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なぜ人は働かないといけないのか?

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こんにちは、白石です。

バリ・アグン山への巡礼も終わり、今は毎日をいそがしく過ごしています。

そんな折、ある相談者の方から、仕事に張りあいが持てないという相談を受けました。
普段から仕事に関する相談は数多く受けるんですが、大きく分けると3つの相談が大多数をしめます。

現状の仕事や職場に満足できないという悩み
新しい仕事や職場への転職や転勤に関する悩み
仕事がない、働く意欲がわかないという悩み

この3つが仕事についてのもっとも多い悩みです。

そこで今回の『人生の智慧』は、“はたらく”ということについて考えてみたいと思います。


さて、読者のみなさんはどんな仕事をしているのでしょうか?


働いている人、働いていない人、いるかと思いますが、そもそも“はたらく”とは人間にとってどういうことなのか考えたことはありますか?

生きていくために、食べるために必要なものという位置付けは理解できても、それ以外の意味を考えたことはあるでしょうか?

「食べていくこと以外に働くことの意味などあるの?」と考える人も多いかもしれません。

たとえば宝くじで大金が手に入ったら、仕事を辞めてしまってのんびりと残りの人生を過ごしたい。
こういう夢を追って、宝くじを買い続けている人も多いことでしょう。

もちろん偶然に大金を手にしたりあるいはすでに持っている人が、仕事をせずに毎日を過ごしたいと考え、それを実践することができたとしても、人は仕事をすべて手放すべきではないと僕は考えます。

その理由ですが、
『人間にとって働くということは、呼吸とおなじように大切な生命活動のひとつである』という仮説を僕はもっているのです。

どういうことか説明します。

まず人間が生きていくために必要な最低限の生命行動を考えてみます。
それは呼吸をすること、食べる(水分補給を含む)こと、排泄すること、寝ることの4つです。

もちろん細かいことを言えば、体温管理などという問題もありますが、
極論をいえば、人は「息して」「寝て」「食って」「出す」ことができていれば、生き続けることは出来るはずです。

もしかしたらすでに限りなくこの4つの行動に近い活動のみで、毎日を過ごしてしまっている人もいるかもしれませんね(笑)

しかしこういった最低限の生命活動だけで毎日を過ごしていると、人間はどうなってしまうのでしょうか?


その昔、ローマ帝国の時代にフリードリヒ2世という皇帝がいました。

この方は少々変わった人で、なにか疑問が沸くと、その疑問を解決すべく実験をおこなう癖がある人だったようです。
そしてある日、こんな疑問を感じたのです。

『言葉を教わらないで育った子供は、いったいどんな言葉を話すのか?』

こういう疑問を思いつくのもすごいですが、これを人体実験で解明しようとしてしまうのが、この時代の皇帝の怖いところです(笑)

さっそく部下に50人もの赤ん坊を集めさせて、大部屋に隔離し、その子たちには一切の言葉を聞かせないまま育てるのです。

ミルクやオムツ変えやお風呂などの面倒は充分にします。
ただし接触するときは、赤ちゃんの目を見ない、笑いかけない、話しかけない、必要以上に触らないというルールを看護士には義務付けました。

このように一切の愛情や刺激や情報を与えないで育てていた赤ちゃんたち。
いったいどうなったと思いますか?


全員、あっという間に死んでしまったそうです。

※まあこの実験自体が本当に行われたのかという疑問もあるようですが、歴史上、過去には同じような実験をした人たちが結構いたという記述も残っているようで、その場合もやはり同じような結果になっていることからも、少なからずこの実験結果には信憑性があります。


そしてこの実験結果から解ることですが

人間は、単に生命維持だけの生活に偏ってしまうと、逆に生命エネルギーがやせ細っていくという事実です。
つまり人には生きていくための生命活動以外に、なんらかのプラスの刺激がすごく大切なのです。

その刺激とは仕事だったり、趣味だったり、ボランティアだったりと様々あるでしょうが、取り分け“はたらく”ということは、毎日にあたらしい刺激を与えてくれる大きな役割りをもったルーティンなのです。

また人に限らず、生命にとって“はたらく”ことは、課せられた生命活動の一つといっていいでしょう。

餌をもとめて歩き続ける蟻んこだって働いていますし、植物だって根を張り、太陽の光を求めて上へ上へと葉を広げ、枝を伸ばします。

もちろん動植物たちにとっての“はたらく”は食べていくこと、生命維持の為の仕事です。
しかし人間にとって“はたらく”という行動は、単に生きるという目的以外にも、生きがいや生命力や知恵の向上というプラスアルファを与えてくれる、活動に幅を与えてくれるものという一面もあるのです。

