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“瞑想”知らぬは一生の損 part1

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こんにちは、白石です。

さて、今回の『魂の智見』ですが、じつは以前からこのSSSで取り上げなくてはと思っていた題材がありますので、今回から何回かにわけてお伝えしたいと思っています。

それは“瞑想”についてです。


「ええぇぇ瞑想?? 私、興味なーい」


今、こう思ったあなた。

僕は、そういうあなたにこそ“瞑想の本当のすごさ”お伝えしたいのですよ(笑)

というのも、ほとんどの方は瞑想についてその本当の効果をしりません。

僕のホームページやSSSでもたびたび瞑想については触れてきましたが、なぜ瞑想がよいのか、具体的にどんな効果があるのか、ということについては、詳しく説明する機会がなかったように思えます。

そこでこの機会に、瞑想の意味や、やり方、効果についてお話してみようかなと思います。


瞑想については数年前になりますが招待制のホームページのなかで“白石式瞑想法”をお伝えしています。
覚えていらっしゃる方も多いでしょう。

ただあの瞑想法は山頂火口での黒カルマの浄化を想定したものですから、普段、自宅でする瞑想とはまた違った意味合いになります。
もちろん自宅ではヴォルフォースの流れを意識する必要はありませんから、一般的に言われている瞑想法をすることになりますが、一口に瞑想といっても様々な手法があり、何を目的とするかによってもそのやり方が変わってくるのです。

一般的にリラックスや集中力の強化などを目的とした瞑想は“サマタ瞑想”といわれるものです。
日本人が理解しやすい言葉に直せば“禅”ですね。

心穏やかに無の境地に入っていくことで、精神の安定や肉体の回復だけでなく、脳の活性化、心の余裕や正しい判断力なども生み出す効果があります。

またサマタとは別に“ヴィパッサナー瞑想”というものもあります。

いずれもインド由来の仏教から生まれた瞑想法といわれていますが、ヴィパッサナーはサマタの先にあるもの。
いわゆる悟りや解脱といった境地に達するための瞑想法で、ブッダもこの瞑想法で悟りを開いたとされています。

まあ普通の人が悟りを開くことを目的にすることはありませんから、一般的に瞑想といえばサマタになります。


この瞑想ですが、普段から日常的に瞑想をしている人はたぶんあまりいませんよね。
おそらく読者の皆さんも、したことがない人がほとんどではないかと思います。


『よく“瞑想”という言葉は聴くけれど、そもそも意味がわからない。瞑想ってなんなのさ?』

『瞑想状態ってどんな状態のこと?』

『瞑想すると、どんないいことがあるの?』


こういう疑問をもっている人がほとんどでしょうから、そこに価値観を見出すことはできないでしょうし、あえて判らないことをやってみようという気持ちも起こらないのが本音でしょう。

これは例えるなら、外国人にお風呂の良さを伝えることと同じかもしれません。

我々、日本人はお風呂の湯船につかることの効能は体験を通じてよく知っています。
でも生まれてこのかたシャワーしか使っていない国の人に、わざわざ毎日のように熱いお湯を大量にためて、そこに数分間もつかることの意味を説明するのはなかなか大変なことです。
不経済だし、場所をとるし、時間の無駄だと片付けられてしまうこともあるでしょう。


同じように、瞑想の良さを皆さんに伝えることは、「リラックスできる」「集中力が発揮できる」「細胞が活性化される」などというメリットが理解される前に、“面倒”“むずかしい”という思い込みが先行して拒絶されてしまうことのほうが多いのです。

瞑想はお風呂と一緒で、続けることができれば離れられなくなるくらいにその良さが理解できるもの。
こう考えてみると瞑想の価値観は伝わりやすいでしょう。


たとえば瞑想の良さは、瞑想や禅を実践している有名人がとても多いことでも判ります。

世界中の誰もが知っている企業のCEOやミュージシャン、スポーツ選手、俳優などなど、瞑想や禅を日常的におこなっている人はとても多いんですね。
反対に一般の人ほど、瞑想には無関心な比率は高くなると思います。

これは成功者と呼ばれる人の立場になると、いかに自分の精神をコントロールすることが日常のパフォーマンスに影響力を与えるのかということを、身をもって体験しているがゆえのことかもしれません。

つまり肉体の健康に気を使うだけなのが一般の人だとするならば、さらにその上の考え方として、精神や魂の健康状態にも気を使うようになる人。
やはりこういう人が、成功するべくして成功していると考えることもできるでしょう。

