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魂の大実験 特設会場

あらためまして、明けましておめでとうございます。

真夏のバンコクから寒い東京にもどり、暖房の前から離れられない白石です(笑)


さあ本日いよいよ来てしまいました!
『魂の大実験』当日です。
本日21時(夜9時)から、総勢307名の同士とともに、未だかつて無い世紀の大実験を行います。

みなさん準備はできていますか?
ぜひもう一度、僕が最初に送ったメールを読み直してやり方などを復習しておいて下さいね。

お天気は全国的に快晴とはいかないかもしれませんが、比較的よいお天気の地方が多いようです。
東京はよい感じです。

スタートまで現時点で1時間半くらいになりましたが、僕も緊張してきました。
さっきからトイレばかり行っています(笑)

外で参加する人は、忘れずにトイレに行ってから出かけるようにしましょう。
途中でトイレに行きたくなると集中できませんからね。


では後ほど、このエントリのコメント欄でお会いしましょう。



東京より
白石

バンコクにいます

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久しぶりのバンコクからの更新です。
日本は寒いと思いますが、こちらはプールで泳げるくらい暑いです(笑)

いまはクリスマスシーズンなので、あちらこちらでクリスマスソングが聴こえますが、タイのクリスマスは汗をかきながら聴くものなので風情はありません。
それでもツリーやイルミネーションなどのデコレーションは日本よりも力が入っていて、夜になるとバンコク都心はきらびやかで眩しいですね。

せっかくなのでバンコクの写真をボチボチと追加更新していきましょうか。
見た目だけでも暖かくなってもらいましょう(笑)


ところで大実験エントリーしそこねた方けっこういますね。
手元にタブレットしか持ってきてないので返信が間に合うか微妙ですが、希望の方は送ってください。
ただし返信が間に合わないかもしれませんので、それでもいいという方だけにしてください。

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ここはサイアムというバンコクの渋谷・原宿的な場所です。
水族館や映画館までが入っている巨大なショッピングセンターがいくつも連なっています。
深夜まで若い人たちでにぎわっています。

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エラワン交差点に隣接するセントラルワールドというショッピングセンターで毎年恒例になっている巨大クリスマスツリーです。
小さくて見えづらいかもしれませんが、真ん中の警備員の左脇に小さく見える人達がツリーの根元にいる人です。
ハンパじゃないデカさです。

ちなみにバックのショッピングセンターは、2010年に政府と反政府を支持する人たちで激しいデモが発生して、その争いの中で大部分が燃やされてしまったのです。
伊勢丹なども隣接されているので、日本でもニュースになっていましたから憶えている人もいるかもしれません。
でも今は完全に元通りになって、以前と変わらぬ賑やかさを取り戻しています。

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バンコク都内をくねくねと蛇行するように流れているチャオプラヤー川は、農業用水として、あるいは運搬の水路としてタイの発展を下支えしてきた重要な河川です。
また観光にも大きく寄与していて、リバーサイドには有名なオリエンタル・バンコクをはじめとする高級ホテルが立ち並び、夜になるとディナークルーズを愉しむ、きらびやかに電飾されたボートが行き交います。

川の水は、アジア特有の濁ったカフェオレ色ですが、でもそれがいかにもアジアらしい味があって僕は好きですね。







バンコクより
白石

魂の大実験 参加者大募集!!

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だいぶお待たせしてしまいましたが、お伝えしていた『魂の実験』についてのお知らせです。

魂の“ひらめき”を得ました

実はあれから小規模での実験を重ねてきたのですが、どうやら一定の効果が得られるのではないかという結論に至っています。
そこで来年の年明けになりますが、この実験に参加していただける方をこちらで募集して『魂の大実験』を行いたいと思います。

まあ実験と言ってもそんな難しいことはありません。
どなたでも、どこにいても参加できます。

参加希望で具体的な詳細を知りたいという方は、volforce@gmail.comまで、件名に「魂の大実験 詳細希望」と書いてメールを送ってください。

ある程度まとまった時点で、一斉送信にて詳細メールを返信します。
詳細を読んでみて参加してみたい方は、そのメールに従ってエントリしてもらう流れになります。

(注意)Docomo au SoftBankの携帯電話のメールアドレスから送信をしようとお考えの方は、PCメールからのメールを受信拒否していると、こちらからの送信メールは届かないですので注意してください。
どうしても携帯からしかメールを送れない方で、受信許可の設定の操作に自信がない方は、YahooやGoogleやGooなどにアカウントを作って、Webメールで送るようにしてください。
メールの不達に対して個別に再送信する余裕がありませんのでお気をつけ下さい。

