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宿題の正解者を発表します!

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さて、あっという間に年が変わって2017年になりました。
遅くなりましたが、みなさん明けましておめでとうございます!

2月になって新年のあいさつをするブログもどうだと思いますが(笑)
まあこれも白石スタイルということでお許し願いたいと思います。

読者の皆さんはご存知のように、僕は1月は毎年バリへアグン巡礼登山へ行きますが、今年もなんとか無事に登頂成功し、帰国できたことを遅ればせながら報告させていただきます。
今回は天候にも恵まれて、度々苦労することの多い樹海のぬかるみも無く、終始良いペースで登ることが出来ました。

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ただ、今回の登山で例年と違ったのは、掘り起こした水晶にいつもよりも損傷や曇りが多くみられたことでしょうか。
やはりここ数年、近隣の島にあるシナブン山、ガマラマ山、リンジャニ山が相次いで噴火し、火山活動が活発化している影響だと思いますが、もしかしたら火口近辺はかなりの頻度で火山性の地震があったのだろうと推測しています。
これらの火山群はみな地下では繋がっていますから、もしかしたらアグンも近々噴火する可能性が高まってきているのかもしれませんね。

そういった理由から、今回掘り起こしたクリスタルには一部欠けなどがみられる石もありますが、あの過酷な環境下で半年間眠っていた証でもありますから、損傷が小さいようならあえてそのままブレスレットにしました。
今回手に入れた方はいつもより高いエネルギーに包まれてみて下さい。本当に希少なお守りです。

ところで今回は、バリへはシンガポール経由で訪れました。
シンガポールには友人もいて大好きな国なので、1~2年に一度は必ず行くようにしているのです。

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今回、僕が訪れた時期は中華圏の旧正月前にあたる時期でしたので、とにかく街中が赤く飾り付けられていてすごく華やか。
大好きなチキンライスを食べに行くのにチャイナタウンを通ってみましたが、いや、すごい人と活気で圧倒されました。
ほんの200メートルくらいの小道を抜けるのにも一苦労でした。

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シンガポールに限らずタイもそうなんですが、華僑と呼ばれる中国からの移民の人たちが東南アジアの多くの国に溶け込んでいて、中国の文化をその国に根付かせているんですね。
そのためシンガポールでも1月1日の新年は意外にあっさりとしているらしいですが、1月28~29日のチャイニーズニューイヤーはとんでもないお祭り騒ぎになるらしいです。
今回はその前に帰国してしまったので体験は出来ませんでしたが、その予兆は充分に感じられるシンガポールの滞在でした。


などと白石の近状を報告してみたところで、さて皆さんお待ちかねの宿題の答え合わせといきましょうか。

昨年11月のエントリ、『死 ~魂の行方~ Part3』で出題した問題に多くの方から答えが寄せられました。

皆さんからコメント欄にいただいた答えを読ませてもらいましたが、
ほうほう、皆さんとても考えて答えてくれたようですね。

過去のSSSで僕が伝えてきたことをよく理解してくれているなと嬉しく思いながら、一人ひとりのお答えを読ませていただき、なるほど、こんな考え方をしている人もいるのかと感心するような答えもありましたし、思わず笑ってしまうようなファニーな答えも。
ただ全体的に、正解は美しい答えなのだろう、という固定概念のようなものにとらわれてしまっている印象もうけましたね。


さあ、皆さんにいろいろな推理をしていただきましたが、はたして正解者はいたのでしょうか?


います!


し・か・も・
なんと正解者は一人だけ!!


それでは正解の発表です。



正解:子を産み生命を育む行為。つまり生殖活動です。


たった一人の正解者、みみずくさん、おめでとう!
これはお見事でした。

本当はもっといるだろうと期待していたのですが、なんと1人とは!

しかし残念すぎるのは、うさぎさん、ゆき☆さん・・・です。
せっかく正解していたのに、、、ああ、答えを変更してしまいましたね・・・。

お二人を見て、僕が最初にリリースしたホームページに書いたことを思い出しました。
どんなに自分の勘がするどくても、他人の考えや答えに流されてしまうことで、人生の道を外れていってしまうという一文です。

人生は大小の選択の連続で、なかなか自分に自信が持てないことって多いと思いますが、お二人は、もうすこし自分に自信を持ってみた方がいいかもしれませんね。

ふふ、でも僕は面白かったですが(笑)


さて、それでは答えを解説しますが、ここからは大切なところなのでちょっと真面目に解説しますよ。


新たな生命体を生みだし子孫を残す行為は、魂にとっての最高の仕事であると言えるのです。
なぜなら新たな肉体は魂の住居となるわけですから、輪廻転生はこれなくしては成り立ちません。

そしてこれは、猿社会だけでなく、人間もそうですし、カタツムリも一緒なのです。これは地球上のどんな生物も変わりません。子孫繁栄は魂が宿った生命体にとっての最高のミッションであり、宿命であるといえます。

