話をしていきたいと思っています。


ちょっとテーマが重いなと感じる方は飛ばしていただいて構いませんが、“死”は誰もがいつかは体験することになる人生の2大イベントのひとつです。
生きることと死ぬことはセットですから、生きている以上は誰もが避けることができないのが“死”というもの。

“いつかくるその日”を我々はどう受け入れ、そしてどう迎えるのか。

この難問を元気に過ごせている今だからこそ、一度じっくりと考えてみるのです。
とくに身近な方が亡くなり、悲しみの縁から逃れられずにいる方には知ってほしいことでもあります。

そして死ぬことは恐怖だと感じる人間という生命体が、いかに狭い枠のなかで生きているのかも合わせて知っておくべきでしょう。


ちなみに僕は自分が死ぬことにまったく恐怖を感じることはありません。
こういう仕事を続けていると人の死に直面することは多くありますし、死がもたらす悲しみや憤りは覚えますが、自分が死ぬことに対して怖いという感覚は持ったことはないのです。

たしかに“死”はすべてを奪い取っていく最悪の現象でしょう。多くの人が出来ることならば一生係りたくないと思っているはずです。
僕だって死にたくはありませんし、今の人生をもう少し楽しみたいと思っています。

しかし、もし仮に、明日人生の幕を閉じることになるという運命だったならば、それはそれで受け入れるしかないとも思っています。
そこに恐怖はありません。がっかりはすると思いますが、我を失うほどに錯乱することもないでしょう。
大切な人に別れの挨拶をし、しずかにその瞬間を待つことになります。

なぜ僕が“死”に対して、恐怖を感じないのか?

それは“死”という現象が、終わりではなく、始まりであることを知っているからに他ありません。
このブログSSSでも何度も魂と肉体の関係性を説明してきましたが、有限な肉体に対して、魂は無限であるということ。
“死”は魂にとってひとつの区切りであって、滅亡ではありません。
古い肉体を脱皮し、新たな肉体を身にまとうことを永遠と繰り返す、輪廻(りんね)の境界線こそが、“生”であり“死”であるのです。

数年前ですが、ある方が息を引き取る瞬間に立ち会ったことがあります。
その方はガンを患い、最後は意識不明の状態のまま生命維持装置をつけた状態で息を引き取りましたが、僕はその方の魂がすでに肉体を離れ、転生の段階に入っていることがわかっていました。
しかしそのことを家族の方に告げることはさすがに出来ませんでしたが、僕は冷静にその魂の脱皮をみつめながら、ほとばしる魂の光を浴びていました。

朽ち果てていく肉体は血色が消えみるみる白みがかっていきますが、魂は逆に燦々と光を放ち、生命力に満ちあふれ、力強く、そして美しく旅立っていくのです。

悲しみに崩れ落ちて亡骸にしがみつく遺族のかたわらで、その光輝く魂のエネルギーはすでに次なる旅をスタートさせているのです。

僕はそういった二つの非なる光景を目の当たりにして、“死”は終わりなのか、それとも始まりなのかを悩んだ日もありましたが、この仕事を続けてきて今思うことは、“死”は決して終わりではなく、ひとつの卒業であるということ。

そしてそれは同時に新たな生命の誕生を意味する入学式でもあるのです。

それこそが“転生”
つまり生まれ変わるということ。

古い肉体を脱ぎ捨て、あらたな肉体の元で生命の光を宿す。
魂が尊く神秘であリ続ける理由が、この瞬間に凝縮しています。

しかしこの転生は、すべての魂が成功させることが出来るものではありません。

前世や後世の世界というものは、今現在の魂の状態と密接につながっていて、その一連のつながりは、すべて今、私たちが発するカルマの存在で左右されます。

つまり転生の成功の可否は、今の生き方がおおいに関係してくるのです。

誰もが死んだあとは天国に行きたいと願っているでしょう。
しかし俗に言われている“天国”と“地獄”の存在。

僕は、天国や地獄という区切られた場所があることは明確に否定します。
が、転生の成功や失敗が、魂にとっての天国と地獄にあたると考えているのです。

死後、なにごともなく新たな生命体へと転生がなされれば天国であり、転生がうまくいかずに現世に漂ってしまう浮遊状態の魂は地獄であるということ。

世の中には転生できずに何十万年と浮遊している魂が多く存在しているのです。

転生は誰もが出来るのか?
人間以外に転生することはあるのか?
転生のタイミングは?
カルマと転生の関係

次回以降は、この転生について触れていきたいと思います。



東京より
白石

よい出会いは魂がおしえてくれる part5

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はい、また例のごとく間があきました! お待たせしました白石です。

