今日は“魂”というものの存在を、もう一度より理解してもらうためのお話しです。
というのも、どうも頂くメールなどを読んでいると、魂の根本を理解できていない人が多いように思えたからです。
一番多い間違いは“魂”と“心”が同じものだと思っている人です。
確かに世の中の言葉の使い方として、例えば
「魂の叫び」というフレーズは良く聞きますし、
「心の叫び」というフレーズも聞きます。
この二つに対して抱くイメージにそれほど違和感を覚えることもなく、特に分け隔てなく同じようなものとして考え使っている人も多いことでしょう。
でも僕のブログの読者でしたら、そんなことではいけません(笑)
しっかりと魂の理解度を高めてください。
“魂”と“心”これは全く違うものです。
魂は生命の根幹となるエネルギー体の塊で、全ての動植物に一つずつ存在します。
生命が生命たるコアとなる部分であり、肉体や精神は魂を取り巻く一時的な付帯物に過ぎません。
自動車に例えるのなら、自動車を運転しているドライバーこそが魂です。
自動車自体は古くなったり、事故を起こしたり、乱暴な運転を繰り返せば、いずれ朽ち果てて廃車になります。
しかしドライバーは変わりません。また新たな車に乗り換えるだけです。
それが魂というものの存在です。
僕が常々、魂を汚さないように、硬くしないように、黒カルマを生み出さないように言い続けているのは、自動車(肉体)はドライバー(魂)の健康度合いによって、その寿命や安全性、性能に大きく影響するからです。
ドライバーが健康で健全なら、車は長く安全に走り続けることができます。
しかしドライバーが不健康化しだすと、運転は乱れ、消耗し、しいては事故を起こしてしまうこともあります。
そうならない為には日々の生活の見直しや、病気に対する検診や治療を行うことはまさに人間の実生活と変わりありません。
魂を汚さない、綺麗に保つ努力を怠るべきではないと言う理由はそこです。
対して“心”というものは、人間の脳内の思考を具現化したものに過ぎません。
これも同じく自動車の話しに例えるのなら、
方向性を決めるハンドルや、スピードを決めるアクセルペダル、止まるときのブレーキペダル。あるいは挙動を示すウインカーやブレーキランプ。
こういった自動車を最終的にコントロールする機能のひとつと例えると解りやすいかもしれません。
もちろんこれらは重要なものですが、心(ハンドルやアクセル)自体が明確な意思を持って肉体(車体)をコントロールしているわけではありません。
あくまでドライバーである魂の状態に大きく左右されるのです。
もしドライバーが荒れていれば、急発進、急ハンドル、急ブレーキ、無駄に運転が荒くなります。
人間の話しに戻せば、
魂が荒れた人は心も荒々しくなり、すぐに怒り、恨み妬み、嘘つきになるということです。
車窓に流れる景色を美しく感じる余裕があるドライブが出来ているかどうか?
魂が綺麗で健康ならおのずと心も体も、しいては人生そのものが綺麗に、そして楽しくなります。
どうでしょう?
“魂”と“心”の違いが理解できたでしょうか?
このブログの読者の皆さんは、どうか“魂”を大切にして下さい。
バンコクより
白石
ふわふわうさぎ 2013年02月26日(火)11時58分 編集・削除
魂は、ドライバー。
体は、自動車。
心は、ハンドル(方向性)、アクセル(スピード)、ブレーキ(止まる)
すごくわかりやすかったです。
わたしの運転は荒いなぁ~(@_@)
反省です、これからは安全に運転しないと。
あの…
「なかなか人を許せない自分」が苦しかったんですが
「そんな自分って仕方ないなぁ」って思えるようになったら
相手のことも…
「仕方ないなぁ」って思えるようになって
最近、楽になってきました。
これって、白石先生の遠隔同調のおかげかも~♪
ありがとうございました!(^-^)