例えばよくテレビでみる鮭の産卵シーン。
メス鮭が産んだ卵に、数匹のオス鮭が群がり、一斉に大口を開けて受精させようと必死になっているシーンです。見たことありますよね。

鮭は川の源流域で生まれますが、その後は川を下り、栄養豊富な海で大きく成長します。
その後、自分が下ってきた川をのぼるわけですが、この時、必ず自分が生まれた川を上るのです。
これを母川回帰(ぼせんかいき)と言いますが、どうやって自分が生まれた川を識別しているのかは諸説ありますが、一番有力な説としては自分の生まれた川の水の匂いを覚えているからだそうです。
実は鮭には鼻の穴があるのですが、その穴を詰めてしまった鮭は母川に帰ることができなくなってしまったという実験結果もあるのだとか。
そして滝などの難所を何度も乗り越えて、やがて自分が生まれた源流域にたどりつきます。
そして産卵、受精をしたのちに、そのまま力尽きて死んでしまいます。
死んだ死骸はやがて朽ち果てますが、それは川の滋養になり、微生物や水生昆虫を育みます。
卵から産まれた稚魚はそれらをエサとし、成長し、また川を下るのです。

鮭の一生はまさに輪廻の縮図のようです。

あの鮭の産卵シーンは、鮭の人生にとって最大のメインイベントであり、文字通り命をかけたミッション遂行の瞬間です。
そう思いながらあのオスの大口を開けた受精シーンを見ると、まさに一生分のエネルギーをあの瞬間に放出しているように見えますよね。
産卵後の鮭はまさに精も根も尽き果てたように川底でじっとしたまま、魂がすーと抜けるように、静かに生命の明かりを消していくのです。


もう一つの例として、ツキノワグマの生殖活動もあげてみたいと思います。

本州と四国に生息するとされているツキノワグマですが、ツキノワグマのメスは冬眠中に巣穴の中で1~2頭の子熊を産みます。
そして春になると穴から出てきて、それはそれは大切に愛情をもって子育てするのです。
ところが子熊が何事もなく成長し、成獣になる確率は40%ほどだそうです。

熊といえば、山の中に生息する生命体の中では一番体が大きく獰猛で、一見すると生命を脅かすような天敵がいないように思えます。
一体、なぜ60%もの子熊が成長途中で命を落としてしまうのか分かるでしょうか?

人間に撃たれてしまうから?
年々エサが少なくなっているから?
病気が蔓延するから?

もちろんこれらの答えも間違ってはいないでしょうが、それだけではないのです。

これはNHKの番組でツキノワグマの生態を追ったドキュメンタリー番組を見ていて、僕は衝撃を受けたのですが、
なんと子育て中の親子熊に遭遇したオス熊が、子熊を襲い、殺して食べてしまうのです。
もちろん母親熊は必死に子熊を守ろうと戦いますが、オス熊は身体も一回りも二回りも大きく、抵抗むなしく子熊は亡きものとされてしまいます。

なぜこのようなことをオス熊はしてしまうのでしょうか?

例えば同じ日本に生息する野生動物でも、日本猿の群れなどは、リーダーのオス猿のもと、皆一丸となって子供を守り育てます。
ところがツキノワグマのオスは、子熊を見るやまるで何かに憑りつかれたように追い掛け回し、かみ殺して食べてしまうのです。

その理由は、実は生殖活動にあるのです。

メス熊は子育て中は繁殖するために発情をすることはありません。
しかし子供を失ってしまうと、本能が子供を求めるようになるので発情するようになるのです。

つまりオス熊は子熊を殺すことでメス熊から子供を奪い、その後そのメス熊を追い掛け回し、発情を待って交尾するのです。すべては自分の種を残すためです。

我々人間にとってはとても信じられない野蛮な行為と思えるでしょう。もし人間がこれをやったら大変な大事件です。
しかし熊の社会ではこれがモノサシなのです。決して人間のモノサシで測ろうとしてはいけません。

力づくで他の命を奪ってでも、自らの生命の炎を残そうとする。
これは良い悪いではなく、個体数がすくない熊という生命体に宿った魂の本能でありミッションなのです。

ちなみにNHKのこの番組では、このメス熊は翌年にこのオス熊の子供を宿しますが、なんとまたも出会ったオス熊に子供を奪われてしまうという、見ててなんとも切ない結果に...。これは本当に衝撃的な番組でした。


子孫を残すということは、誰もが成し遂げられるものではありません。
鮭であっても川を上る途中で力尽きてしまうものもいますし、ペアリングできない個体もいるでしょう。
同じように人間も、求めても叶わない人もいますし、様々な理由から元から求めない人もいます。

ミッションを成し遂げることが出来なかったからといって転生できないということではありませんので、そこは間違わないでほしいのですが、今回の宿題、『魂が悦ぶ最高の仕事』の答えとしては、生殖活動、子孫を残すというのが正解となります。