まあ確かにすべての瞑想実践者が成功しているということはありませんが、すくなくとも実践していない人に比べると、その毎日の生活において、様々な恩恵を受けているという考え方はできます。

知らぬは自分だけかもしれません。


最近はヨガがブームになったこともあって、一般の人でも以前よりは瞑想に触れる機会が増えたかもしれませんが、実際はまだまだ一般的とはいえないものです。
でも、だからこそ人より先にはじめてみるのもいいと思います。

では具体的な瞑想方法についてお話を進めていきたいと思ったのですが、話しが長くなってしまうので、また例のごとく次回以降に引っ張ってみましょうか(笑)


でもちょっとだけ・・次回以降の予告を。

じつは瞑想とはまた違うのですが、以前、僕がまだバンコクに住んでいたときに“ひらめいた”アイディアが段々と見えてきました。
覚えている方もいるかもしれませんが、魂の“ひらめき”を得ましたというエントリでのことです。

これにともない、過去、例を見ないスタイルの魂の実験を考えています。
これは読者の皆さんが参加するかたちで行いますが、もしかしたら魂の柔軟性において画期的な効果を生み出す可能性があります。
近いうちに実施できたらといいなと思っていますので、参加してみたい方はたまにここをのぞきに来ておいて下さい。
告知してから1ヶ月くらいの猶予をもって実施したいと思っています。
参加はもちろん無料です。そのときはぜひご協力をお願い致します。


あと追伸というかお知らせです。
いよいよ7月は半年に一度のアグン巡礼でバリに渡航します。
今月プロフィール欄のなかでひっそりとお知らせしてきましたが、そろそろ7月渡し分のアグンクリスタルの予約は受付を終了する予定です。
おかげさまでこのSSSを通じて継続くださる方からの注文が多く、部屋置きに関しては数を増やしたにも係わらず、現時点でほぼ完売となりそうです。
購入を考えていた方はお早めにご連絡ください。尚、完売の場合はご了承ください。


東京より
白石

霊に憑かれるということ ―魂のリプライ―

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先日、ホームページを読まれた方から質問をいただきました。

「白石先生は霊能師なのに、なぜ地縛霊や浮遊霊や除霊についてのお話しがないのですか?
ほかの霊能師の方のサイトを拝見すると、低級霊に取り憑かれた怖い体験談や除霊に関する話しなどが書かれていることが多いです。」

要約するとこんな感じの質問だったわけですが・・・

ふむふむ、この読者の方は僕の書く文章にすこし物足りなさと言うか、ほかの霊能ブログに比べて違和感を覚えたのかもしれませんね。

まあ僕が書く内容は、霊能師という割にはちょっと霊的な恐怖要素が足りないと言うか、地理や科学の勉強みたいだったり、道徳的な要素があったりと、たしかに他の霊能師ブログと比べると、すこし異質なものかもしれません。

また“魂”に関する記述が多いので、この読者さんは「この人は本当に霊能師なの?」と疑問に思ったのでしょう。

このブログのディープな読者の方は理解できているのでしょうが、浅い読み方をしている人には、霊能者のイメージというか先入観があるので、僕のようなタイプはなかなかスンナリとは理解できないのだと思います。

まだまだこのブログだけでは、全ての人にまで魂のことは伝わりきれていないようですね。

でも実は僕は一貫して、このブログでもホームページでもそうなんですが、霊に関することや、霊に取り憑かれた話しを書き続けているのですよ。

理解できない方のために、一応、復習がてらに書いておきましょう。


いいですか?


まず“霊”と“魂”は同じものなのです。


自縛霊とか動物霊とか水子霊とか、いわゆる幽霊とかお化けとかヒトダマとか言われるもの
これはすべて“魂”なのです。

霊魂などとも言いますが、言い方の問題だけで、要は魂そのものです。

また、霊に取り憑かれた、憑依されたといわれるもの
これは他の魂による、自分への魂への攻撃を意味します。
いわゆる魂と魂がぶつかることで削れて、黒カルマが発生する状態ですね。
これは言い換えれば“憑依”“憑かれた”ということなんです。

霊に憑依されて体調が崩れたり、生活がおかしくなったり、精神が病んだりといった状態。

このメカニズムを一般の人にも具体的に判りやすく説明していくのが、このブログの意図するところなんですよね。

ですから、このブログではおどろおどろしい自縛霊の話しは出てきません。
背筋が凍るような怖いお化けの話しもしないですしね(笑)

病気の話しに例えるなら、
癌にかかってしまってこんなにも苦しんだ、大手術したという話しではなく、

なぜ人は癌にかかるのか? どうすれば癌を予防できるのか?
また癌に侵されてしまったら、どうやって完治させるのか?