参加人数があらかじめ想定している数に達した場合は、募集を締め切りますのでご了承ください。

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もうひとつお知らせです。

半年に1度の例のモノですが、今月11月22(土)から予約の受付けを開始する予定です。
今年は年末年始を久しぶりのバンコクで過ごす予定ですので、若干例年より予約開始を早めました。
今回は特に男性の方から希望が多かった、大きなモノも用意しています。
いつも通り、このブログのプロフィールと告知欄からの入場です。
お考えの方は気にとめて置いてください。

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知らない人が見るとヤバそうな感じです(笑)

“瞑想”知らぬは一生の損 part2

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こんにちは、白石です。

さて、今回の『魂の智見』は、“瞑想”知らぬは一生の損 part2です。
前回のエントリからすこし時間が経ってしまっていますので、ぜひpart1を読み直してから戻ってきてもらえればと思います。

“瞑想”知らぬは一生の損 part1

前回は瞑想が人にとって良いものであるというザクッとしたお話ししか出来ませんでしたが、今回からより具体的なことについてお伝えしていきたいと思います。


さて、まずこの疑問から。

そもそも、いったい瞑想とは何なのでしょうか?


一般の雑誌・ネットなどのメディアでも最近は“瞑想”が紹介されることが多くなってきました。
しかしその内容を見てみると、大体どこも同じなんですが、瞑想することによって得られるメリットを中心とした紹介の仕方になっています。

心が落ち着き、集中力が増し、ストレスが緩和され、健康な肉体になる、などなど。
こういった精神的・身体的なメリットが得られる瞑想はすごい、といった感じですね。

こういう紹介が多いので、どうしても皆さんは、たとえば筋肉や関節を伸ばすことで身体の調子を整える“ストレッチ”の同列ような、一種の“健康法”として瞑想をとらえている方が多いのではないかと思います。

もちろん、ひとつの健康法として瞑想をとらえることは、取っ掛かりとしては悪いことではありません。

しかし、そこはこのSSSの読者の皆さんですからね(笑)
ここはもうひとつ奥にある瞑想の本質を理解したうえでスタートしてほしいところです。
そうすれば、より瞑想のすばらしさや効果を深く感じとることができ、そして長く続けることができるはずです。


瞑想は健康法ではありません。
瞑想をすることで得られる肉体的・精神的メリットは、単なるオマケのようなものであって、決して目的ではないのです。

では瞑想をする目的とはいったい何なのか?

それを理解するためには“瞑想”をこうとらえればいいでしょう。


瞑想は“魂の睡眠”である。


ふんふん、なに?余計わからなくなった?(笑)

いやSSSを熱心にお読みいただいている読者の方でしたら、僕の言うことは何となくでも理解できるはずです。


魂の睡眠


魂は肉体という“上物(うわもの)”を一時的に支配しているだけのオーナーだということは、以前からお伝えしてきたことです。(この辺を理解できていない人はこのあたりのエントリを読まれるといいでしょう。)
魂と心の違い

じつは魂はとっても働き者なのです。

魂にとっての仕事、それは自分が担当した肉体を長く生かすことですから、基本的には不眠不休で24時間365日働き続けています。
肉体が朽ちて動かなくなるまで、つまり死ぬまで働き続けているのです。

肉体は働き続ければ、だんだんと疲れが溜まり、正常な状態が保てなくなってきますよね。
でもこれは、魂もしかりだということなのです。魂だって疲れが溜まるのです。


肉体は疲れが溜まると眠りにつくことで回復に努めますが、魂の場合は基本的に不眠不休で活動しています。

たとえ肉体が睡眠中であっても、人間は夢を見て、呼吸をして、血液を体内に循環して体温を保ち、内臓を動かして、寝返りを打って、完全にその活動を止めることはありません。

これらの生命の維持は、その根源に魂の働きがあるということなのです。
魂がその活動をやめるときは、つまり人間の寿命を意味します。

そう、あなたの心臓は勝手に動いているわけでは無いということ。

今ドクドクと波打つように動いていている心臓は、魂があなたの肉体に宿っていて、今この瞬間もしっかりと働いてくれているという証なのです。

どうですか?
すこしは自分の魂を大事にしようと思いましたか?


