運の良い人と悪い人、なぜ運気は人によって差が出るのでしょうか?
運が悪い人は一生運の悪いままなのでしょうか?
今回の魂の智見は、運気について真実の知識を伝えるシリーズ『運の良し悪しを決めているのは part4』です。
このシリーズのファイナルとなります。
今日始めてこのエントリを読む人はまずpart1~3を先に読んで下さい。
運の良し悪しを決めているのは
運の良し悪しを決めているのは part2
運の良し悪しを決めているのは part3
さて前回のハイライトです。
~~~~~前回のハイライト~~~~~
運気を上げる為の種を撒くのは意外に大変なことである
運気の良い人も、実は特別多くの良い種を撒いているわけではない
運の良い人と悪い人の差は“ケチ”であるかどうか
“ケチ”には様々な種類があり、実は“ケチ”こそが不幸を呼び込む根源になっている
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前回はこういったところで講義は終了していました。
今回の講義は“ケチ”についての考察です。
なぜケチであることが、運気を下げてしまうことに繋がるのでしょうか?
例えばお金にケチな人の行動といえば、貯金をする、常に節約に努め、お金を遣わない。
一般的にこういう人のことをケチと言います。
たしかに無駄をなくし節約に努めることはいいことです。無駄に浪費することが良いことであるはずがありません。
では何をもってケチというのでしょうか?いったい節約とケチにはどんな差があるというのでしょう?
まず“ケチ”という言葉の語源ですが、これは平安言葉の『怪事(けじ)』から来ています。
怪事とは不吉ごとを指す言葉で、今でも使われる「ケチがつく」という言葉も元は「怪事がつく」から来ていて、縁起の悪いものが身に付いてしまった様子を指したネガティブな言葉です。
その後、江戸時代あたりから現代の意味になっていったようですが、古来からケチという言葉が持つ意味合いは決して良いものではなかったわけです。
これを踏まえてケチには定義があるのです。
以下の文を読んでパッと思いついたことで、あなたの精神的なケチ度を見てみましょう。
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Aさんは買い物をしていると人だかりを見つけました。
見ると無料でサンプル品を配っているようです。それを手に入れようと人が殺到しています。
そのサンプル品はAさんにとってとても魅力的な物です。
Aさんは他人を掻き分け、やっと伸ばした手に商品をゲットしました。
しかし次の瞬間、なんと横にいたおばちゃんにその商品をパッと横取りされてしまったのです。
その瞬間に配布が終了。
さて、この文章を読んでお答え下さい。
Aさんの思考・行動で当てはまるものは何番でしょう。複数でも構いません。
①おばちゃんに対し殺意をおぼえる
②おばちゃんに対し抗議し商品を取り返す
③おばちゃんに対し文句を言う
④おばちゃんに対し怒りをおぼえるが、何も言えない
⑤おばちゃんの行動に対し笑ってしまう
⑥おばちゃんの行動に対し感心する
⑦特に何も思わない
⑧その他の行動および感情
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さてどうでしょうか?
特に勘ぐらないで、パッと素直に思ったことです。
さあ何番でしょうか?決めましたか?
まず①~④ですが、精神的なケチ度は④→①の順で高くなっていきます。
例えば、おばちゃんに殺意も覚え、且つ抗議し商品を取り返そうとしたとするならば、それは危険レベルのケチ度といえます。
しかし①~④を選んでしまった人にしてみれば、取られたものを取りもどすのは当然のことで、それは正義であり当然の権利であるという意識が働きます。
確かに一般論としてみれば、その商品を取りもどすために抗議する行為は不自然なものではありません。
ただその行為をカルマの視点から見ると、マイナス的な種を撒いているという状態に当てはまってしまうのです。
では⑤~⑥を選んだ人はどうでしょうか?
