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結果がすべてではない

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『ものごとは結果がすべてだ』という言葉はよく訊きます。

『終わりよければすべて良し』などもよく訊く言葉です。

たしかに素晴らしい結果を出すことは意味のあることでしょうし、そこに価値観を求める人も多いことでしょう。

しかしだからと言って結果だけにとらわれてしまうと余計に好結果から遠ざかり、それどころか本質を見失う恐れがあることも知っておかねばなりません。


例えばプロスポーツ選手は結果が出ないと試合に出られなくなります。
誰も注目しなくなり、引退に追い込まれます。
だから結果がすべてだという見方はあるでしょう。

でも結果を出さなければいけないというプレッシャーに押しつぶされて、自分がそのスポーツを続けることが苦しくなってしまい、嫌いになってしまっていたらそれは本末転倒で不幸なことです。
そんな気持ちのままプレーし続けても良い結果など出るものではありません。

子供のころの純粋な気持ちのまま、楽しいと思える気持ちを感じながらプレーできることが出来れば、結果は二の次になります。

今、この瞬間に全力でプレーできている自分を楽しいと思える気持ち。
それこそがベストパフォーマンスへつながり、転じて好結果がついてくるのです。

結果だけに集中しすぎると、その行為そのものの意義すらも消し去ってしまうことになります。


これは何もスポーツだけの話しではありません。
普段の生活などでも当てはまることは多いでしょう。

例えば、
結婚したけど夫婦仲が悪いですとか、
子供が言うことを聞いてくれないですとか、
仕事がつまらなくて苦しいですとか・・

こういった上手くいっていないと思われる事に対して、ひたすら素晴らしい結果だけを求めすぎていると、なぜ自分がその道を選択したのか?という本質部分をも見失ってしまう。

本質部分を見失っているから、今の結果が現れているのだということに早く気付く必要があります。

ものごとは結果や数字が大事なのではありません。
結果は、そこまでのアプローチの充実度の現れに過ぎないのです。
つまり本当に大切なのは結果ではなく、今が好きかどうか、楽しんでいるかどうかなのです。

結果を追い求めて行動するのではなく、
今を好きになれれば、おのずと良い結果はついてくるものなのです。




バンコクより
白石

善行と偽善の大きな違いとは?

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偽善と善行についてもう少し詳しく書いておきましょう。
なぜ偽善は善のカルマにならないのかを説明しておきます。


ただその前にひとつ言っておきます。
“偽善”は別に悪いことではありません。

そもそも偽善という言葉があまり良くないのかもしれません。
偽善者というと悪いイメージがありますが、偽善者の行為によって助けられる人や喜ぶ人がいればそれでいいではないかという考えもあります。

与えるものと与えられるもの、特に両者に不具合がなければ第三者から批判される筋合いではないのはごもっともな話であって、そもそも世の中は偽善で成り立っているという一面もあることでしょう。

僕も別に否定はしません。


しかしカルマの話しでは“偽善”はどこまでいっても“善”ではないので、そこには明確な区別が必要なのです。


ではどう違うのかを解りやすく解説するならば、
“偽善”は『奉仕』ではなく『取引』だと考えるといいでしょう。

『取引』は見返りを求めた行為ですから、ある意味、商売などと変わりません。

例えば大々的にアピールする寄付行為などは、まさに何らかの見返りを求めています。
それが「好感度アップ」だったり「ビジネス的な利益」だったりします。
何かを与えて、何かを対価として得る行為。
商取引としてみれば悪いことではないんですが、決して善行ではないのです。

対して“善行”は何も求めずに与えるだけの行為です。
単に困っている人を助けたいという想い。非常にシンプルなものです。

カルマ論で言えば、
善行はリンゴの種を蒔く行為、偽善はリンゴを買う行為。
未来に繋がるのは善行のみなのです。

もし人が飲まず食わずで生きられるのなら、善行のみの人生を歩みたいというのは理想論かもしれません。
しかし、なかなかそうはいかないのが世の常です。

ですから世知辛い世の中でも、機会があれば本当の善行を積みたいという本能が我々の魂にはあります。


どうでしょうか?
善行と偽善の違いがなんとなく理解できたでしょうか?


東京より
白石


追伸:
今日の写真は用事があって出掛けた折に撮影しました。
六本木ヒルズのイルミネーションです。とても綺麗でした(笑)

本当の善行

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良いことをすることを『善行』といいます。

善行を積むことは素晴らしいことですが、
しかし一口に善行と言っても、しないほうがいい善行もあるのです。


あなたが満員電車やバスに乗っていて、
もしそこにお年寄りが乗ってきたら、あなたは席を譲りますか?