多くの人は肉体の健康ばかり心配し、気をつかい、お金をつかい、時間をつかって、何とか健康を維持しようと必死になります。

やれ「これは身体によい食物だ!習慣だ!健康器具だ!」といった具合です。

ほんとに僕に言わせると愚の骨頂なのです。


人間の健康を保つ上で、魂ほど いの一番にケアしなければならない存在はありません。

魂が健康であって、はじめて肉体は正常に機能しようと活動しますが、一般の方で魂の健康を気にする人はほとんどいないのが実情です。
魂をおろそかにしてしまうことが、すべての元凶になっている事実を知らないのです。



疲れた魂を、すこしの間、休ませてあげることができる“技”

それこそが“THE 瞑想”なのです。
思わずTHEをつけてしまうくらい、瞑想は魂にとってのご褒美になります(笑)


よく言われる瞑想によって得られるメリット、精神集中や疲労回復やストレス解消やら、、、
こんなものは実は小さい小さいことであって、魂が休息を得られたことによる、ほんのささいな好結果のひとつに過ぎません。

瞑想の本質はそこではなく、魂が一息つけることでその活力がグンと増すこと、パフォーマンスが高く維持できること。
それこそが重要なのです。

魂のパフォーマンスが上がれば、肉体の維持力だけでなく、魂自体の防御力にも違いが出てきます。
黒カルマに汚染されることに対して、抵抗力も上がります。

それは人生の正しい道を歩むために必要な“決断力”や“勘”の強弱にも係わっていきます。


アップル創業者のスティーブ・ジョブズやマイクロソフトのビル・ゲイツ、マドンナやイチローなどの成功者と呼ばれる人たちが、瞑想に取り組んでいるのも、単に言われているメリット以上のものを得られていることに気付いているからなのです。


などと瞑想の本質についてつらつらと書いていると、今回もやっぱり文章が長くなってしまいました・・・。

「なんだ、具体的な瞑想方法を教えてくれるんじゃなかったの?」

こんな声も聞こえてきそうですが、慌ててはいけません。

まずは瞑想がどれほど人間にとって有効なものなのか?
これを理解していないと単なるちょっと面倒な健康法くらいのレベルでしか瞑想を受け止めることができないのです。
正直、それでは長く続かないでしょう。

魂は文句も言わずに、毎日働いてくれていますが、ある日いきなり壊れてしまうパソコンのように、知らず知らずのうちにバグが溜まっていたりするのです。

瞑想はメリットを得るためのものではなく、デメリットを無くすためのもの。
そういう思いではじめることで、結果としてメリットも生まれてくるのです。

次回の魂の智見では具体的な瞑想方法を“必ず”やります(笑)



東京より
白石

御嶽山の噴火に思ふ

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こんにちは、白石です。

ここのところ忙しさもあり、時間の経過がやたらと速く感じます。
この間まで夏だったのに、あっという間に秋も深まり、もう寒さをも覚える季節になって来ました。
北海道や東北の一部ではもう雪が降り始めているところもあるようです。

そういえば先日、車で東名を移動していたんですが、御殿場あたりで、正面にうっすらと雪化粧した、とても美しい別嬪さんな富士山を見ることが出来ました(笑)
秋晴れの中、なんとも得した気分になりましたね。富士山はほんとうに絵になる山です。


ただ山といえば残念だったのは、ちょうど一ヶ月前になりますが、御嶽山での噴火によって大災害が起こりました。

僕もこのブログでは火山の持つ霊的なパワーについて度々取り上げてきていますので、今回の噴火については思い期するものがありました。

そこで今回は予定ではありませんでしたが、「魂のつぶやき」として気になっていることを書いておこうと思います。


まずあの噴火が起こったとき、とっても驚きました。


というのも、実は今年の8月末ですから噴火の約一ヶ月前になりますが、僕は御嶽山に行っているんです。

とはいってもこの時の目的は山登りではなく、今回、救助隊が本部を置いていた麓の大滝村に流れ込んでいる川でのイワナ釣りでした。

あのあたりの川にはヤマトイワナという日本古来の原種のイワナが生息しているんです。

このイワナはとても希少な種類の魚で、御嶽山のあたり、長野・岐阜の一部にしか生息していない魚なんですね。
特徴としては普通のイワナのように白い斑点がなくて、黒いヌメっとした魚体なんですが、それがなんとも神々しい紋様をしていて、バンコクに移住する前は2年に一度くらいの頻度でよくあのあたりの川には釣りに行っていました。

また大好きな登山も、あのあたりの山は木曽駒ケ岳や乗鞍など軒並み登っています。


でも、じつは御嶽山は過去に一度も登ったことがないんです。


日本百名山のひとつである御嶽山なんですが、なぜか僕は敬遠してきました。
読者の皆さんは、僕は火山を積極的に登っているのになぜ?とお思いになるかもしれません。


その理由なんですが、
あの山はその昔から富士山に並ぶくらいに山岳信仰のメッカ的な霊峰として知られた山で、白装束で祈祷のために登山する人も毎年多くいます。
ただ同じ霊峰でも富士山とはまた違う厳しさと言うか、重々しさを感じる山なんです。