こういうややメカニカルな視点、そもそも霊とはなんぞや?という、いままで曖昧にされていたところを分解してお伝えしているサイトなのです。


「霊が憑依して悪さをする」というサイクルを事細かに説明している方が他にいないので、どうしても僕のサイトには異質感がありますが、まあ慣れてください(笑)

でもそのうち時間があったら、夜中に一人で読んだらトイレに行けなくなってしまうような怖い話しも書きましょうかね(笑)


ところで話題は変わりますが、
最近は読者の方からの相談をいくつか受けているんですが、なかなかハードな方が多いですね(汗)

ほぼ毎日のように全国から数通の相談事のメールが届くんですが、一応、時間があるときに、その方の魂をささっとですが見させてもらっています。
でもそのほとんどは実は“魂”とは無関係な問題です。

時間もないのでそういった方には特に返信はしていませんが、中には「おいおい」と思えるような人がたまにいます。

そういう方にはなるべく返信して、メールでカウンセリングしてあげるようにしているんですが、危険度が高いのはやっぱり“もらい黒カルマ”が多い人です。

過去になんらかのアクシデントなどで他人から恨みを買ってしまったり、意図しない誤解から生じた人間関係の亀裂が攻撃的な魂を生み出してしまっていたりと理由は様々ですが、長い年月に渡って魂にアタックを受け続けてしまうと、やはりどんな健康な魂であっても痛みが出てきてしまいます。

また攻撃を受ける人は地の性格が悪い人なのかというと、必ずしもそうではなく、むしろ良い人のほうが多かったりするのです。
これは本当に突発的なアクシデントがもたらした不幸です。

そういう人はやはり何とかしてあげたいという気持ちがありますからつい連絡してしまうのですが、最近も水子霊に憑かれてしまっている方にお節介を焼かせてもらいました。

せっかくなので、すこし水子についても書いておきましょうか。


水子霊は、中絶や病気などで亡くなった赤ん坊の魂だというのは皆さんご存知だと思います。

でも水子霊が成人の魂に比べて、とっても強いエネルギーを持っているということは知られていません。

それは“生きる”ということに対して純粋で、肉体に生命を宿らせる初期の段階ゆえの力強さがそなわっているからなんです。

止まっている車が走り出すときに一番パワーとトルクを使うように、魂もまた肉体を生命の起動に乗せるときに一番パワーを使うのです。
つまり『一生懸命に生きよう』とするのです。

ところがそんな魂のパワーを受け止めるべく肉体が、なんらかの理由で不幸にも無くなってしまった場合。
そのときに水子の魂はどうなるのか?

なかには肉体が無くなったことを受け止めて転生する魂もありますが、そうでない魂も多くいます。
つまり浮遊霊となってしまうのです。

しかし水子の場合は、ただやみくもに浮遊することはありません。
どうなるのかと言うと、自分の肉体の親となるはずだった魂の元へ向かうのです。

そして単にそばにいるだけでなく、乳をもとめて母親の魂にやや攻撃的に魂をぶつけてくることもありますし、安心をもとめて父の魂にぶつかってくることもあります。
小さな子供の魂ですから本能的に欲求をぶつけてくることが多いのです。

ただ幼い魂とはいえパワーが強いゆえ、意外にも我が子の魂で黒カルマを生み出してしまう両親のケースはとても多いのです。
こういった水子霊はすみやかに転生を促す必要があります。


まあ、たまには霊能師らしい話しで締め括ってみました(笑)



東京より
白石

科学者が検証した幸せの上手な探し方

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新年の挨拶を掲載してから、ありゃりゃもう5月(笑)

今年から日本で活動再開していますが、ゆっくりと過ごそうと思っても、やっぱりなんだかんだと忙しくなってしまいます。

タイのゆったりタイムに慣れていたので、あわあわしてしまう日々になかなか順応できませんでしたが、最近はすっかりジャパニーズタイムでバリバリ活動できるようになってしまいました(苦笑)

ただ以前と違うのは、精神的に根詰めるところまでシビアに仕事をしていくことは無くなりましたね。

どこかタイのマンペイライ(大丈夫、なんとかなるさ)精神が根付いていて、忙しい中でも心のなかに余裕というか、休憩所のような場所が感じられます。

この仕事は不幸なことや困難を扱うことが多い仕事ではあるんですが、そんななかでもご相談者さんとのあいだに、空間がはりつめない緩やかな時間が過ごせている感じはしますね。
僕もすこしは成長できているのでしょうかね?