答えとしてはストレートすぎるくらいにストレートなので、そこがかえって難しかったのかもしれませんね。

仮に思いついても「そんな単純な答えじゃないか」と変更してしまった人は、うさぎさん、ゆき☆さん以外にもきっといたことでしょう。
でも本質は割と単純だったりするものです。単純でシンプルだからこそ見逃してしまうことってよくあります。

人間はどうしても、人間社会の中で身についているモノサシの尺度ですべてを測り、心地の良い答えを探そうとしますが、魂の世界ではそれは必ずしもそれが正解とは限りません。

「そんな理不尽な」と思うようなことことであっても実は魂が活性化するようなことや、反対に人間社会では許されていることであっても、魂の世界ではタブーなことも多くあるのです。

こういったこと、今後も少しづつお伝えしていけたらと思っています。


さあそれでは、今回唯一の正解者でした『みみずくさん』にはお約束通り、一週間(7日間)の魂の同調をプレゼントします。
おめでとうございます。


そして惜しくも答えを変更してしまった『うさぎさん』『ゆき☆さん』のお二人。
本当に惜しかったから、ニアピン賞として5日間の同調をプレゼントします(笑)


そしてそして、答えは外れてしまったけれど、今回コメント欄に答えを書いて参加してくださった皆さんには・・・
えーい!遅れたお年玉だ! 参加賞として3日間の同調をお贈りさせていただきます。


参加時のハンドルネームを必ず件名に記載したうえで volforce@gmail.com の方へメールを送ってください。
締め切りはすこし時間をおいて今月中(2017年2月いっぱい)までとします。参加者には返信で必要事項をお伝えします。
尚、返信はPCメールでしますから、携帯やwebメール(Yahoo!やGmailなど)で受け取る方は迷惑メールに振り分けられないように設定しておいてくださいね。返信は一斉送信(BCC)で行います。


ところで、、、
実は問題を出した回の、猿のくだりで答えをサラッと書いていたわけですが・・・(笑)



東京より
白石

死 ~魂の行方~ Part3

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また例のごとく間が空いてしまいました・・・。
しかも今回は長かったね。続きを待っていた方ごめんなさい。

今はとある研究に力を割いていて、寝ても覚めてもという感じで没頭しています。
一旦集中すると時間の経過も忘れてしまうたちなもので、仕事の合間に研究というよりは、研究の合間に仕事をしている毎日です。

そういうわけでSSSの更新もすっかりペースダウンしていますが、
とは言っても書きだしたら一気に書くタイプなので、ある日突然、連発投稿することもあるかもしれませんから、まあ定期的に目を通すようにしておいてください(笑)


さて『魂の智見』の新テーマ“死 ~魂の行方~ Part3”です。

前回Part2の最後にすこしショッキングなことを書きました。
忘れた方はちょっと戻って読んで来てください。

死 ~魂の行方~ Part2


あなたの死後、転生先の宿となる肉体は人間以外になるかもしれません。

Part2では最後の一文に、こんな一言を投げかけていたのですが、
死んだ後の話しとはいえ、これって結構地味にショックを受ける人も多いのではないかと思います。

「私は死んだら、カタツムリに生まれ変わるの?」

こんな疑問と不安に駆られながらもやもやと過ごしてきた人もいることでしょう。
でもこれは、ほぼ本当の話しです。

“ほぼ”としたのは、たとえば人間が次世代でいきなりカタツムリに転生することはありません。
それは魂のレベルが人間とカタツムリとでは違いすぎるからです。

地球上で最高の肉体は我々人間ですが、この人間をあやつる魂のレベルと、カタツムリの魂のレベルはイコールではないということ。
しかしサルや犬などの、比較的脳が発達した動物に生まれ変わる可能性はあります。

現世で魂というエネルギー体を痩せさせ、パワーを落としてしまえば、それに見合った低レベルな生命体が新たな宿となるのです。
逆に、魂をストレスフリーで活発化させ、パワーを溜め込んだ活力あふれる魂へと育て上げた場合は、それに見合った高度な肉体の宿へ引き込まれていきます。

魂のパワーサイズと、宿となる肉体の器の大きさが、ペアリングとして適合するか否かということです。
ヤドカリと貝殻の関係ですね。

ほとんどの場合、人間は人間に転生することになるでしょう。なぜなら人間の魂は他生物の魂に対して、とても大きなものだからです。しかし魂を痩せさせれば、必ずしも人間に生まれ変わるとは限らなくなります。
実際、猿類の魂の大きさは人間とそう大差ありませんし、群れのリーダーともなると非常に活発で力強い魂を持っています。おそらく猿から人間へ転生する魂も多いと思われます。


