良いことをすることを『善行』といいます。
善行を積むことは素晴らしいことですが、
しかし一口に善行と言っても、しないほうがいい善行もあるのです。
あなたが満員電車やバスに乗っていて、
もしそこにお年寄りが乗ってきたら、あなたは席を譲りますか?
きっと譲ると答える人は多いことでしょう。
席を譲られたお年寄りも喜びますし、自分も良いことをしたと満足感を得られることでしょう。
ではもし席を譲られたお年寄が礼も言わず目を合わせずに
さも当たり前のようにドンと座ったとしたら、あなたはどう思いますか?
「折角、譲ってあげたのに、何なのあの態度は!」
「お礼の一つも言えないなんて、譲って損した。」
こんな風に考えてしまう人はいるでしょうか?
善意の気持ちで手助けしてあげることは、確実に善のカルマを積むことになります。
しかし折角の良い行いも、心の中でそこに見返りを求めてしまうようだと、実は必ずしも善のカルマとはならないので注意が必要です。
まわりから良い人だと思われたい。
尊敬されたい、感謝されたい、お礼をもらいたい。
こういった裏心や見返りを求めた行いは、
実は善行(ぜんこう)ではなく、偽善(ぎぜん)なのです。
偽善者は、善いことに結果を求めてしまいます。
そして結果が出ないと、腹が立ってしまうのです。
もし良いことをしても後から腹が立ってしまうくらいなら、最初からやらないほうがいいのです。
偽善は決して善いカルマにはなりませんし、結果を得られないと立腹し、魂も硬化させてしまいます。
本当の『善行』とは、
与えたことに対して後悔しないことなのです。
お年寄りに席をサッと譲って、お年寄りが座れればそれでいい。
誰が見ている訳ではないけど、倒れていた自転車を起こしておいた。
スーパーの棚から落ちていた商品を戻しておいた。
他人からの見返りを求めなくても、良いことをすれば自分の心が清らかになるという見返りがあります。
誰も見ていなくても、誰に褒められなくても、
自分が良いことをしたと思えることが本当の善行なのです。
年の初めです。
今年は本当の善行を積みましょう。
東京より
白石