相変わらずやる事だけはたくさんあって、思うようにブログに向き合うことが出来ていませんが、まあ長い読者の皆さんはすでに諦めていると思いますが(笑)、最近の読者の方は「白石はなんてやる気のないやつだ!」とお怒りかもしれません。
ごめんなさい、ごもっともです。はやく慣れてください(笑)


さて、今回は4か月ぶり!の続きになります。
よい出会いは魂がおしえてくれる part5

長かったねー、8カ月におよんだ長編もついに今回でやっとやっと終わりということです。
引っ張りすぎて誰も着いてきていないという話しもありますが、それはそれで必要な人に渡ることになるのでいいかなと。。。

さあPart4の終わりでサラッと書いた、初対面の時に足の裏が熱くなる人はあなたにとって“悪い人”という真意についてです。
ここを解説して、この章を終わりにしたいと思います。


一応、前回までの内容を忘れてしまった人のために簡単に振り返ってみると・・

良縁に恵まれない人に隠されたロジックとはいったい何なのか?
それは確率論や第一印象の問題ではなく、その人の本質を見極める目をもっていないから。
その原因は、人間がかつて持っていた野性的な勘覚が退化してしまったことが原因である。
しかし現代人にも知られざる野生の力を感じ取る部位が残っている。それが足の裏。
足の裏の体感温度を感じとることで、魂の善し悪しを見極めることが可能なのだ。


といった感じです。かなり簡単ですが。
もし完全に忘れてしまった方や、最近ご覧になられたばかりの方は、ここを読む前に下のリンクから読んで来てください。
待ってますから。

よい出会いは魂がおしえてくれる part1
よい出会いは魂がおしえてくれる part2
よい出会いは魂がおしえてくれる part3
よい出会いは魂がおしえてくれる part4

はい、読んできましたね。
それでは続きです。


なぜ、初対面で相性の悪い人と対面したときに、足の裏が熱くなるのでしょうか?
それはあなたの魂が喧嘩をするからなんです。

「えっ私は喧嘩は大嫌いですし、もし喧嘩したらすぐに謝るほうです。」

こう思った人もいるかもしれませんね。

でもそれはあなたの脳内での考えに過ぎません。
魂の性質とは違い、単に理性が脳内で働いているだけなのです。

普段温厚でめったに喧嘩なんかしない人であっても、魂はかんけいなく喧嘩をするのです。
魂というのは意外に喧嘩っ早いんです(笑)

たとえば理性の少ない野生動物などは、何かにつけて喧嘩をよくしますよね。縄張り争いだったり、異性をめぐる争いだったり、餌をめぐる戦いだったり。
野生動物には喧嘩をすることで欲求を満たしたり、自分を守ったりする本能が備わっているのです。
つまり魂からの指令が理性という脳内フィルタで濾されることなく、ダイレクトに表に出ていくということです。

しかし人間の場合は脳が発達していますから、本能のおもむくままに行動する人はほぼいません。
脳の指令で本能さえもセーブしコントロールする術を長い年月で身につけてきたのです。

そういった魂の性質を知ったうえで、初対面の人と会った時の魂の状況を解説します。

まず初めての人に会った時、おたがいに相手の魂の波長を測りあうために探り合いをします。
そしてこの段階で安全だと感じ取れば、その後はおだやかなまま推移します。これはお互いに波長が合う、もしくは危険性がないと判断しあった場合です。

しかし中にはそうでない人と会うこともあります。

自分の魂と同期しない波長の魂と接触したときに、魂は一気にヒートアップし、お互いを遠ざけようとぶつかり合います。
このぶつけ合う様はまさに喧嘩そのもので、場合によっては削りあいにまで発展し、黒カルマを生みだすようなことも珍しくありません。