しかし、この生まれ変わりの話しも、
「自分が死んだ後の話しなどどうでもいい」「興味ない」
と心から割り切ってしまえれば、どうってことのない話かもしれません。

なぜなら、現世の記憶はあくまで現世の肉体(脳)のなかにインプットされているもので、次世の新たな肉体へは移行できません。
つまり自分の前世が人間であった、猿であった、カタツムリであったという記憶は引き継がれないわけですから、仮に人間から猿に生まれ変わったとしても、それはそれで苦ではないからです。

「早く人間に生まれ変わりたい」と願いながら、生きている猿はいないでしょう。(おそらくですが・・笑)

前世の記憶を引き継がないならば、ドライな考え方を持って、今を思い通りに生きるという選択ももちろんありだと思います。
しかし多くの人は、なかなかこういったドライな割り切りができないはずです。


魂に刷り込まれた本能とは

「自分が死んだ後も人間として生まれ変わりたい」「しあわせな人生を歩む人になりたい」
こう願っている人が多いことでしょう。

また不幸にも身近な人を亡くしてしまった人も、「生まれ変わったら幸せな人生を歩んでほしい」と願っている人がきっと多いはずです。

なぜ人は死後のことまでも心配するのでしょうか?
死後のことまで考えて生きている生物は、おそらく人間だけだと思います。

例えばエジプトのピラミッドは、何のために作られたのか?
諸説ありますが、王が死後も輝かしい栄光を発揮することができるように造られた建造物だとう説があります。
王は立派なお墓の中で、たくさんの財宝に囲まれて眠れば死後も強い影響力を保てると信じていたのかもしれません。

そもそも“お墓”という概念は人間しか持っていません。
死後の家も用意するという行為は、よくよく考えてみればとても不思議な行為ではありますが、これこそがまさに魂の本能であると言えます。

魂が本能的に求める“永遠なる繁栄”という欲求。

そこには魂の厳しい生存システムがあるのです。

どういうことか?
実は魂にとってレベルアップ・現状維持することはとても難しいことですが、レベルダウンは比較的簡単なのです。


先ほど、魂にとって人間は最高の転生だとお伝えしましたが、では猿が人間にレベルを上げる転生を果たすには、どのような人生(猿生?)を過ごせばいいのでしょうか?

猿という肉体に宿っている魂が、死後、人間に転生するためには、生まれた時よりも魂の活力を上げる必要があります。
小さな子ザルが、年老いた老ザルになる2~30年の間に、どのような行為をするかで魂のレベルは変化するのです。
これは猿も人間も、またその他の生物も同じなのです。

人間社会では国や地域という枠の中で、法やモラルというルールに則って生きなければなりませんが、猿社会はどうでしょうか?
猿は群れになって行動する種が多いと思いますが、その猿社会のなかで魂のパワーレベルを上げる行為を考えてみたいと思います。

ただ残念ながら僕は猿語が話せませんし、彼らの特性を理解できている専門家でもないので、あくまで憶測の域は越えませんが、(いやもしかしたら前世は猿だったのかもしれませんが(笑))

例えばリーダーとなってその猿社会を統率する行為、群れの為にエサを確保する行為、子を産み生命を育む行為。
またもしかしたら人間が理解していないだけで、彼らには彼らなりの猿社会特有のルールやモラルが存在し、魂を活性化させる“善い”とされる行為などがあるのかもしれません。
※これは人間の経験や知識や常識、モラルやルール解釈では測れないことです。モノサシが違うのです。

人間には人間の、猿には猿の、カタツムリにはカタツムリの、その生命体の枠のなかに存在する魂の悦ぶ行為。
そういった行為を生前に多く成し遂げた魂は、パワーが上がり、活性化していくことになります。
そして、それは転生時により器の大きな種への昇華へとつながっていくのです。

魂には本能的にレベルアップしたい、安定したいという欲求が組み込まれています。

自分は死んだら犬になりたいとか、鳥になって大空を羽ばたきたいとか、もう生きていくのは疲れたから無になりたい、などと考えることはあるかもしれませんが、それは多くの場合が、一時の人生経験からの脳内判断の迷いであって、魂の本能判断ではありません。
生命感にあふれている幼少期の姿というものが、魂の本来の姿であるのです。

しかし社会で生きていくと、様々なことが起こります。
良いことだけではなく、悪いことも起こるでしょう。
それは人間社会だけではなく、猿もそうですし、カタツムリの社会でもそうです。

そうした事象に対し、どう乗り切るのか?あるいは乗り切れないのか?
こうした事象に対しての一つ一つの対応が少しづつ魂のその後の方向性を決めていきます。

人間にとって、魂の本能に背くように生きてしまう原因のひとつは、挫折感や劣等感などの肥大化ですが、マイナス感情の増大はやがて魂の自傷につながり、それは魂自体のレベルダウンへとつながっていきます。
硬化した魂は活力がなくなっていき、その状態のまま転生することになると、人間の器に当てはまらなくなる可能性が出てくるのです。

魂をレベルアップあるいは維持することは難しいが、レベルダウンさせることは簡単。

魂の進むべき、指し示した方向は決まっています。その方向に素直にしたがう生き方ができるかどうか?
SSSの読者の皆さんは、どんな状況でも魂の声を聞き取れる人生を選んでくださいね。


さあ、ここで皆さんに宿題でも出しておきましょうか(笑)

(問題)
すべての生命体に共通する、確実に魂の活性化を上げるであろう行為があります。
その行為は、魂にとって最高のミッションです。
それはなんだか分かりますか?