さて、先日気になる記事を見つけましたのでご紹介します。

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科学者が検証した幸せの上手な探し方。誰か(何か)の為にする小さな一善(米研究)

誰もが幸せになりたいと願う。幸せの追求のは人生の中で最も必要不可欠な目的の一つであり、幸せは精神的な健康の証とみなされることが多い。しかし幸福とは多くの人々が思い描いているものよりも不可解で複雑であり、幸せへの欲求がはっきりしているにもかかわらず、それを達成する方法は曖昧だ。

 米スタンフォード大学の社会心理学者、ジェニファー・アーカーと、ヒューストン大学のメラニー・ラッド、ハーバード大学のマイケル・ノートンは、人々が心から実感できる幸せについての研究を行った。それによると、人は自分の為に何かするよりも、誰か(何か)の為に良いとされることを行い、それを達成できた時に最も大きな幸福感を得ることがわかったという。


研究チームを率いたアーカーは、「幸せへの道」がぼんやりしている理由の一つとして「人々はたいてい自分は幸せになる方法を知っていると思っているが、本当に自分を幸せにするものを間違えていることが多い」ことをあげている。

 研究チームは基礎研究と全国調査の蓄積データから543人の人々を対象に様々な実験を行っていった。その結果、人が幸せを手に入れるもっとも有効な手段は、「誰か(何か)をより幸せにする」ことに専念するということがわかったそうだ。ではどんな方法で行っていけばよいのだろうか?

誰かの為に具体的で実行可能な目標を定めそれを実行する。

誰か(何か)の為に、直ぐにでもできる小さな目標を定め、それを実行すると良いそうだ。つまり、「漠然とした善行や環境保護を目指す代わりに、そこにいる誰かを笑顔にしたりリサイクルする物を増やす。」 という自分にも実行可能な分かりやすい目標を定めてそれを実行していくのだ。

 誰か(何か)をもっと満足させる計画を立てることはそれ自体に幸せ効果があるが、それを実行しようとして具体案を考えることでさらに大きな幸福につながるという。具体的な目標は、成功した姿を思い浮かべることができる。それが目標の達成へつながる。

例えば骨髄移植に関する実験は、移植が必要な人に対し被験者が「骨髄を提供するかどうか」という抽象的な目標を持つのと、「ドナーを見つける手助けをする」という具体的な目標をもつのとではどちらがより幸せになるか、という点に注目して行われた。

 結果は、ドナーを探す手助けをする方がより幸せを感じる、というものだった。これらの「幸せの効果」は、目標を達成できるという”期待”と実際の”結果”との間にできるギャップに関係する。抽象的な目標は非現実的なことが多い。より具体的な目標を立てた方がそのギャップは小さくなり幸せが大きくなる。

ビジネスの例をあげると、「トムズ・シューズ」という靴屋は、まさに実現可能で見込みのある目標を消費者に持たせることで、幸せを増殖させていった。

 この靴屋で靴を1足買うと、別の一足を世界中にいる靴が必要な貧しい子供たちに届けてくれる。靴をもらった子供たちはもちろん、靴を買った消費者も靴を買うことで「誰かを幸せにする。」という目標を達成できる。

ただし、良かれと思ったことがかならず良い結果をもたらすとは限らない。研究者は指摘する。「その道の途中には”不幸のトラップ”が待ち受けている。善意で行う事が裏目に出るような形で不満が残ることもあるかもしれないが、それは幸せを追求する際どこかでくわす可能性があるということをまず理解しておくべきである。」

 例えば電車で席を譲ろうとしたら不機嫌な顔をされたとか、泣いている子どもに声をかけたら通報されるといった事案だ。そういったトラップに出くわすと、人は他者の為に何かしようとしなくなるが、そこで留まるっていると満たされない気持ちのままずっと過ごすこととなる。それは自らを幸福へと導く為の通過儀礼であると割り切った方がよさそうだ。

 少しだけ楽観的に考えればよい。自分以外の誰かに何かをもたらす人々の目標が現実的にはっきりして、具体的なレンズ越しに見えたとき、素晴らしい幸福はすぐそばにあるということだ。

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この記事を読んで、ピンときた人は僕のブログをよく読みこんでいる人だろうと思います。