たとえば犬を飼っている方は毎日散歩に出かけると思いますが、その道中で、よその散歩中の犬に会うことってよくある光景でしょう。
その時に、犬はお互いのお尻などの匂いを嗅ぎあいますが、穏やかに仲良くしている犬のときもあれば、吠えて噛みつきそうになる犬に会うこともあると思います。

まさに人間の対面時も、こういったような光景が魂の世界では繰り広げられているのです。

そしてその魂のぶつかり合いが起こっているとき、現代人が唯一感じ取れる部分、それが足の裏なんです。
足の裏はいまだに野性的な部位ですから魂の異常を察知することができます。その異常とは体感温度です。

簡単にそのロジックを説明すると、魂が激しくぶつかり合うと、生命エネルギーのプラーナの流れが乱れ、ナーディやチャクラと呼ばれるエネルギーの通り道内のエネルギー圧力が高まります。
その圧力が身体の中で高まることで、本能的な感覚が残る足の裏で熱として感じることができるようになるのです。


ただ、魂が殴り合っているからといって、このときに肉体までも殴り合いをしているのかというと全くそうではありません。ここが犬と人間の違うところです。
意外にもおだやかに挨拶しあったり、笑顔で会話をしたりしているのです。
では脳内ではどうかと言いますと、まったく強い嫌悪感も感じていないことも珍しくありません。それどころかこの人は良い人だとか、尊敬できる人だとかすら思ってしまうこともあるのです。魂は殴り合っているのに(笑)

ここが人間関係で間違いを起こしてしまう現代人の防御能力の欠如の部分です。
魂は感じ取っていても、肉体(脳)が邪魔してしまうのです。本能を理性でくるみこんでしまう。

ですから、自分は理性がある、真面目で秩序的で馬鹿が出来なくて・・
実はこういう人ほど人間関係で間違いを起こしやすいのです。人に騙されたり、いじめられたり、おとしめられたり。

意外にのほほんとしてる、いわゆる天然だと言われるような人の方が、総じて人間関係は良好な場合が多いです。
それは脳内フィルタの目が粗く、魂からの本能的な指令が肉体に伝わりやすいからです。

こういった初対面時の魂の波長の相違は5%くらいの確率で起こると考えておいたほうがいいでしょう。
これは統計を取ったわけではないのですが、なぜその数字を出せるのかと言いますと、波長が合う合わないというのは、実は健康な魂同士であればまず起こらない問題だからなのです。

やせて黒カルマを多く生みだしているような不健康な魂との接触が波長の相違を生み、魂は防御のために喧嘩します。
つまり魂がこわれてしまっている人が、今の日本には5%くらいいるということなんです。

20人に一人ですから、これは無視できないほど多い数字だと思います。
たとえば進学したとき、職場が変わったときなどの環境変化にともなって、初めて会う人ってとても多いですよね。
また仕事上の付き合いや人の紹介など、私たちは普段意識せずとも様々な人たちと会うことになります。
家に閉じこもっていない限りは、皆さんかなりの初対面を経験しているのではないでしょうか?

でもこれは社会人にとっては避けては通れないリスクですから、我々は受け入れなければなりません。

いかにこのリスクを回避するのか?
この術を身につけることができれば、もっと快適に毎日を過ごすことが出来るようになるでしょう。


はい、どうですか?わかりましたか?
初対面の人に会ったら、顔よりも足の裏が大切なんですよ(笑)

足の裏が熱くならない人とだけ付き合うようにすれば、あなたの人間関係の構築はだいぶ楽になるのです。


ただこの話しには落とし穴があります。

それはあなた自身が5%の人間でないこと。

5%の人は誰と会っても足の裏が熱く感じません。魂が焼けすぎて炭のようになっているからです。
こうなってからではいろいろ大変です。


魂に柔らかさと潤いを。


なんかのCMみたいな終わりかただな(笑)



東京より
白石

よい出会いは魂がおしえてくれる part4

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今日は11月11日。ポッキーの日。

意味はありません。
というわけで前回からの続きです(笑)


