さあ、気がつけば2015年も終わろうとしています。
どうも年々時が経つのが速く感じるようになってきて、あっというまに歳をとっていくのがしゃくですが、まあ仕方ありませんね。
良くとらえれば日々充実しているということでしょう(笑)
そうそう先日25日のクリスマスの夜は、「魂の大実験」のラストナイトでした。
今まで毎月実験に参加くださった皆様、感想をフィードバックしてくださった皆様、どうもありがとうございました。
おかげさまで素晴らしいクリスマスプレゼントになり大満足しています。
実験結果をまとめましたら、またこの場で発表させていただきたいと思います。
さて今日のエントリですが、当初は『よい出会いは魂がおしえてくれる part5』にしようかと思ったのですが、せっかく1年の終わりということですから、今年の締めになるような、そして来年のスタートを心新たに切れるような、そんなお話をさせて頂こうかと思います。
突然ですが、あなたの人生は何秒間あるのか?
考えたことありますか?
あなたが生命体として今存在しているということは、おぎゃーと誕生したその“瞬間”が確かにあったということです。
そして、その生命が幕を閉じる“瞬間”も、未来にもちろんあるのです。
たとえば世界のどこかで2016年の1月1日00時00分00秒に誕生した赤ちゃんがいたとします。
また仮に、その子は2096年1月1日00時00分00秒で人生を終えました。ぴったり80歳の人生でした。
80年という時間は、月数に換算すると960ヶ月、日数だと29,220日、時間で701,280時間、分で42,076,800分、秒で2,524,608,000秒です。
これ凄いと思いませんか?すべての生命の長さは1秒と狂わずにしっかりと存在し、記録できるのです。
人の場合は桁が多いのでピンと来ないかもしれませんが、人生80年だとすると秒換算では約25億秒ということですね。
これは言うなれば、生まれた時にもらった25億枚の人生体験チケットを1秒に1枚(1ライフ)ずつ切り離しているということです。
今こうして僕のブログを読んでいる瞬間も、寝ていても、食べていても、働いていても、ボーとしていても、僕も皆さんも1秒に1ライフずつ人生体験チケットは減っているのです。
もちろん今回は例として人生80年としての計算ですが、神様が生まれたときに自分に何ライフくれたのかは、チケットが無くなるその瞬間までわかりません。もしかしたらあと10枚で無くなってしまうかもしれないのです。
まあそれは極端かもしれませんが(笑)
そういう風に考えてみると、今この瞬間の1秒の価値がとたんに高いものに思えてきますよね。
世の中の人はなぜか、自分だけはいつまでも平穏無事に過ごせるものだという根拠のない自信にあふれた人が多いのです。
時間はまだまだ無限に流れてくる、そう思い込んでいるのです。
ですから“今”という1秒に価値を見出しません。
「今」できることは「明日」に、明日になったら「明後日」に、そして「いつか」へ・・・
昨日の自分も、今の自分も、明日の自分も、1年後の自分も並列に考えています。
同じ自分だと信じています。
もしあなたがそういう考えだとしたら、それはとんでもない間違いです。
生命体は1秒ごとに生まれ変わっていると考えなければなりません。
1秒前の自分と、今の自分はまるで違う自分。1秒後の自分もまた違う自分です。
見た目も考えも機能的にもほぼ変わっていないように見えますが、いえいえ確実に1秒ごとにライフ(生命力)を減らしながら劣化し、生まれ変わっているのです。
新鮮なフルーツを2~3カ月置きっぱなしにしていたらどうなりますか?
もし2つを並べることが出来たなら、その姿かたちだけでなく、臭いも味も比較にならないくらいに変化していることでしょう。
これはフルーツという存在が、1秒ごとに1ライフを浪費しながら、確実にその生命力を低下させていったからです。
しかしライフの消費は生命体としてこの世に誕生した運命といえますから、僕たちは受け入れなければなりません。
その上で、限られた時間をどうとらえて、どう使うのか?
ここは各々の考え方ひとつに任されています。
「別に自分は何とも思わない。自然にその日が来るのを待つ。」
たしかに人間、死ぬときは何も持っていけません。
そう考えると、生きているときにあくせくしても結局は“無”ではないか。という考えもあるでしょう。
これも生き方です。
「与えられた時間を自分なりに有効に使い、なにかしら生きた証を刻みたい。」
物やお金はたしかに持っていけないですが、人生をまっとうしたという誇り、プライドは持っていくことが出来ます。
今に目的を与えて一生懸命に生きてみる。そして何かを成し遂げる人生を歩みたい。
これも生き方なのです。
僕が最終的に他人の時間の使い方に口をはさむことは出来ませんが、色々と考える切っ掛けは与えることが出来ます。
そして良いと思える方向へ導いてあげるような、遠回りなヒントくらいは与えてあげれるでしょう。
僕の2015年は、あっという間に過ぎ去っていきました。
約3120万ライフ消費した計算になります。
もちろん皆さんも約3120万ライフ目減りしました。
さてこの3120万秒、僕はしっかりと意味を持って使えたでしょうか?
皆さんはどうでしたか?
そんなことを考えながら、2016年を厳かに迎えようと思います。
みなさん善いお年を
来年またここでお逢いしましょう(笑)
東京より
白石