それは登山的な厳しさというわけではありません。むしろあの山は比較的に難易度の低い、登りやすい山とされています。

僕がいう厳しさ、重々しさとは霊的なもの。

行ったことのある人なら何となく感じた人もいると思いますが、あの山は独特の人を寄せ付けないような、厳格な雰囲気をもっている山なんですよね。

僕が釣りに行った当日も全国的に高気圧がすっぽり覆っていて猛暑日だったんですが、なぜか御嶽にだけ雲がかかっていて雨が降っていたのには驚きました。
スマホで雨雲レーダーを見てみても、本当に見事なくらいに日本列島のなかで唯一、一点 御嶽山にだけ雨雲がかかっているんです。
わずか数キロ離れればピーカン照りなんですが、、これには「さすが霊山だなあ」と思いましたね。

まるで意味もなく入山しようとする人を拒むような、なんというか結界のようなものが感じられる山なんです。


また今回の噴火では本当に残念なことに多くの犠牲者が出てしまいましたが、
僕には噴火が起こったということよりも「なぜ、あのタイミングで?」というところが気になって仕方がありません。


御嶽山は本州では代表的な活火山ですから、いままでも小規模な水蒸気噴火は数年に1回くらいの割合で起こっています。

一口に噴火といっても、地中の地下水が沸騰することで圧力が高まり地上に噴出する水蒸気爆発は、ハワイ島などで起こっているマグマ噴火に比べると比較的に被害の少ない、規模の小さい噴火レベルに分類されるんです。

今回の御嶽の噴火も水蒸気爆発でしたが、いくつかの悪条件が重なったことで大災害になってしまいました。


まずはなにしろ噴火の起こった9月27日土曜日というのが最悪的によくなかったのです。

登山をする人なら解るんですが、9月は1年で最高の登山月です。
真夏の暑さもやわらぎ涼しく快適に登山が出来ます。しかしこれが10月になると標高の高い山は一気に寒くなってきてしまうのです。雪が降ってしまうような山もあります。

また土曜日というのも最悪の曜日でした。
普通、会社や学校は土日が休みですから、登山をする人は土曜日に登り、日曜日は疲労回復の休養日にあてる人が圧倒的に多いのです。

さらに噴火が起こった時間帯、午前11時52分。

ご来光を目的としなければ、通常は午前を登りにあて、山頂でお昼をとって、午後に下るというスケジューリングを組むのが通常です。
つまり一日のうちで一番山頂に人が集まる時間帯、それがお昼の12時前後なんです。

また水蒸気爆発は必ずしも山頂火口で起こるとは限らないのですが、今回の噴火が山頂での爆発だったことや、秋の好天に恵まれた登山日和だったこと、もちろん比較的に噴火を繰り返している活火山にもかかわらず防護シェルターなどが設置されていなかった人的な問題も被害を拡大させてしまった原因でしょう。

しかし、もし噴火が起こるタイミングがもう少し遅れて、雪山になった後や、せめて時間帯が真夜中などでしたら、こんなに大きな被害が出ることはなかったでしょう。


御嶽山というと、1984年に起こった長野県西部地震での大規模な山崩れによって土石流が起こり、御嶽を水源とする濁川沿いにあった温泉施設などが一瞬で丸呑みになってしまった通称「御嶽くずれ」による悲しい大災害が記憶にある方も多いでしょう。

今でもふもとの大滝村から御嶽山を見ると、崩壊でえぐり取られた山肌や、土石流で広く削られて未だ整備されていないままの濁川河川も確認できます。


御嶽は名山であることに違いはありませんが、どうも僕は足が伸びないまま現在に至りました。
おそらく今後も登ることはない山のような気がしています。

その感覚は口に現すことは難しく、漠然としているのですが、なんというか、人が立ち入らないほうがよい場所といいますか、許されていない場所のような気がずっとしていたのだと思います。


そして今回の噴火で改めて感じたのは、

「やはり、この山はなんらかの明確な意思をもって生きている」ということです。

その意思とは何なのかは解りません。
解りませんが、なんとなく地球の内なる怒りというか
「この地球は人間を中心としたものではないぞ、人間どもよ勘違いするなよ」という警告を発しているように感じるのは僕の勝手な思い込みでしょうか?

なんだかそう思ってしまうような、近づけない怖さというものを ずっとこの山には感じていた気がします。


今回の噴火によって多くの尊い命が奪われてしまったことは大変残念なことですし、残された遺族の方の悲しみや悔しさを思うと慰めの言葉もみつけることができません。

御霊が迷うことなき涅槃に導かれるよう 心よりお祈りしたいと思います。



白石

smiling again