今回こそサラッとサラッといきますからね。


さあ、前回は現代人が第六感を感じなくなってきたという話のところで終わりました。

現代人の勘がにぶくなってきた理由として、現代では切羽詰まって ”勘”を働かすような場がなくなってきたことが最大の理由だと思います。

現代は、いきなりビルの陰から凶暴なマンモスが襲いかかってくることもありませんし、刀を抜いた不良侍に切られることもありません。サイレンとともにB29が飛んでくることもありません。

すくなくとも勘が働かなくとも命の危険がなくなるということはなくなってきました。
もちろん現代でも交通事故などの危険性はありますから、命の危険が全くなくなっているわけではありませんが、特に勘を働かせなくても、種を残し、生命をつむぐことが出来る時代になっています。
もちろん、それは平和であることの証ですから悪いことではないでしょう。

たとえばペットの犬なども、昔の犬種にくらべて、現代の愛玩種は野生の能力がどんどん退化していっているらしいですね。
特に鋭い嗅覚や聴覚などがなくても、餌に困らずに、快適な環境下で種を残せるようになっているからでしょう。

ただ前回もお伝えしたように、野性的な勘がにぶってきたことで、人間関係における危機察知能力のようなものが無くなってきていることは、まさに現代においては皮肉といえるかもしれません。

はい、全然サラッと進んでいませんね。
大丈夫です。ここからついに核心に迫ります(笑)

さあ話しをぐわっと戻しますよ!

そう足の裏です。

足の裏?忘れた?
忘れたら戻って読んできて下さいね。

ここからよそ見せずに一気にいきますよ!!
出会いの良し悪しを第六感ではかる方法です。


あなたが初対面の人に出会った時は

適当に脳をはたらかせて、笑顔をつくりながら挨拶し、会話をはずませつつも、意識の片隅は

いいですか?足の裏において下さい。

足の裏です! 足の裏です!! 足の裏です!!!


では足の裏で何を感じるのか?

それは足の裏の温度感です。

初めて会ったそのときに、足の裏が異常に熱くなる人がいます。

ただこれ意識しないと気付きません。

大概の場合、初対面で緊張していると意識は上半身に集中しています。
心臓の鼓動が速くなり、やや血圧も上がり、呼吸も乱れがちに、顔も紅潮することもあります。手の平に汗もかくでしょう。
その流れで当然、足の裏も熱くなるのが普通だろうと思いがちです。

しかし意識してみるとわかるのですが、上半身の緊張や体温上昇感にくらべて、足の裏までもが熱くなるかというと必ずしもそうではないのです。

ほとんどの場合、初対面で他人に会っても、なかなか足の裏の温度感を意識するほどには至らないと思います。
それは上半身ですべてを受け止めているからです。

足の裏の体温の上昇。
これは神経を足の裏に集中してはじめて体感できるレベルの変化です。

しかしその小さな変化こそが、実はあなたの中の野生の本能部分。
相手との魂の相性の善し悪しを感じ取ることが出来る唯一の箇所なのです。

この足の裏の体感温度の上昇を見極めることで、出会った人との相性が分かるようになります。

そしてこの小さな体感の変化は、意識することと、多くの人と対面することで、どんどん研ぎ澄まされていきます。
最初のうちこそ分かりづらいかもしれませんが、経験を積めば誰にでも習得することができるようになるでしょう。

皆さんの中で、今まで人と会うときに足の裏に集中してみたことがある人はいますか?

いないでしょう(笑)

今度はぜひ集中してみてください。
この体感温度の違いに気付くことができれば、あなたの人間関係はきっと楽になるはずです。


で、問題は、熱くなった人があなたにとって良い人なのか?悪い人なのかですが、、、


その答えは!!!


な、ななんと!!!!!!