ゆっくりお考えください。時間はたっぷりありますからね。
※次回の更新が遅くなる言いわけではありません(笑)


東京より
白石

死 ~魂の行方~ part2

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先月はバリ島のアグン巡礼登山の月でした。
もうアグンにはかれこれ二十回くらい登りましたが、僕も年なのかだんだんとキツさを感じるようになってきましたね。
とくに樹海が雨でぬかるんでいたりすると本当にキツイ!
以前はきつい中でもまだ余裕があったのですが、最近はほんとに余裕がないです(笑)
毎回、下山しながら「もう今回で最後にしよう」と思うのですが、、、でも1カ月もするとまた導かれるように登りたくなる。
まったくとんでもない山に魅せられてしまったものです・・・。


さてさて今回は『魂の智見』の新テーマ“死 ~魂の行方~ part2”です。

忘れた方はこちらから
死 ~魂の行方~ part1

“死”というとても重いテーマを取り上げているので、なかには敬遠したいと考える人もいるかもしれません。
そう感じた方はもちろんパスしていただいても結構ですが、前回もすこしお話ししたように“死”は“生”と表裏一体であるというのが僕の見解です。
生きることと死ぬことは永遠のループであり、死ぬことも生まれることも、そのループの中の一瞬の継ぎ目でしかないのです。

1年の終わりの日、“大晦日”と新しい年の初日である“元旦”が1秒の継ぎ目で繋がっているように、魂もまた生と死を1秒で繋ぎながら輪を廻しているというわけですね。

そう考えると、“死”を考えるということは、それは同時に“生”を考えるということでもあるのです。
そしてそれは今を生きる私たちの“生きざま”というところにも繋がっていきます。

私たちはいかように生きて、いかように死を迎えるべきなのか?
転生をスムースに行うために必要な生き方を知っておくことは、実は人間にとっては最も必要とされる究極の智恵といえるかもしれません。

人は誰もが死んだ後は、天国へ行きたいと願っているでしょう。
しかし魂が肉体から離脱したあとに、天国という特定の場所に住み着くということはありませんし、同じように地獄という場所に閉じこめられることもないのです。

魂にとって天国とは、すみやかに新たな肉体を宿とした転生を完了させ、新生命体として現世を生きること。
つまり生まれ変わることです。

反対に地獄とは、転生をなかなか行えずにぐずぐずと滞ってしまう状態。
生まれ変わることが出来ないで、現世を漂い続けてしまう、いわゆる浮遊霊の状態です。

この“転生”こそが、魂の天国と地獄をわける現象なのです。


ではこの“転生”ですが、なぜ転生成功と失敗に分かれてしまうのでしょうか?
肉体が朽ちたあと、すんなりと新たな肉体へとおさまることが出来る魂と、出来ない魂の違いとは何なのでしょう?

実はこの違いこそが、今を生きる我々の“生きざま”に繋がってくるのです。
僕が今までも何度も魂について解説してきたことです。

魂の仕事を妨げないようにしよう、魂の悦ぶことをしよう、ということ。


自己満足や、うぬぼれや、偽善ではなく、魂の要求に素直に反応してあげる行為。
“魂の仕事”を単純にまっとうさせてあげること。

こういった魂に負担をかけない生きかたが、どの程度のレベルで維持できているのか?
ここに転生の成功と失敗の分かれ道があるのです。

『自分が死んだ後のことなんてどうだっていいよ。』

こう考える人もいるかもしれません。
たしかに今ある記憶は一過性のもので、自分の死後、あらたな肉体には引き継がれません。
死んだ後で魂が苦しもうが何しようが、自分には関係ないと割り切ってしまうことも出来るでしょう。

しかし、もし前世の魂の宿主の間違った生き方によって、今を生きる自分になんらかの負担が掛かっていたとしたら・・・あなたは納得できるでしょうか?

『ちょっと前世の人たのむよー』

などと文句のひとつも言いたくなるかもしれませんね(笑)

しかしあなたがどう思おうと、どんな生き方をしようと、魂のレベルは次世に確実に受け継がれていきます。


“魂のレベル”


これこそが転生を成功へ、あるいは失敗へと導くキーワードです。

魂を高レベルで維持することは、確実に転生を成功させることに繋がります。

しかし、もしあなたが今の現世で魂のレベルを落としてしまったとします。
そのとき、あなたの死後、魂はどうなるのでしょうか?

