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攻撃型黒カルマの恐怖

黒カルマを他人から貰ってしまうことで、自分の魂の目をふさいでしまうことがあります。

でも、実はこのケースはそう多くはありません。
前回の講義で、自分が黒カルマを発生させてしまうパターンについてお伝えしましたが、ほとんどの場合においては黒カルマは自分自身が生み出すものであると言えます。

しかし黒カルマ過多だと思われる人の1~2割は、こうした他人からの貰ってしまったパターンです。
少数派ではありますが、10人いれば1~2人は貰いカルマなわけですから看過することはできません。

しかも厄介なのは、自生させてしまった黒カルマに比べて、他人から貰ってしまった黒カルマというのは攻撃型であることが多く、より人生に悪影響を及ぼしやすいのです。


黒カルマを他人から貰ってしまうケースのメカニズムですが、これはとてもシンプルです。

Aさんのことを恨むBさんが魂を硬化させ、しだいに黒カルマを生み出します。
そのままBさんが自分で保持してくれている分には構わないのですが、問題はAさんに対してあまりに強い憎しみを抱き続けてしまった場合です。
Bさんの魂は激しく動き回り、同時に黒カルマをAさんに対して送り込むようになります。

黒カルマの中には飛来する攻撃型の黒カルマがあり、これが他人の魂に付着してしまうと、そいつが悪さをするようになる。
これは風邪をひいた人が、くしゃみや咳でウイルスを飛ばしてくることをイメージすればいいでしょう。

ただ風邪のウイルスと違うのは、魂というのは例え削りカスであっても距離を超えてしまうということです。
極端なことを言えば、日本にいる人が地球の裏側のブラジルにいる人へ向けて黒カルマを飛ばすことも出来てしまうのです。

攻撃型の黒カルマを生み出した人が、標的とする人へ向けて無作為に黒カルマを飛ばしてくるわけですから、飛ばされた人はたまったものではありません。


ただしひとつ救いなのは、この黒カルマをそれほどコントロール良く飛ばせる人はそういないということです。
くしゃみで飛び出すウイルスを狙った人に付着するようにするにはかなりの至近距離にいないと無理なように、黒カルマも見えない場所にる相手に正確に飛ばし続けることは通常は不可能です。

ただあえて「通常は不可能」と言わせてもらったのは、実は離れた相手に正確に攻撃型黒カルマを飛ばす術もあるのかもしれないのです。

僕は黒カルマを見て浄化させることは出来ますが、攻撃型の黒カルマを他人に飛ばすことに関しては実際にやったことがないのでここは憶測の話しになります。


ちょっと怖い話しですが、人を呪う話しとして有名なのは怪談ばなしにある『呪いのわら人形』や他人を呪う『黒魔術』などが思い付きます。
僕の概念の中では、実はこういった呪いの術というものの根源にあるものは、この『攻撃型黒カルマ』をより正確にピンスポットで対象者に飛ばすためのものではないかと考えているのです。

それは僕のように黒カルマの存在を認識できる人が過去にいたとしても何ら不思議ではないなという思いがあるからです。

前にも書きましたが、実際に僕の招待制のサイトに入場の申し込みメールを送って下さった人の中にも、黒カルマを見れる人がかなりたくさんいました。
これはいつの時代も世界中にいたと考えていいと思います。

そして開いたサードアイを持った人のなかに、攻撃性に特化した黒カルマに目をつけ研究した人がいて、操る術を開発した人がいたのかもしれないという憶測です。

呪いのわら人形にどれほどの効果があるものなのかは僕には解りませんが、もしあの行為が正確に自分の黒カルマを狙った人に飛ばす術だとするならば、もし本当に飛ばせるのなら、それなりに効果はあるのだろうと思えます。

僕は呪いのメカニズムがどういうものなのか?については研究したわけはないので詳しくは解りません。
ただ攻撃型黒カルマに置き換えてみると非常にしっくりくるし、説明が付くと勝手に想像しているだけなのですが、これはまあ僕の目指すものとはかけ離れているので、小知識程度の話しです。

さて話しを元に戻したいのですが、おっと今日も脱線ばなしで長文になったので今日の講義はこれまでということで(笑)

次回の講義は今日の続きです。


白石

怒りの泡

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『怒り』はなにもイライラ、プンプンしたりするだけが『怒り』ではありません。