そしてその一面こそが、人間の人間たる所以とも言えますし、逆にその一面がない人生を歩むということは、刺激がなくて死んでしまった赤ん坊のように、生命エネルギーを失っていってしまうことに繋がります。

朝早くおきて庭の手入れをしたり、玄関前を掃除したり、孫の世話をするお年よりも働いています。
子どものお弁当を作り、ご主人を会社に送り出し、家の掃除や洗濯をする専業主婦も働いているのです。

かならずしも『働くこと』イコール『お金を稼ぐ』ということではないのです。
働くということは、言うなれば『毎日の景色を変える』ということなのです。

新しい人や環境と出会い、視点が変わる、景色が変わることで、新たな展開がひらけていきます。
1歩すすめば視点は変わり、未来も変わります。

人の生命エネルギーを細めていく一番よくない原因は、視点の変化がなくなってしまうこと、立ち止まってしまうことでしょう。

もしあなたが病気で寝込み、天井しか見れない立場になったとしても、活動を止めてはいけません。
未来にむけて一歩でも進むために、今出来ることを考え、実践する毎日でなければいけないのです。


また昨今、仕事ができる体力と時間をたらふく持っているけれど、精神的に弱さがあって仕事をしていない“ニート”と呼ばれる人たちが増えているようです。
もちろん中には病気であったり、小さな子供がいて働くに働けないという環境の人もいるでしょう。
しかしそういう環境外でありながら、なかなか新しい一歩が踏み出せずにいる方に、最後にお伝えしておこうと思います。


三十代後半、四十代、五十代になった自分を雇ってくれる会社があるはずない。
新しい職場で溶け込む自信がない。
自分のやりたい仕事がいつまでたっても見つからない。
自分はうつ病だから、仕事を続けていくことが出来ない。


自分が働けない理由に、このようなマイナスな理由を言い訳にしてしまっている自分の存在に気付いているのなら、あなたにはまだ仕事で活躍するチャンスが残されています。
そして働かない自分を否定せずに、肯定化している自分がいるのなら、はやくそいつとは手を切ったほうがいい。

あなたが働けない本当の理由は、あなた自身が作りだしている“臆病な自分”というもう一人の自分からの説得です。
本当はあなたは今日からでも働くことが出来るはずなんです。でも臆病なもう一人の自分があなたにいろいろと言ってくるのです。

「お前が求められているような職場なんてあるわけないぞ」
「お前に今さら何ができるんだ?」
「お前よりもうんと若いやつに頭下げて仕事を習うのか?」


こういう臆病な自分の言葉に言いくるめられてしまうと、どんどん時間だけが流れていきます。


ぶっちゃけ仕事なんて何でもいいのです。
働いてみてどうしても嫌ならチェンジして構わない、転職する権利はだれにでもあります。

自分にあった仕事、満足感の高い仕事、条件の良い仕事。
もちろん見つけることが出来ればいいですが、実際はなんらかのマイナスな要因が目にとまって、すぐに他の仕事を探してしまうの繰り返し。いつまでたっても仕事は決まらない、そのうちに働く意欲すら失っていく。

そういう道を歩まないためには、とにかく“間”をあけないことが重要です。
何らかの理由で仕事を辞めたとしても、そこで一息つかないこと、間を空けずに次の仕事に就くことです。


仕事は最低限稼げればよいと割り切ってしまえば、いくらでもあるはずで、とにかく現状から1歩進むことで見えてくる景色の変化、これが重要なのです。

景色が変われば行動パターンも変わり、考え方も変わり、出会う環境も変わっていく。
それはつまり未来が変わっていくということです。
目に見える景色が変化していく中で、本当に自分がやりたいものや、やりたかったものに出会える確率は上がっていきます。
立ち止まっていても景色は変わりません。思い描いているだけでは駄目なのです。

今まで未経験の仕事であろうと、力仕事であろうと、夜間勤務であろうといいんです。
ニートだという人はとにかく一歩進むことで景色を変えることが先決です、それによって目標が遠のくことはありません、むしろ近づいてきます。