ああそうだそうだ思い出した(笑)

そういえば、みんなに参加してもらっている大実験の結果もそろそろお知らせしないといけないですよね。
かなりたくさんの人から感想が届いたからまとめていますが、相当おもしろい結果になっています。


あとこの実験の名前も決めようと思っているんですが、いいネーミングがなかなか思いつかないんです。
なにかいいのあったら送って下さい。


ああ、あとそうそう、たまにはみんなにクリックしてもらってSSSをシェアしてもらおうかな。
もししてくれるなら誰かのためにという気持ちで心をこめてクリックしてください。そうでないと意味がないので。


あっと!そういえば先月末についにロンボク島のリンジャニ山までもが噴火してしまいましたね。

リンジャニ山といえば、僕の招待用HP(紫色のサイト)のTOPページに写っているアグン山頂から撮影した日の出の写真。海の向こうに見える山がリンジャニです。
7月に噴火したジャワ島のラウン山に続いて、インドネシア屈指の活火山の噴火が続きました。(ちなみにラウン山もアグン登頂中に見ることが出来ます。)
ジャワとバリとロンボクは3つ連なった島で、それぞれに3千メートル級の活火山があるわけですが、これらは以前このブログでお伝えした環太平洋火山帯(Ring Of Fire)の主要活火山です。
詳しく知りたい方はヴォルフォースとは何なのか?

地下では繋がっている兄弟山ですから、今回のリンジャニ噴火は7月のラウン噴火の影響がすくなからずあるはずです。

と、いうことは・・・・

ラウンとリンジャニの中間にあるアグンも近いうちに噴火する?!

その可能性は過去にないくらいに高くなっていると思いますね。
年明け1月は半年に一度のアグン巡礼の登山ですが、今回はちょっと緊張しています。
そろそろ情報を集める時期なんですが、もしかしたら一般の登山者になんらかの規制が入る可能性も否定できません。
仮に登れたとしても、今後も継続的に可能なのかも含めて、注意検討していく必要がありそうです。
一応、今月16日から例年通りアグンクリスタルの募集は開始しますが、今回は回収登山ができるかどうかも含めてまだまだ不透明ではあります。


ふうー お知らせが以外に長くなったな。
って完全に遊んでます。ハイ(笑)
まあ僕のお楽しみです。フフフ

というわけで、答えはサラッと“悪い人”です。
理由はまた次回(笑)



東京より
白石

よい出会いは魂がおしえてくれる part3

あちゃー またあっという間に二ヶ月も時間が経ってしまった。。。

このブログもついに季節ごとの更新とかになってきてしまってますが・・・
「まあいいか(笑)」※ひらきなおり


さて今回は前回までの続き、『よい出会いは魂がおしえてくれる part3』になりますが、忘れている方はちょっと戻って読み直してきてください。

よい出会いは魂がおしえてくれる part1
よい出会いは魂がおしえてくれる part2


はい、戻ってきましたか?
part2も、いつものごとく答えをもったいぶって終わったのでした(笑)

最後に横たわったお釈迦様、涅槃仏(ねはんぶつ)の画像を出してヒントとしましたが、あのヒントで何か考えてみた人はいるでしょうか?

コメント欄でいくつか推測してくれた人はいましたが、あれだけではなかなか難しいですよね。
大きなヒントはあえて寝ているお釈迦様とした点です。
立ち上がったり座っている仏像ではなく、寝ていることで見えているものがありますよね?

わかりますか?

それはこれです。

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そう足の裏です。
ちなみにこの涅槃仏はバンコクの有名なお寺、ワットポーの黄金の涅槃仏像です。すごい大きさでしょう。
全長はなんと49メートル、高さ12メートルもあって、この足の裏の大きさは長さ5メートル、幅1.5メートルもあるんです。

この大寝釈迦仏はバンコクのガイドブックで表紙になるくらいに有名なものなので、テレビなんかでも見たことがある人は多いと思います。


さて今回は、この足の裏にこそ答えがあります。

思えば僕のホームページには昔からよく足の裏の話題が出てきているんですが覚えていますか?