過去にブログで伝えてきたことが、科学的な視点から書かれているだけで、結論付ければ『善行とカルマ』ということにつながっていることが理解できるでしょう。

本当の善行 善行と偽善の大きな違いとは?などでもお伝えしましたが、目の前の小さな善行を自然に積み重ねることは、流れ流れて自分の元へ幸福として戻ってくるのです。

それはどんな形であるかはわかりません、まったく想像もしなかった形であるかもしれません。いや形がないものかもしれない。

本当の幸せとは、お金や形のあるものに限らず、あなたの心を緩やかにし、豊かに、そして優しい気持ちにさせてくれるもの。

それはある種のエネルギーともいえます。

良いことも、悪いことも、すべての要因には未来へつづくエネルギーの種が詰まっています。
そしてそれは、時を経て必ず自分が浴びることになるのです。


東京より
白石

2014年 ご挨拶

みなさん 明けましておめでとうございます。白石です。

昨年末、長年生活していたタイ・バンコクから日本に居をもどし、あらたな気持ちで新年を迎えました。
やはりキンと冷えた冬の空気のなかでお正月を迎えると心が凛としますね。

海外ではド派手に花火を打ち上げて騒ぎまくりながらという年越しが多いですが、自宅でNHKの「ゆく年くる年」を見ながら静かに年を迎える日本のお正月は本当によいものです。
こういった日本の良さというのは、外から見ないとなかなか気付かないものですね。


外から見ること。

これは人生においても大切なことです。

自分はバランスが崩れていないか?


体も魂も行動も言動もすべてにおいて、このバランスがよければ大事に至ることはありません。
もしなにか問題が起こるとするならば、それは静動のバランスが崩れているからでしょう。

すべてのものごとには静動のバランスが大切です。
激しく突き進むだけでなく、ときには落ち着き休むこと、出るばかりではなく、引くことも大切なのです。
反対もしかりです。

こういうバランス状態を冷静に客観的な目で見ることができる自分を意識して育てましょう。
自分が見えない人というのは、見えないのではなく、本気で見ようという気持ちが欠けているだけです。

すべての問題の一端には、そういったアンバランスな自分を見逃してしまっている自分の存在が必ずあります。


2014年が皆さんにとって、バランスの取れたすばらしい一年になるよう祈念します。



東京より
白石

魂に燃料がなくなると part 3

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さて今回の魂の智見はだいぶ間が開いてしまいましたね。
お待たせいたしました。