転生がうまくいかずに失速し、魂が現世を漂ってしまう状態に陥ってしまう。
魂が浮遊状態になるかもしれません。

これはまさに転生失敗です。
いわゆる地縛霊や浮遊霊といわれる状態になり、目的を見失ったエネルギー体だけが現世に取り残されてしまいます。

この状態の魂は、皆さんが考えている以上にとても多いんです。
それこそ、そこら中にいます。

ただ浮遊状態になっているからといって、永遠に漂い続けるのかというとそんなこともありません。
何かの霊的なエネルギーの流れや、突発的な出来事によって、ふいに転生を再開することもあるので、その場合は一概に転生失敗とは言えませんが、転生再開に数百年もかかるということも普通にあるので、やはり確実に転生ができたほうが魂にとっては幸せなことだと思います。

そしてもう一つ、転生には失敗といえる結果があります。
これは聞くと皆さんドキッとするかもしれません。

みなさん、こう信じていませんか?

『来世はもっとお金持ちで幸せな人生を歩める人に生まれ変わろう。』

あるいは、こんなことを考えたことはありませんか?

『私の前世はいつの時代、どこに生きていた人だったのかな?』


どうでしょうか?
スピリチュアルに興味がある方だったら、一度は考えたことがあるでしょう。

しかし皆さん、それって前世も来世も、自分は人間であることが前提となってはいないでしょうか?
もしそうだとするならば、魂の現実の前に、それは大きく裏切られるかもしれません。


地球上には人間以外にも様々な生命体が存在しています。
われわれ人間を含む哺乳類だけでなく、爬虫類、両生類、昆虫、鳥類、魚類、植物など、何億種という生命体が生きているのです。
『一寸の虫にも五分の魂』という言葉があるように、生きているものにはすべて魂が宿っています。
そして“生きる”という仕事を全うしています。

カタツムリの魂は、生まれ変わってもカタツムリとしてノロノロ進む?
ワカメの魂は、生まれ変わってもワカメとして海をゆらゆら漂い続ける?

いえ魂は現世の仕事の質により、転生後は見合った器の宿へ納まっていきます。

インパクトのある一言をお伝えします。

あなたの死後、転生先の宿となる肉体は人間以外になるかもしれません。



続きはまた次回です。




東京より
白石

魂の大実験 まとめと結論

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もう6月ですか・・・。
来月はもう定例のアグン巡礼月です。半年がほんとに早いね。
そろそろまた色々と準備しないと・・
ここのところ身体もなまってるし、本格的な梅雨前にどこか予行練習で登ってこないとな・・。

などと困った風につぶやいていますが、実は初夏の登山へ行くのが楽しみで仕方ない白石です(笑)


さて現在、SSSでは新しいテーマで『魂の智見』をお送りしていますが、その合間に、昨年みなさんにご協力いただいた『魂の大実験』についてのまとめをお伝えしておこうと思います。すっかり時間が掛かりましたが・・。

今回の実験が魂にどういう変化をもたらしたのか?
またそれは、何らかの効果といえるものだったのか?

参加くださった方から多くの感想を頂いていますので、これらをまとめたものを解説しながら、僕の考察と実験結果も書いていきたいと思います。

さて、そもそも『魂の大実験』を開催することになったいきさつを簡単に振り返ってみたいと思いますが、ご存知のように僕の仕事は、傷ついた魂の修復です。

どうすれば効率よく黒カルマを除くことができるのか?また傷つき硬化してしまった魂を修復する方法はないものか?
これらの課題を解決すべく、過去にも様々な仮説を立てては実験をくりかえしてきました。

そんな中、時は2013年2月、当時僕がまだバンコクに住んでいたときでした。
ひょんな事例から魂のひらめきを得て、いてもたってもいられずこのブログに書き込んだことが始まりです。
魂の“ひらめき”を得ました

その後このひらめきを形にすべく、どういう実験方式をとればいいのかを考え、そして考え付いたのが『魂の大実験』だったのです。
魂の大実験 参加者大募集!!


思い起こすと魂の修復作業は、常に僕個人の能力の範囲内での作業でした。

しかし所詮、個人の仕事ですから、対象者数も限りがありますし限界があります。
事実、その限界がきて、僕は一度はこの仕事をあきらめて引退した経緯があります。


ただ、やはり頭の中にはどこか割り切れない思いが渦巻いていて、引退したとは言いながらも、常にその問題を解決する手段がないものかと考えてばかりいたのです。

そして考え付いたのが『多人数型チャネル融解法』という仮説です。


人によって強弱はありますが、人間には潜在的にチャネリング能力というものがあります。

チャネリングとはテレビのチャンネルと同じ、つなぐ、つなげるといったような意味を持つ言葉です。

人は想いが高まると、魂を飛ばす能力を持っているのです。
チャネリング能力が高い人は、それこそ遠く離れた地にいる他の魂とコネクティングすることが出来ますが、ただこれには強弱があり、人によって能力に大きな差があります。