商品を取られてしまったことに対して
「ああ取られてしまった(笑)」 「おばちゃん逞しすぎる(笑)」
思わず笑ってしまったり、逆に感心してしまう人もいることでしょう。
この⑤~⑥を選んだ人というのはカルマ的に見ると、大きなマイナスポイントを生み出すことはありません。
ただ、笑ってしまったり、感心してしまうという感情も、実は呆れてしまったという怒りの感情の派生的な感情に過ぎません。
精神的なケチ度はそんなに高くありませんから、人生においても大きな運気の低下に陥ることはありませんが、決してマイナスポイントが無いわけではありません。
ゆるやかなマイナスといったところでしょうか。
次に⑦ですが、特になにも感じないを選んだ人もいるでしょうか?
「まあ仕方ない」と納得できてしまう人です。
偽りのない素直な気持ちでこの⑦を選んだ人というのは、⑤~⑥を選んだ人以上に精神的なケチ度は低くなります。
今回の質問のようなことが実際に実社会で起こったとしても、⑦の精神でいられる人はとても少ないのが現状ですが、こういう精神状態を保てる人というのはマイナスの種を撒く機会が極端に少ないので敵も作りませんし、運気を失わずに生きることができる人です。
では⑧のその他の行動および感情、これを選んだ人はどのくらいいるでしょうか?
おそらく⑧を選んだ人は数パーセントと少ないはずです。また理由が2つに分かれると思います。
ひとつはおばちゃんに対して抱いた感情や行動が①~⑦になかった人です。
ただその場合は表現の違いだけで、基本おばちゃんに対して怒りの気持ちを持ったものであるならば、それはやはり①~⑥の中に当てはまってくるでしょう。マイナスです。
もうひとつの理由として⑧を選んだ人はいるでしょうか?
それは、そもそも無料のサンプル品の人だかりに入ろうとは思わないという人です。
もしあなたがそういった理由で⑧を選んだ場合は、精神的なケチ度が著しく低く、運の良い人生を送れる、もしくはすでに送っている可能性の最も高い人と言えます。
実はこの質問をすると9割以上の人が①~⑥までに収まります。
ほとんどの場合、横取りされたことに対してムッとしてしまう怒りの感情が湧いてしまうのです。
⑦および⑧の後者に当てはまるのは数パーセントに過ぎません。
特に⑧の後者「そもそも無料サンプルを取り合うような人だかりに入りたくない」とまず考えた人は少ないことでしょう。
この感情は精神的なケチ度の高い人にとってはなかなか理解できないところでもありますが、世の中には確実に一定数います。
無料サンプル品を争ってでももらうことを“得”と考えてしまうのは、運気の悪い人の思考です。
でも運気の良い人の思考は違うのです。
仮にそのサンプル品が自分の興味あるものであっても、無料だからという理由でその輪に入って手を伸ばす自分の姿が嫌だと思ってしまいます。
当然、輪に加わりませんから、そもそも争いごとも起こることはありません。
今回のサンプル品の話しはほんの一例に過ぎません。
自分がケチであるかどうかを指し計るような機会は、生活上の様々なときに訪れます。
ケチであるかどうかのボーダーラインを知っておいてください。
それは、その行動や発言や思考が『粗末でいやしい』に当てはまるかどうかです。
無駄をなくし、シンプルに生きることは美しいことです。
しかしそれが度を越えてしまうと、途端に粗末でいやしくなってしまいます。
いやしさが表に出てしまった人ほど、見ていて醜いものはないでしょう。
でも多くの人は“損得”が絡んでくると感情が剥き出しになってしまうのです。必死になってしまう。
自分から得を奪う人を許せない気持ちになりますし、他人の得を妬んでしまいます。
⑧を選ぶ人に対し「気取っている」とか「お高くとまっている」とか「それはお金持ちだからでしょう」などと考えてしまうとしたら、それはまさに粗末でいやしい考え、ケチな人の思考です。
そういう思考のままだと、事あるごとにマイナスの種を撒き続けることになり、たまに気まぐれ的にプラスの種を撒いたとしても全体で言えば大きなマイナスカルマを背負っていますから、運気が上がるわけがないのです。