自分と違う考えの人を蔑んだり、見下したりするような気持ちも、ある種の『怒り』の感情です。

暴力的になったりすることと相手を下に見る気持ちは、強弱の差があるだけで、実は同じ『怒り』という感情が原因なのです。


『怒り』とは普段は穏やかな水面にポンと湧き上がる泡のようなものです。

水中に溶け込んでいた有毒ガスがささいな切っ掛けで圧縮された泡となり一気に上昇します。
水面に顔を出した瞬間に破裂し、中のガスを大気中に放出拡散します。

そしてこの破裂した泡に気付かないままでいると、次々に泡が生まれ、いつのまにか大気は汚染されてしまいます。


そうならないようにする為には、泡がポンと割れた瞬間に


「あっ、いま泡が割れた!」


と意識できる自分がいればいいのです。

『怒り』の泡は割れた瞬間にそのことを認識できる自分がいれば、その後の泡の発生を防ぐことができるのです。

1個の泡が割れた程度なら大した汚染にはなりません。
すぐに感情をコントロールできるようになります。

しかし『怒り』の泡が割れていることに意識を持って行けないままでいると、怒っている自分に気付くことが出来ません。
泡は次々に発生し、次第に大きくなり、もはや地獄の釜のようにボコボコと大きな泡が破裂しだす。
大気はガスで汚染されて真っ暗闇に。

そうなってしまうと、怒っている自分に怒り出すような怒りのスパイラル。
何に対しても瞬間湯沸かし器のように感情が沸騰してしまう癖がついてしまうのです。

生活していれば『怒り』の泡は誰にでも立ちます。
ただポンと泡が割れた瞬間に、そのことを認識できるもう一人の自分の存在を育てることが出来れば大事に至ることはありません。

『怒り』は簡単に瞬間的に生まれますが、消すことも簡単に瞬間で消すことが出来るのです。


白石

黒カルマはこうして生まれる

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さて今回は黒カルマの発生についてです。


黒カルマは魂の削りカスだというのはお分かり頂いているでしょう。
この魂が削れるという行為は、怒り、恨み、ねたみなど、魂を疲弊させてしまうことで凝り固まっていくことが元凶となります。
その硬い魂が、柔軟な他の魂とぶつかり合ったときに、硬い方の魂だけがボロボロと削り取られていくことで発生するのです。

そして削り取られた魂のカスは元の魂のもとを浮遊します。
この黒カルマはとても粒子の細かい粉状のもので、多くなってくると人間の勘覚を担う第三の目をふさぎだし、その人の決断力を阻害するので、黒カルマの多い人は人生を踏み外しやすくなります。

また硬くなった魂の持ち主は考え方にも柔軟性がなくなり、ささいなことで苛立ちを感じやすく、性格的にも非常に攻撃的に変わっていきます。

そして何かうまくいかないことがあると、自分の判断を棚に上げて他人や社会のせいにしだすようになります。
結果として周りから人が離れ、疎ましく思われるようになり、強い孤独感に悩まされていくのです。


これが自分で黒カルマを作り出してしまう流れになります。

黒カルマは自分で発生させてしまうパターンと、他人のものを貰ってしまう2パターンがありますが、今回は自己発生パターンについて詳しく見てみましょう。


お分かりのように黒カルマはある日突然に発生しだすわけではありません。
最初は誰もが柔らかな魂の持ち主であるのに、時間をかけて坂道を転がるように堕ちる人は堕ちて行ってしまう。

黒カルマを自分で生み出してしまう原因の、怒り、恨み、ねたみ、などは誰でも経験があることですが、いつまでもそういった負のパワーを持ち続けることは通常であればありません。
1年前の人間関係のイライラを今も持ち続けている人がいますか?
中にはいると思いますが、多くの人はそんなイライラがあったことすら忘れていることでしょう。
それはどこかで魂自身が理性という力を発動させ、負の感情を抑え込み、魂自らを守ろうとするからです。


ところが中にはそういった魂の抑制力をも上回る勢いで、怒りや恨みを増幅させてしまう人もいます。
これはほとんどの場合、その対象となる相手と引くに引けないような争いに発展してしまったケースなどが引き金になります。
魂は理性で抑え込もうとしますが、相手がそれを許さない勢いで攻撃を仕掛けてくる。
それに負けじと応戦していると、いつの間にか自分の魂も疲弊し硬くなってしまうのです。

そして争いの頻度が増していき、あるときから自分から争いを仕掛けるようにもなっていく。
もちろんかつて自分が巻き込まれたように、今度は自分が柔らかな魂の持ち主を巻き込んでいくのです。


このように黒カルマを自らが生み出してしまうことは、自分だけで収まらずに親友や親兄弟など身近な人までも巻き込んで負の連鎖を拡げていきます。

まわりに常に怒り、嫌味を言い、陰口をたたく人がいたとしたら、その人が黒カルマに侵されてしまっている可能性は否定できません。
こういった人に無防備な状態でむやみに近づくことは、僕はまったくお勧めできません。
仕事の関係などでどうしても人間関係が切れないようなケースはよくありますが、その場合は付かず離れずの距離を保ちながら決して深く入り込むことなく、かといって無視するでもなく、その場をやり過ごすくらいの警戒心を持っておいたほうがいいかもしれません。

