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死 ~魂の行方~ part2

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先月はバリ島のアグン巡礼登山の月でした。
もうアグンにはかれこれ二十回くらい登りましたが、僕も年なのかだんだんとキツさを感じるようになってきましたね。
とくに樹海が雨でぬかるんでいたりすると本当にキツイ!
以前はきつい中でもまだ余裕があったのですが、最近はほんとに余裕がないです(笑)
毎回、下山しながら「もう今回で最後にしよう」と思うのですが、、、でも1カ月もするとまた導かれるように登りたくなる。
まったくとんでもない山に魅せられてしまったものです・・・。


さてさて今回は『魂の智見』の新テーマ“死 ~魂の行方~ part2”です。

忘れた方はこちらから
死 ~魂の行方~ part1

“死”というとても重いテーマを取り上げているので、なかには敬遠したいと考える人もいるかもしれません。
そう感じた方はもちろんパスしていただいても結構ですが、前回もすこしお話ししたように“死”は“生”と表裏一体であるというのが僕の見解です。
生きることと死ぬことは永遠のループであり、死ぬことも生まれることも、そのループの中の一瞬の継ぎ目でしかないのです。

1年の終わりの日、“大晦日”と新しい年の初日である“元旦”が1秒の継ぎ目で繋がっているように、魂もまた生と死を1秒で繋ぎながら輪を廻しているというわけですね。

そう考えると、“死”を考えるということは、それは同時に“生”を考えるということでもあるのです。
そしてそれは今を生きる私たちの“生きざま”というところにも繋がっていきます。

私たちはいかように生きて、いかように死を迎えるべきなのか?
転生をスムースに行うために必要な生き方を知っておくことは、実は人間にとっては最も必要とされる究極の智恵といえるかもしれません。

人は誰もが死んだ後は、天国へ行きたいと願っているでしょう。
しかし魂が肉体から離脱したあとに、天国という特定の場所に住み着くということはありませんし、同じように地獄という場所に閉じこめられることもないのです。

魂にとって天国とは、すみやかに新たな肉体を宿とした転生を完了させ、新生命体として現世を生きること。
つまり生まれ変わることです。

反対に地獄とは、転生をなかなか行えずにぐずぐずと滞ってしまう状態。
生まれ変わることが出来ないで、現世を漂い続けてしまう、いわゆる浮遊霊の状態です。

この“転生”こそが、魂の天国と地獄をわける現象なのです。


ではこの“転生”ですが、なぜ転生成功と失敗に分かれてしまうのでしょうか?
肉体が朽ちたあと、すんなりと新たな肉体へとおさまることが出来る魂と、出来ない魂の違いとは何なのでしょう?

実はこの違いこそが、今を生きる我々の“生きざま”に繋がってくるのです。
僕が今までも何度も魂について解説してきたことです。

魂の仕事を妨げないようにしよう、魂の悦ぶことをしよう、ということ。


自己満足や、うぬぼれや、偽善ではなく、魂の要求に素直に反応してあげる行為。
“魂の仕事”を単純にまっとうさせてあげること。

こういった魂に負担をかけない生きかたが、どの程度のレベルで維持できているのか?
ここに転生の成功と失敗の分かれ道があるのです。

『自分が死んだ後のことなんてどうだっていいよ。』

こう考える人もいるかもしれません。
たしかに今ある記憶は一過性のもので、自分の死後、あらたな肉体には引き継がれません。
死んだ後で魂が苦しもうが何しようが、自分には関係ないと割り切ってしまうことも出来るでしょう。

しかし、もし前世の魂の宿主の間違った生き方によって、今を生きる自分になんらかの負担が掛かっていたとしたら・・・あなたは納得できるでしょうか?

『ちょっと前世の人たのむよー』

などと文句のひとつも言いたくなるかもしれませんね(笑)

しかしあなたがどう思おうと、どんな生き方をしようと、魂のレベルは次世に確実に受け継がれていきます。


“魂のレベル”


これこそが転生を成功へ、あるいは失敗へと導くキーワードです。

魂を高レベルで維持することは、確実に転生を成功させることに繋がります。

しかし、もしあなたが今の現世で魂のレベルを落としてしまったとします。
そのとき、あなたの死後、魂はどうなるのでしょうか?

転生がうまくいかずに失速し、魂が現世を漂ってしまう状態に陥ってしまう。
魂が浮遊状態になるかもしれません。

これはまさに転生失敗です。
いわゆる地縛霊や浮遊霊といわれる状態になり、目的を見失ったエネルギー体だけが現世に取り残されてしまいます。

この状態の魂は、皆さんが考えている以上にとても多いんです。
それこそ、そこら中にいます。

ただ浮遊状態になっているからといって、永遠に漂い続けるのかというとそんなこともありません。
何かの霊的なエネルギーの流れや、突発的な出来事によって、ふいに転生を再開することもあるので、その場合は一概に転生失敗とは言えませんが、転生再開に数百年もかかるということも普通にあるので、やはり確実に転生ができたほうが魂にとっては幸せなことだと思います。

そしてもう一つ、転生には失敗といえる結果があります。
これは聞くと皆さんドキッとするかもしれません。

みなさん、こう信じていませんか?

『来世はもっとお金持ちで幸せな人生を歩める人に生まれ変わろう。』

あるいは、こんなことを考えたことはありませんか?

『私の前世はいつの時代、どこに生きていた人だったのかな?』


どうでしょうか?
スピリチュアルに興味がある方だったら、一度は考えたことがあるでしょう。

しかし皆さん、それって前世も来世も、自分は人間であることが前提となってはいないでしょうか?
もしそうだとするならば、魂の現実の前に、それは大きく裏切られるかもしれません。


地球上には人間以外にも様々な生命体が存在しています。
われわれ人間を含む哺乳類だけでなく、爬虫類、両生類、昆虫、鳥類、魚類、植物など、何億種という生命体が生きているのです。
『一寸の虫にも五分の魂』という言葉があるように、生きているものにはすべて魂が宿っています。
そして“生きる”という仕事を全うしています。

カタツムリの魂は、生まれ変わってもカタツムリとしてノロノロ進む?
ワカメの魂は、生まれ変わってもワカメとして海をゆらゆら漂い続ける?

いえ魂は現世の仕事の質により、転生後は見合った器の宿へ納まっていきます。

インパクトのある一言をお伝えします。

あなたの死後、転生先の宿となる肉体は人間以外になるかもしれません。



続きはまた次回です。




東京より
白石

smiling again