つまり運の良い人と悪い人の決定的な差というものは、プラスの種蒔きよりも、むしろマイナスの種蒔きの差が顕著に現れているということです。
山を登るのではなく、下る一方では景色が良くなる事はないのです。
運の良い人はカルマ的にマイナスの種を撒かないで済む人生を選んで過ごし、たまに訪れるプラスの種蒔きの機会を得ながら、徐々に運気を上げていきます。
以前、このブログはランキングに参加するための説明記事を載せました。
ブログランキングの参加について
この中で『シェアする気持ちを持って欲しい』という部分があります。
SSSを誰かに伝えることで、人生を生きるヒントを得られる人がいるかもしれない。
その人のために自分で出来る行動をなにか起こすことは、目に見える見返りはないかもしれないけれど、あなたにとっては無駄なことではありません。
こんな記述をしました。
あのエントリから2ヶ月経っても毎日欠かさずクリックしている読者の方がいます。
持続できているのはほんの数人ですが、確実にいます。
最初の頃こそ、いずれ自分に良い形で返ってくるという期待の気持ちも入り混じりながらクリックしていた人も多かったでしょう。
でも今でも持続できている人は、本当に誰かのためにという純粋な気持ちでクリックできていると思います。
なぜならクリックするというのは簡単な作業ですが、簡単だからこそ持続は難しいのです。
クリックすることのモチベーションが自分の損得だけ考えてしまった人は続きません。“得”と“苦”を秤にかけてしまい、すぐにケチな思考に打ち負けます。
僧侶が修行を積むのは煩悩を断ち切るためです。
偉いお坊さんになろうと我慢して修行しているうちは修行は苦でしかありませんが、世のためになれる自分になろうと思えたとき、辛い行も苦でなくなるそうです。
僕が、記事中で「無駄ではないという事がすぐに解る」と書いたのは、まさにここです。
2ヶ月間毎日ブログを開き、クリックしているあなたのその気持ちにケチな考えはありません。
その気持ちの持続こそが運気の山を昇ることができるほんの数パーセントの人の思考なのです。
あなたが得ているその思考は、到達している人にしか解らない思考、やったつもりの創造では補えない思考なのです。
その思考をどうぞこれからも持続して下さい。
1年も続ければ運気が大きく上昇カーブを描き、人生が大きく変わっていくはずです。
では今回の質問で①~⑥に当てはまってしまった人は、今後どういう生き方を心がければいいのでしょうか?
それは自分がケチな思考の持ち主である事をまずは認めましょう。
そしてそのことを正当化してはいけません。ケチから抜け出そうと強く思ってください。
ケチな思考に支配されている時というのは、自分ではなかなか気付きませんから、まずは
「今、私ケチってるな」
こう気付ける自分になることをまずは目指して見ましょう。
ケチは怪事である。
自分の人生がけち臭いものにならないようにするには、自分で自分の臭いに気付ける鼻を持つことなのです。
そして昔ながらのことわざの生き方の実践です。
損して得とれ
急がば回れ
負けるが勝ち
この生き方には、言葉以上にカルマの理論が詰まっているのです。
さて、パート4まで続いた『運の良し悪しを決めているのは』も今回でラストです。
黒カルマや魂などのように目に見えないものではなく、自分の思考や行動で人生をコントロールできる方法としての知識です。
実践するもしないも自分で決めることが出来ます。
見渡してみれば解るように、運の良い人は、悪い人に比べると圧倒的に人数が少ないでしょう。
でもそれは仕方ありません。どんな山も山頂は狭いものです。
山を昇るには、休んでもいいですが途中で下らないことが重要だということ。
山を下らない為の目安となる生き方こそが、ケチにならない生き方なのです。
さあ本日の講義は終了!
長文疲れました。お茶沸かして飲みます(笑)
バンコクより
白石