綺麗ごとを言えば、誰にでも優しく分け隔てなく、本音で真正面から付き合うことが正論かもしれません。
しかし残念ながらそういった平和心な人に対して攻撃的になったり、利用しようと考えたり、依存して来たりといった人はたくさんいるのです。
それは皆さんが思っている以上にです。

怒りや恨みを抑え込んでしまえる柔軟さを持った魂を守るには、まずは自分から硬くするような行為を避ける努力をすること。
そしてそういう可能性をもった他人との深い接触をなるべく避けて生活する警戒が必要です。

すこし寂しさや世知辛さを感じるところですが、今は鍵を掛けなくても泥棒に入られることのなかった時代ではなくなっているということです。

自分を自分で護る心掛けは持っておいてください。
そうした自衛心があれば、まずは魂の硬化スピードを食い止めることができるでしょう。


次回の講義は他人の黒カルマを貰ってしまうパターンについてです。


白石

黒カルマ ~序章~

黒カルマが増えると

魂の目が曇り
  ↓
勘覚が鈍り
  ↓
選択を間違う
  ↓
人生がうまくいかない


黒カルマが人生を狂わす流れについては「smiling again」で簡単にお伝えしてありますが、このブログではより深く黒カルマのメカニズムを解説していきたいと思います。


と、その前になんですが、僕が前回、前々回のブログエントリで記事にした『覚悟を決めることで道は開ける』『勝負する相手は誰?』はお読み頂けたでしょうか?
もし読んでいないようなら読んでいただきたいのですが、どのような感想を持ちましたか?

もしかしたら「世の中そんなに甘くないよ」「それが出来ないから苦労しているんだよ」などと難しく思った方もいるかもしれません、どうでしょうか?

実はあえて2連発で「自身の精進に努めるべき」という趣旨のエントリを上げたのは理由があります。

それは黒カルマをもらいやすい人の多くは、自分よりも外を向いてバランスを保とうとする人が多いからなんです。

他人との差に敏感な人は、常にその差にコンプレックスを抱いてしまうので、知らず知らず恨み・ねたみ・嫌味・自慢などに囲まれて生活することになります。
これは自分から発することもありますし、周りから受けることもあります。

そのことは何となくですが理解している部分もあるので、ああいう内容の話しには耳に痛いと感じてしまうところがあります。

結果として魂を痩せさせる原因を生み出しやすいので、年月とともに第三の目が曇ってくる。
そうすると勘覚が狂い、余計にパフォーマンスが低下していくという負のスパイラルに陥ります。

ところがあのエントリを読んで完全に納得・共感できた人も多くいるはずです。
すでに実践していることだと思った人も多いことでしょう。

その方は生き方としては正のスパイラルの人なんです。
黒カルマの発生源をかなり抑え込むことが出来ていますので、勘覚も優れています。


あの二つの記事を読んで、難しく思うか、簡単なことと思うか。

皆さんにまずは知っておいてほしいのは、黒カルマというのは、とても身近な、普段の生活の中のほんの少しの考え方や習慣の違いだけで回避できるものだということ。

そしてそれは、今からでも変えていくことが出来るものだということなんです。

ぜひこのブログでそれを学んでほしいと思うんです。
そうですね、学生に戻った気分で新しい知識を吸収してみて下さい(笑)

その知識はきっとあなたにとって人生を生き抜く智慧となるはずです。
そして人生に迷っている人は、ぜひここを切っ掛けに人生を180度変えてみて下さい。
知識の吸収と実践で、必ず負から正へ回転を変えることが出来ます。
今まで見たことのない方角から見る景色というものを体験してほしいと思います。

これは僕にとっても新たな挑戦です。
インターネットという文字だけの世界で何人の方に「人生の好転」を提供できるのか?

結果が解らないだけに面白い。
僕にとっての未知の山登りです。


と、あれあれ?
あら前置きがながくなってしまったので、黒カルマの講義は次回です(笑)

次回は黒カルマの発生パターンについてです。


白石

勝負する相手は誰?

人は自分を他人と比べることで、落胆したり、安心したり、優越感を憶えることを繰り返しています。


個々の能力や物ごとには少なからず差がありますが、その勝ち負けに必要以上にこだわってしまうことは、万が一、圧倒的な差をつけられたときに大いなる落胆と諦めの心に自信喪失するリスクを背負っているのです。

また勝ったにしろ負けたにしろ、無駄に争いの軋轢を生み出し魂を削ることに繋がります。


ですから僕は、勝ち負けに心を割くのではなく、自分自身がいかに能力を発揮できるかにこそ人間の真の進化があると思っています。

その追求こそが、自分に本当に適した道を探し出すことへと繋がるのです。


ものごとの優劣は他人との差ではなく、自分との戦いだということ。


他人を蹴落とすことで得る勝利に価値を見出すのではなく、自分の能力をフルに発揮することに精進することこそが、人間の価値を高めることといえるのではないでしょうか。



白石

smiling again