しかしたとえ弱い能力しか持っていない人だったとしても、他の魂をやさしく包み込んで労わろうとする魂が一堂に集合したら、もしかしたら魂が互いを修復しあうといった現象が期待できないだろうか?
ふとした閃きでしたが、これを思いついたとき、正直、身震いしました。

そして確信はありませんでしたが、なんとなく上手く行きそうな予感が働いたのです。
僕個人の能力で仕事をするのではなく、たくさんの魂をあつめて仕事をしあうという相互型の修復方式です。

そしてついに昨年2015年1月5日の実験には、このブログSSSの読者、約300人からの方が参加くださり、同じ日の同じ時間に満月に想いを飛ばすという前代未聞の大実験が行われたのです。

そしてその結果は非常に興味深いものでした。


感想を頂いたうちの7割くらいの方が、気持ちに落ち着きと癒しを感じ、4割の方が誰かの存在を感じ取り、3割の方が身体的に暖かさを覚え、2割の方が声や光を見聞きしました。

特に何も感じることが出来なかった人も3割程度いましたが、多くは他人の目線や雑音、寒さなどが原因で集中しきれなかったという人が多かったようです。

この時期は真冬でとても寒い日で、満月を見るために外で参加した人が多かったですから、なかなか集中しきれなかったかもしれません。まして初めての経験ですしね。


しかしながら300人中、200人以上の方がなんらかの効果があらわれたことは、うれしい結果だったと思いますね。

その後、読者の方からたまたまNHKで放送していた興味深い番組のことを教えてもらい、ますますこの結果が必然であったと思えるようになっていったのです。
魂の大実験を解説してみます


そのため、更なる効果が期待できるとの読みから、2015年5月10日から12月25日までの期間、満月の夜に全9回の同実験を再開。
長期に渡った場合に、どういう効果が期待できるのかを検証してみたのです。

毎月参加くださった皆さんからは、魂が喜んでいる実感を得られた方が多かったようで、今年も継続してほしいという意見も多くいただいていますし、今も満月の度に必ず月に想いをよせている方もたくさんいらっしゃるようです。


ただ今年になって実験を続けなかった理由としては、皆さんからいただいたフィードバックや、参加者の魂のウォッチを入念に検証しなおした結果、残念ながら魂の修復までは至っていないという結論に達したからです。


これは参加してくださった方はちょっと残念だと思いますし、僕も皆さん以上に残念なんですが、皆さんの貴重な時間を割かせてまでお願いするほどの超絶した効果は得られないだろうと判断せざる得ませんでした。

一時的な魂の休息効果は期待でき、瞑想方法としては最高峰ともいえる効果が得られるので、継続することで魂に悪いことは何もありませんし、もし普段から瞑想をつづけている方がいましたら、毎月の満月、夜9時からの15分間は『多人数型チャネル融解法』を続けていってください。
これはあくまで任意参加なので、特にSSSで実況したりすることはありませんが、普通の瞑想よりもあきらかに沈静効果はあります。
今も続けている人が少なからずいますから、もしかしたら更に長期にわたった時に効果が生まれる可能性もあります。


ただ、ただ残念ながら、僕が期待していた魂の修復というテーマにそってみると、今回の実験では完全解決とはいかなかったということです。
これがうまくいけば本当に美しかったんですけどね。

しかしだからといって、今回の実験は無意味だったのかと結論付けるのかと言うとそうではありません。

魂が一つの方向に動いたときに感じたエネルギーのうねりは、今まで体験したことがない強さをもったものでしたし、おそらくあのレベルのエネルギーの先に、僕が目指す答えが見つかるのではないかという、漠然としていますが光も見えました。

さらに知恵をしぼり、もう1枚、2枚、ドアを開けないとハッキリとした光は見えてこないのかもしれませんね。
やはり魂という運命体に手を加えるということは単純簡単ではないということでしょう。

今回の実験を終えて、僕の率直な感想としては、

ほんとうに魂はむずかしいな、としみじみ。けれど魂は本当に面白いものだなと、しみじみといったところです(苦笑)


最後になりましたが、僕の思い付きの魂の大実験に、貴重な時間をさいて参加して下さったたくさんの皆様にこの場を借りてあらためてお礼とお詫び申し上げます。
どうもありがとうございました。そして期待に応えらえずにごめんなさい。
どうか皆さんが落胆し、魂に興味をなくしませんよう。今後もあきらめずに一緒に道を探っていってくれたらと願います。


東京より
白石

死 ~魂の行方~ part1

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人は死ぬとどうなるのか?

きっと誰もが考えたことがある疑問でしょう。

生前、善い行いをしていたものは天国へ、悪いことをしていた人は地獄へ。
我々は幼いころからこう聞かされ、天国へ行くために道徳を学んできました。

いまはドクドクと元気に働いている心臓が、そっと活動を止めたとき、いったいその1秒先にはどのような世界が我々をまっているのでしょうか?