きっと譲ると答える人は多いことでしょう。

席を譲られたお年寄りも喜びますし、自分も良いことをしたと満足感を得られることでしょう。


ではもし席を譲られたお年寄が礼も言わず目を合わせずに
さも当たり前のようにドンと座ったとしたら、あなたはどう思いますか?


「折角、譲ってあげたのに、何なのあの態度は!」

「お礼の一つも言えないなんて、譲って損した。」


こんな風に考えてしまう人はいるでしょうか?


善意の気持ちで手助けしてあげることは、確実に善のカルマを積むことになります。
しかし折角の良い行いも、心の中でそこに見返りを求めてしまうようだと、実は必ずしも善のカルマとはならないので注意が必要です。


まわりから良い人だと思われたい。

尊敬されたい、感謝されたい、お礼をもらいたい。


こういった裏心や見返りを求めた行いは、
実は善行(ぜんこう)ではなく、偽善(ぎぜん)なのです。

偽善者は、善いことに結果を求めてしまいます。
そして結果が出ないと、腹が立ってしまうのです。

もし良いことをしても後から腹が立ってしまうくらいなら、最初からやらないほうがいいのです。
偽善は決して善いカルマにはなりませんし、結果を得られないと立腹し、魂も硬化させてしまいます。


本当の『善行』とは、
与えたことに対して後悔しないことなのです。

お年寄りに席をサッと譲って、お年寄りが座れればそれでいい。
誰が見ている訳ではないけど、倒れていた自転車を起こしておいた。
スーパーの棚から落ちていた商品を戻しておいた。

他人からの見返りを求めなくても、良いことをすれば自分の心が清らかになるという見返りがあります。

誰も見ていなくても、誰に褒められなくても、
自分が良いことをしたと思えることが本当の善行なのです。


年の初めです。
今年は本当の善行を積みましょう。



東京より
白石

“今”の価値

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今の自分の状態というのは、過去の歩みの結果です。

今日は良い一日だったとするならば、それは良い一日にするための過去のプロセスがあったからです。

反対に最悪の一日だったなら、そうなるためのプロセスがあったからです。

今このブログを読んでいる瞬間に気分が良い悪いというのも、過去の結果がそのままの形で今この瞬間に訪れているだけです。

人生は、こうした“過去”のプロセスが時間差で“今”を生み出していく至極単純な積み重ねに過ぎません。

これはつまり“今現在”の自分の行動や考えが、未来に訪れるはずの“今”を決めてしまうということでもあります。

“今”が幸福な人は“今”を大切にしてきた人です。
やるべきことを未来に押し付けずに、キッチリとその場で片づけて来た人です。

反対に自分が“今”不幸だと感じている人は“今”をおろそかにして来てしまったからです。
やらなければならなかったことを、その場で片づけないで未来に持ち越してしまったり、他人任せにしてしまった、そのプロセスの結果に過ぎません。

しかしこれは言い換えれば、“今”に対する考え方を変えることで、人は誰でも未来を変えることが出来るということを意味しているのです。

“今”この瞬間から変わればいいのです。

あなたが目を背けてはいけないもの、やらなければいけないことから逃げずに“今”取り組むこと。
そのプロセスは必ず未来に訪れる“今”に結果となって戻ってきます。
“今”を逃げずに積み上げていくことは、物理的に未来に幸福を担保していくことなのです。

価値ある“今”を貯めましょう。


バンコクより
白石

妄想に逃げるということ

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人生がまったく前進しない。思い通りにならない。

こう感じている人は、かなりの確率で過剰な妄想家が多いのです。
四六時中、素晴らしい自分の人生を思い描いてその一時の快楽に溺れます。
それで何となく達成感を感じ、その場は満足します。

しかし妄想は脳内でのことなので、当然現実世界は1ミリも動いていません。
「こうやれば出来る」「自分ならできる」
やってもいないのに、自我とうぬぼれだけがどんどん大きくなってしまいます。

妄想は過去のつなぎ合わせなので、妄想家の人の魂は今にいません。
肉体だけが現実世界に置き去りになり、魂は過去を浮遊しているのです。

妄想はある意味麻薬のようなものです。
現実の時間を止めて、快楽をむさぼるだけだからです。
妄想にとらわれてしまった人は、どんどん現実社会から置いて行かれます。
そして切羽詰ってしまうと、とんでもない短絡的な行動に走ります。

そうならない為には、今、現実にあなたの目の前にあるものを“今”しっかりと乗越えること。
その繰り返しをたんたんとこなすことでのみ、人は未来へ進むことが出来ます。


白石

smiling again