魂の硬化の例え話しで、足の裏が硬くなる話しをしたり、アグン山の山頂でヴォルフォースを発見したときも、偶然に足の裏を投げ出したことが切っ掛けでした。

皆さんにとって足の裏とは、単に歩くうえで必要な身体の中の一部分という認識しかないと思います。
しかし実は足の裏というのは人間にとってもっとも野性的な本能を感じさせる、残された部位でもあるのです。

考えてみると、足の裏は唯一地球とつながっている部分でもあり、常に外界とは向き合わない隠され続けている場所です。
立ち上がり、歩くという機能の他になにかを求めるでもなく、もっとも目の届かない場所、それが足の裏でしょう。

それゆえ、機能的な進化の過程では、脳や内臓や手など他の器官にくらべて取り残されてしまったのでしょうね。
進化が遅れたゆえに、野性的な力を発揮しなやすい場所でもあるのです。

よく指圧やリフレクソロジーなどでは足の裏にあるツボは内臓などの各器官に直結していて、刺激することで内器官の機能が良くなるなどと言います。
東洋医学では昔から足の裏は第二の心臓などともいい、健康に直接結びつく器官と位置付けています。

またバンコクのワットポーの涅槃仏の足の裏には紋様が刻まれていますが、これは古代ヒンドゥー教であるバラモン教で宇宙を現しているそうです。


現代人にとっての足の裏は、単に立ち姿勢を保つだけの器官と考えがちですが、古来から伝わってきている足の裏の持つ意味合いというのは、もっと立体的で、幻想的で、深いもの。
決して体重を支えるだけの器官ではなく、人間と地球、あるいは宇宙とをつなぐ出入口であったり、人間の全機能をつかさどるスイッチのようなものであったりと、我々が知らない力をもっている特別な場所であったのです。


さて、ここまできてやっと本題に入ります。
(やばいなー、また長くなってきたなー 笑)

初対面の人に対して、どう足の裏が関係してくるのか?
そして、出会いの良し悪しをどう察知するのか?


説明します。

あなたが初めて会った人、その人が自分にとって魂のレベルで相性が良いのかどうかを知るためには、目や耳や脳などの五感で判断することに加えて、もうひとつの“感”を使って下さい。

つまり第六感、シックスセンスと呼ばれるものです。


「わたしにはそういう感覚がありません。」

はい、たしかに第六感と呼ばれるものの感度の強弱には個人差があります。

しかし誰にでも言えることなんですが、まったくのゼロということはないのです。
どんな人でも多少なりとも第六感的な能力というのは持っていて、そういう能力は、自分で必要としないと出てこないだけです。眠ったままなのです。


現代人は昔の人に比べて、野性的な能力を必要としなくなってきました。
すべてのものが自動化コンピューター化され、脳内の考えや意思も親指一本で世界中に飛ばせるようになり、考えなくとも答えは液晶画面に出て来ます。

世の中が便利になればなるほど、すべてのものが合理化されて削られていき、それは人の本能的な能力の減衰にまで及んでいきます。

人間の進化の過程では、いわゆる第六感的なものというのは不要な能力となってきていることは間違いないでしょう。

しかしそれが良いことなのか悪いことなのかは分かりません。


昨今、人付き合いに苦しんで、上手に社会に溶け込めない人が増えてきています。こういう人たちは年々増えていく一方です。

これらの社会的な問題も、いうなれば人間付き合いにおいて勘所の悪い人が増えてきている証拠であるといえます。

いつの時代も性格の良くない人はいるでしょうが、そういう人に必要以上に近づかない防御本能が働かない人がどんどん増えてきたのです。
この人は危険だと気付けば避けられた問題も、気付かないばかりに傷付いてしまう。
それは防御本能の働かない草食動物が、近づいてきたライオンに食べられてしまうようにです。

はい、やっぱり長くなりました(笑)
簡単に説明しようと思っても、「ああそうだ、これも伝えよう」「あれも伝えよう」と欲張って、結局なかなか本題に入れないいつものパターンです。
本当は決してもったいぶっているわけではないんですけどね。

次回は東京に雪が降ったあたりか?


大丈夫、さすがにそれはありません。
きっと11月頭あたりには続きをアップできると思います。
おもいます。オモイ・・マス。


(おしらせ)
今月の魂の実験日は10月27日(火)です。
一ヶ月に一度の魂のメンテナンスとして、ぜひ21時からの15分間ご参加下さい。
詳細はこのブログのメニューにある僕の名前をクリックです。


東京より
白石

smiling again