“はたらく”ことは人生を華やかにするための色付け作業であって、人間は色のない人生を歩めない唯一の動物でもあるのです。



東京より
白石

コメント一覧

ふわふわうさぎ 2014年08月24日(日)10時18分 編集・削除

白石先生お久しぶりです。更新うれしいです~♪
ちょうど仕事のことで悩み事があったので、気持ちが軽くなりました。
最後の、はたらくことは人生を華やかにするための色付け作業であって、人間は色のない人生を歩めない唯一の動物でもあるのです。って目からウロコでした(^^)
“はたらく”ことをして生きていきます。ありがとうございました。(^-^)

にゃ~ 2014年08月26日(火)19時01分 編集・削除

白石さま、更新~!^^ありがとうございます。
私もちょうど昨日と今日仕事について考えていました。
傍からみると悩んでいるように見えるかもしれませんが、私の場合悩みの自覚はありません。
ただ、漠然というそういうことについて考えてみました。
私なりに仕事とは、人から愛をもらうこと(頼られる)、人に愛を与えること(提供してよろこばれて自分の魂をよろこばせること)と解釈しました。がさつな言い方をすると自己満足^^?

ついでに稚拙ながらお金や経済も含めて考えてみました。
勉強しなくても自分の持っている感覚ってあったほうがよいと思います。たくさんお金があって幸せかどうかは見ていてそれでよいのかとも思えません。一生懸命働いてる人のほうがきつそうだけど、充実してる感じはあります。自分に納得することで充実して幸せになれるのだと思います。なにかひとつに没頭しなくちゃいけない、ということもないと思います。

2つ前に書かれていたヴィッパサナーについてですが、以前友人に教えてもらいましたがそんなにすごいことだったのか、と思いました。
数年たちますが、彼女は病床で自分のことはなにも言わずにあっさりといってしまいました。役者だったのですが、ほんとうに人生においても名役者でした。普段は前にでることなく極めて静かな方でした。
もしかしたら、知り合ったときすでに到達してしまっていたのでしょうか。
このサイトは見に来られる方もおいでだと思うのでそのような静かで豪快な魂のヒトがいたということを書き残したくて書かせていただきました。ありがとうございます。
最後まで自分の役割、、というものをわかっていたのでしょうか。

白石 2014年08月30日(土)01時43分 編集・削除

ふわふわうさぎさん

人間の魂にとっては“はたらくこと”が大切であって、重要な生命活動になります。
給料の多い少ない、仕事の種類にこだわる必要はありません。
毎日、景色を変えることで得られる刺激は、魂を活性化させ、成長へと導きます。
魂にとっては何もしないことが、一番よくないことなのです。


にゃ~さん

ほんとうの仕事の価値は稼ぐお金の量ではなく、
「今、自分は生きている!!」と心から実感できる、湧き上がってくる叫びがあるかどうかです。
そういう仕事に出会える、もしくは創りだす努力を惜しむべきではありません。
いくつになっても、五体不満足であっても、“はたらく”ことを諦めてはいけないのです。

普通の人はヴィパッサナー瞑想など知りませんから、すでに知っていたご友人はその境地に達することを望んでいたことは間違いないでしょう。
肉体が限界点に達することを恐れずに逝ける人というのは、魂の存在と働きを理解しているからです。
彼女はすでに転生しているでしょう。

にゃ~ 2014年09月16日(火)19時15分 編集・削除

白石様、レスをありがとうございます。
そうですか、彼女は次の修行にもう出かけられたのですね。
まだまだ修行は続く、、、のか~。

私は長く病床にあり、ひどいときは目のまえのごみをくずかごにいれられず見つめていたときもありました。
見ているというより、やりたいんだけど苦痛に耐えることが忙しくてできない。
傍からみれば、なにもしてないようにみえます。

ですので、目の前のゴミをひとつ片付けられても、何かちょっとお掃除できても、天気がよくても悪くても、洗濯ができても、たとえ惰眠を貪ってしまっても、幸せ~ってほんとうに思えるのです。
友人といること、人といることなんて奇跡と思えます。

自分の手でものが動くこと、、っていうのは凄いことです。
意思があるだけでもきっとすごいので、生きてることもすごいのです。

ですから、働くのはお金の問題だけではない、、と理解しているつもりなのですが、喉元すぎれば、、という言葉もあるように、調子がよくなると欲も増えてしまいますね。
ですので、ときどき、引き戻されて修行モードになってしまいます。
その痛みの意味を考えろ!と。

先日、その意味を考えてみたら、楽になったことがありました。
またやってみたい、、とはゆめゆめ思いませんが、少し学習できたのかな、、なんてあさはかに思ってしまいました。

言葉の力、カルマのこと、、もたいへん参考になりました。

また、更新をたのしみにしています。

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