魂と肉体の関係性を語るなかで避けては通れない“死”という問題。

『魂の智見』

今回からの新しいテーマとして、“死 ~魂の行方~”と題してお話をしていきたいと思っています。


ちょっとテーマが重いなと感じる方は飛ばしていただいて構いませんが、“死”は誰もがいつかは体験することになる人生の2大イベントのひとつです。
生きることと死ぬことはセットですから、生きている以上は誰もが避けることができないのが“死”というもの。

“いつかくるその日”を我々はどう受け入れ、そしてどう迎えるのか。

この難問を元気に過ごせている今だからこそ、一度じっくりと考えてみるのです。
とくに身近な方が亡くなり、悲しみの縁から逃れられずにいる方には知ってほしいことでもあります。

そして死ぬことは恐怖だと感じる人間という生命体が、いかに狭い枠のなかで生きているのかも合わせて知っておくべきでしょう。


ちなみに僕は自分が死ぬことにまったく恐怖を感じることはありません。
こういう仕事を続けていると人の死に直面することは多くありますし、死がもたらす悲しみや憤りは覚えますが、自分が死ぬことに対して怖いという感覚は持ったことはないのです。

たしかに“死”はすべてを奪い取っていく最悪の現象でしょう。多くの人が出来ることならば一生係りたくないと思っているはずです。
僕だって死にたくはありませんし、今の人生をもう少し楽しみたいと思っています。

しかし、もし仮に、明日人生の幕を閉じることになるという運命だったならば、それはそれで受け入れるしかないとも思っています。
そこに恐怖はありません。がっかりはすると思いますが、我を失うほどに錯乱することもないでしょう。
大切な人に別れの挨拶をし、しずかにその瞬間を待つことになります。

なぜ僕が“死”に対して、恐怖を感じないのか?

それは“死”という現象が、終わりではなく、始まりであることを知っているからに他ありません。
このブログSSSでも何度も魂と肉体の関係性を説明してきましたが、有限な肉体に対して、魂は無限であるということ。
“死”は魂にとってひとつの区切りであって、滅亡ではありません。
古い肉体を脱皮し、新たな肉体を身にまとうことを永遠と繰り返す、輪廻(りんね)の境界線こそが、“生”であり“死”であるのです。

数年前ですが、ある方が息を引き取る瞬間に立ち会ったことがあります。
その方はガンを患い、最後は意識不明の状態のまま生命維持装置をつけた状態で息を引き取りましたが、僕はその方の魂がすでに肉体を離れ、転生の段階に入っていることがわかっていました。
しかしそのことを家族の方に告げることはさすがに出来ませんでしたが、僕は冷静にその魂の脱皮をみつめながら、ほとばしる魂の光を浴びていました。

朽ち果てていく肉体は血色が消えみるみる白みがかっていきますが、魂は逆に燦々と光を放ち、生命力に満ちあふれ、力強く、そして美しく旅立っていくのです。

悲しみに崩れ落ちて亡骸にしがみつく遺族のかたわらで、その光輝く魂のエネルギーはすでに次なる旅をスタートさせているのです。

僕はそういった二つの非なる光景を目の当たりにして、“死”は終わりなのか、それとも始まりなのかを悩んだ日もありましたが、この仕事を続けてきて今思うことは、“死”は決して終わりではなく、ひとつの卒業であるということ。

そしてそれは同時に新たな生命の誕生を意味する入学式でもあるのです。

それこそが“転生”
つまり生まれ変わるということ。

古い肉体を脱ぎ捨て、あらたな肉体の元で生命の光を宿す。
魂が尊く神秘であリ続ける理由が、この瞬間に凝縮しています。

しかしこの転生は、すべての魂が成功させることが出来るものではありません。

前世や後世の世界というものは、今現在の魂の状態と密接につながっていて、その一連のつながりは、すべて今、私たちが発するカルマの存在で左右されます。

つまり転生の成功の可否は、今の生き方がおおいに関係してくるのです。

誰もが死んだあとは天国に行きたいと願っているでしょう。
しかし俗に言われている“天国”と“地獄”の存在。

僕は、天国や地獄という区切られた場所があることは明確に否定します。
が、転生の成功や失敗が、魂にとっての天国と地獄にあたると考えているのです。

死後、なにごともなく新たな生命体へと転生がなされれば天国であり、転生がうまくいかずに現世に漂ってしまう浮遊状態の魂は地獄であるということ。

世の中には転生できずに何十万年と浮遊している魂が多く存在しているのです。

転生は誰もが出来るのか?
人間以外に転生することはあるのか?
転生のタイミングは?
カルマと転生の関係

次回以降は、この転生について触れていきたいと思います。



東京より
白石

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