『魂に燃料がなくなると part 2』からの続きです。
内容を忘れてしまった人はもう一度見直してください。

魂に燃料がなくなると part 2


~~~~~前回のハイライト~~~~~

重たい荷物を降ろすことは人生の負荷を減らすことになる。

魂に生命力を継ぎ足すことは出来ない。

魂に悦びを与えるもうひとつの方法とは?

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part 1~2と続き、今回はpart 3
魂に悦びを与えるもうひとつの方法について講義を進めたいと思います。

前回の講義では、魂の仕事についておもちゃのトラックを例に説明をしました。

その中で、いかにトラックのスピードを落とさずに走らせることができるのかを実践することが魂の悦びにつながり、しいては魂にとってのエネルギーになる。
そのための方法論を説明しているところで今回へ持ち越しになったのでした。
(本当に長いこと引っ張ってしまいましたね(笑))


それでは続きの講義を始めます。

まず魂の悦びは、基本的にはストレス無く、仕事を全うできることで充分に満たされます。
その仕事とは、肉体を生かすことであり、寿命を縮ませることなく全うさせるということに尽きます。
ロウソクの火を消すことなく最後まで灯すことが魂の最大のミッションなのです。

しかし肉体はそんな魂の立場などお構いなしに、自由気ままに生きています。
自分だけは事故にあわない、病気にならない、死なないと信じていて、寿命が尽きるのもはるか彼方の未来のことと思い込んでいます。
腰の曲がったお年寄りを見ても、まさか自分がそうなるとは思いもしません。

ですから体に悪いことも言い訳しながら続けますし、魂にとっての苦痛も平気で与えます。
もしかしたらロウソクは、不意に明日にも尽きてしまう長さしかなかったとしてもです。

われわれは常に「自分には安定が約束されている」「平穏無事が与えられ続ける」と信じ込んでいるのです。

そしてこの“思い込み思考”は、段々と身勝手な自意識を育てる要因になっていきます。


ちょっと想像してみて下さい。
もしあなたの人生が明日終わるとするなら、あなたは人生の最後の一日をどのような気持ちで過ごすでしょうか?


誰かと喧嘩をして過ごしますか?
誰かに意地悪な気持ちで嫌味を言うでしょうか?

いえ、きっとすべての人に感謝の気持ちを感じながら、敬意を持って接するのではないでしょうか?
1秒1秒の重みを感じながら、今という瞬間を覚悟をもって大切に過ごそうとするはずです。


人は、自分の人生は保障されているという勘違いが高まると、他人に対して優しさを失い、上からの目線で接するようになり、様々な対人関係の事故を誘発します。
そして自らの魂を傷つけ、疲弊していくのです。

魂を悦ばせるためには、まずもって魂に負担をかけないことが最適な方法であることは間違いありません。
魂のミッションの邪魔をしないことは、単純ですがとても有効なことなのです。


さてそれでは魂の活動を“育成中のリンゴの木”に例えて、どうすれば美味しいリンゴが実るのか考えてみましょう。

成長の妨げになるようなストレスを木々に与えないことは、実の生育に最も大切なことであることは理解できるでしょう。

そのうえで木々が悦ぶことを与えてあげるのです。

例えば肥えた大地、燦々と降り注ぐ太陽光、たっぷりと綺麗な水を与えてあげることも木々が悦ぶ要因でしょう。


魂にここちよいエネルギーを与えてあげること。

この“与える”ということこそ、我々が普段の生活のなかで実践できる、魂にここちよいエネルギーを注入することへと繋がるのです。

リンゴの実を欲しいと思う人はたくさんいますが、リンゴの実を育て、人々に与えようという人は少ない。
しかし与えてもらった人は、与えてくれた人に感謝の念を持つことでしょう。
そしてその感謝の念は、与えた側の魂にとって大いなる悦びなのです。


あなたが誰かを助けたり、手伝ったり、与えたりしたときに、その相手はあなたに対し礼を言い感謝します。
あなたはその時に大いなる満足感を憶え、自分のしたことに対して誇りと強い達成感を得ます。

「自分のしたことで喜んでもらえた、感謝された。」

それがたとえ無償の奉仕だったとしても、とても気分が良くなり、心は高揚することでしょう。

人に感謝されたり、正しいと思えることをしたときに気持ちが良くなるのは、魂のレベルで気持ちが良くなっているのです。

それは「ありがとう」という気持ちである謝恩の念や、見返りを求めない奉仕の念というものが持った独特の柔らかなエネルギーが生み出す効果です。


これらの柔らかなエネルギーの波長に包まれた魂は、得もしれぬ心地よいやすらぎを憶えます。
それは魂にとって一種のエクスタシーのようなもので、これらの良エネルギーに包まれた魂は高レベルの活力を発揮するようになります。

怒りや恨み辛みが魂の激しい交錯とするならば、与える気持ち、感謝する気持ちで生まれる交錯はとてもやさしく柔らかいもの。
魂と魂がなで合うように接触する状態です。

魂はこの“柔らかな交錯”が大好きなんです。

肉体や脳はそういった状態の魂に反応し、実生活においても向上心や頑張る力を生み出し、精神の安定をも得られるようになるのです。

他に、お互いに必要としあう気持ち、認め合う気持ちなども、同じような柔らかな良エネルギーを生み出す切っ掛けになります。


しかしこの与えるということは、実生活においては簡単なことではありません。
簡単に出来る人と、なかなかできない人にハッキリと分かれてしまいます。


次回の講義では、与えるという行為の難しさや、その効果についてお伝えしましょう。


バンコクより
白石


追伸:来週になりますが、短期で日本に戻る予定です。

その時に、何人からか連絡を頂いているのですが、以前、すこし半端な時期に追加でキャンセル分のアグンクリスタルのブレスをお売りしたことがありましたが、すでに石の寿命期間を経過してしまっていますので購入したい方がいましたら連絡して下さい。
ただし僕が日本に戻っている期間にしか発送作業が出来ませんので、11/8(金)までに決済まで完了できる方に限定です。

また2014年1月渡しの予約は11月1日(金)から受付る予定です。
ただこの4か月ですでにかなりの問い合わせを頂いているので、この感じだともしかしたら早めに予定数に達してしまうかもしれません。
詳細を希望の方はお早めにご連絡を下さったほうが良さそうです。


あとこれはまだ決定ではありませんが、来年から日本に戻って仕事を一部再開しようかと考え中です。
今進めている研究も日本の方が進めやすいなどいろいろ要因はありますが、一番の理由は・・・

『日本が恋しくなってきた!』

ということです(笑)

smiling again