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善行と偽善の大きな違いとは?

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偽善と善行についてもう少し詳しく書いておきましょう。
なぜ偽善は善のカルマにならないのかを説明しておきます。


ただその前にひとつ言っておきます。
“偽善”は別に悪いことではありません。

そもそも偽善という言葉があまり良くないのかもしれません。
偽善者というと悪いイメージがありますが、偽善者の行為によって助けられる人や喜ぶ人がいればそれでいいではないかという考えもあります。

与えるものと与えられるもの、特に両者に不具合がなければ第三者から批判される筋合いではないのはごもっともな話であって、そもそも世の中は偽善で成り立っているという一面もあることでしょう。

僕も別に否定はしません。


しかしカルマの話しでは“偽善”はどこまでいっても“善”ではないので、そこには明確な区別が必要なのです。


ではどう違うのかを解りやすく解説するならば、
“偽善”は『奉仕』ではなく『取引』だと考えるといいでしょう。

『取引』は見返りを求めた行為ですから、ある意味、商売などと変わりません。

例えば大々的にアピールする寄付行為などは、まさに何らかの見返りを求めています。
それが「好感度アップ」だったり「ビジネス的な利益」だったりします。
何かを与えて、何かを対価として得る行為。
商取引としてみれば悪いことではないんですが、決して善行ではないのです。

対して“善行”は何も求めずに与えるだけの行為です。
単に困っている人を助けたいという想い。非常にシンプルなものです。

カルマ論で言えば、
善行はリンゴの種を蒔く行為、偽善はリンゴを買う行為。
未来に繋がるのは善行のみなのです。

もし人が飲まず食わずで生きられるのなら、善行のみの人生を歩みたいというのは理想論かもしれません。
しかし、なかなかそうはいかないのが世の常です。

ですから世知辛い世の中でも、機会があれば本当の善行を積みたいという本能が我々の魂にはあります。


どうでしょうか?
善行と偽善の違いがなんとなく理解できたでしょうか?


東京より
白石


追伸:
今日の写真は用事があって出掛けた折に撮影しました。
六本木ヒルズのイルミネーションです。とても綺麗でした(笑)

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