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適当はダメですか?

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日本に帰ってきていつも思うことですが、日本人ほど健康に気をつかう国民もいないでしょう。
まさに“国民総健康オタク”と呼べると思います。


テレビや雑誌を見れば、毎日のように健康に関する話題や番組であふれています。


その腰痛は、実は内臓から来ている!?

立ちくらみに潜む重大疾患とは?


こんなセンセーショナルな見出しをつけて視聴者をあおり、白衣の先生がそれらしい解説を加えます。

自分に当てはまる項目がひとつでもあれば、「ああ大変だ」と眼を皿のようにして食いつき、
医者がバナナがいいと言えば次の日にはスーパーの棚からバナナが消え、トマトがいいと言えばトマトジュースを買い占め、やれココアだ!キノコだ!ヨーグルトだ・・・

もちろん健康に気をつかうことは悪いことではありませんし、日本人が長寿世界一なのも、こうした一人ひとりの健康意識の高さの現われなのかもしれません。


しかしこうした情報が氾濫している影で、健康に対して強い強迫観念のようなものを刷り込まれている人もなかにはいます。

毎日、納豆をかかさず食べなければ気がすまない、ですとか
水を2リットル飲む人、サプリメントを何十粒と飲む人ですとか、、、あなたのまわりにもいませんか?


これら、たしかに身体の健康に効果があることなのかもしれません。

でも魂の観点から見ると、精神的健康はどんどん損なう一方でしょう。


人間はなにかに強く依存してしまうと、段々と生活バランスを崩していきます。

良かれと思って肥料や水を与えすぎた植物が枯れてしまうように、ものには適時適量と呼ばれるバランスを維持するための帯域があるのです。

しかし強い思い込みは段々と自意識を麻痺させ、あまりにも不自然な生活習慣を日常化していきます。

健康に良いと思ってやっていることが、心と身体トータルでみたときに、はたして本当にプラスになっていることなのか?
ここはしっかりと見極めなくてはなりません。


と、ここまで健康に関してのお話しでしたが、
こうした強迫観念や原理主義的な“思い込み”がもたらすマイナスは健康以外のこと、普段の生活のなかにも当てはまるのです


○○は、こうでなくてはいけない。


こういう選択幅のない思い込みが、他人と軋轢を生み、自分の中の余裕をなくしていきます。

答えは一つだと決め付けてはいけません。また他人の示した答えに対し神経質に反応することもありません。

もっと適当でいいのです。


日本人はキッチリしているので『適当』という言葉に対し、強い嫌悪感を覚える人が多いと思います。
でも辞書で調べると『適当』には3つの意味があります。

  • -----・------・------・------・------・------

① ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「工場の建設に―な土地」「この仕事に―する人材」

② 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を―に加える」「一日の―な仕事量」

③ やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。「客を―にあしらう」「―な返事でごまかす」

                 (大辞泉より)

  • -----・------・------・------・------・------

③のいいかげんであること、適当をこの意味で捉えてはいけません。
①と②で考えてください。


『ものごとは程度がほどよければ、それでよい。』

このくらいのアバウトさでいいのです。


完璧な仕事、完璧な人間関係、完璧な健康、完璧な生き方

そんな完璧な答えをもった人は一人としていません。

にもかかわらず人は完璧を目指して、なにかに依存し、心と身体にギチギチと詰め込んでいきます。
それがどんなにバランスを崩しているとも知らずに。


毎日納豆を食べなくてもいいのです。気が付いたら、身体が欲したら食べればいい。
ひとつの考えに凝り固まってしまわないように、柔軟な意識を持てれば人は心身ともにもっと健康でいられます。


ほどよく生きるという適当主義


これこそが健康においても実生活においても、最もバランスの取れた生き方なのです。



東京より
白石

困難な職場にまわされて毎日が辛いです ―魂のリプライ―

今月はバリでのアグン登山をこなして、日本に一時帰国しています。

帰国前は日本ではゆっくりと夏休みを過ごそうと思っていましたが、じつは帰ってからもまったく落ち着けていません。
なんやかんやと毎日動き回ってしまっています。

先日は岩手盛岡、仙台、郡山と行ってきました。
すべて都市部だったんですが、街はかなり活況で安心しました。
盛岡で食べた久しぶりのじゃじゃ麺は美味しかったですね。
もちろんチータンもいただきましたよ(盛岡ネタです・・笑)


さてさて今回の『魂のリプライ』
ブログ読者の方からいただいた相談や質問に白石がお答えするコーナーです。

今日の相談はこの方です。

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いつもブログで興味深く勉強になるお話をありがとうございます。
毎回、とても参考になります。あわせて、ホームページも何度も読ませていただいています。


今回、相談したいことがあり、メールさせていただきました。
今の自分の環境が、黒カルマを無限に生み出す悪いループになっているのでは?と心配になっています。
可能でしたら、是非アドバイスなどお願い致します。


現在の職場で、前任者の退職に伴い、本来なら専門知識や資格が必要な大変難しい部署に、自分一人だけが無理矢理配属されました。(自分は知識も資格もありません)
新しく有資格者を手配すべき上司が、しかるべき手配をしなかった尻拭いとして、職場で一番立場の弱い私を狙った、無理矢理の配属命令でした。

配属された部署は、様々な障害を持つ方の学習訓練や生活訓練を行います。
朝から夕方まで、話が通じない、奇声を発する、常に独り言、暴れる、パニックになる、落ち着けないなどの障害のある方々を、一人で相手していま す。
障害は誰が悪いわけでもない…仕事だから…と、平常心でいたいのですが、やはり自分も人間ですので、毎日、話も通じず、暴れる、泣きわめくなどを されると、イライラする気持ちもでてきてしまいます。

自分には家族にも障害者がいます。そのため、仕事でも家でも、話も通じず泣きわめく障害者を休みなく相手にすることになり、精神的にかなり疲弊し ています。
体調も悪くなり、笑うこともできなくなりました。
常に肩凝りや頭痛や倦怠感があり、疲れがとれません。

現在職場は、上司から「尻拭いさせて、なんとか自分の外部への体面は保った」
他のメンバーから「あの部署配属が自分でなくてよかった」「ざまあみろ」「ちゃんと面倒見ろ」「自分は自分の仕事だけやればいい」
私自身から「どうして自分だけがこんなに辛い状況なのか」
…というネガティブ感情による黒カルマが大量に発生している気がしています。
職場の雰囲気は「腹の探りあい」のような感じで、決して仲良くありません。

また、私のイライラ感と同じように、障害者の方自身の「うまくいかない」という自分を責めるような気持ち、
同じ建物にいる健常者からの「なんで普通にできないの!」という攻撃的な気持ちや、普通でない行動を嫌がる気持ち、
障害者がなにか失敗したときなどに他の方から私に向けられる「ちゃんと面倒見ろ!」という怒りなど、
ネガティブ感情から引き起こされる黒カルマが、場の全体に渦巻いているイメージなのです。

もう完全に、ネガティブ感情だらけ、魂がお互いに削れていく、黒カルマ発生の悪いループになっているのではないかと…

なんとかしなければと思っているのですが、まず、なにからしたらよいのか、本当にわかりません。
白石様のいう「勘覚」も相当鈍っているのだと思います。

障害に真正面から休みなく向き合うのは本当に難しく、たくさんの方の考え方やいろいろな感情が関わると思います。
誰の責任でもないのに、生まれつき障害を持つ方は、その障害をまわりから嫌がられたりすると、そのネガティブ感情を受け、自身の黒カルマが増えて しまうようなことになってしまうのでしょうか…
そうなら、自分のイライラ感も申し訳なく、なんとかしたいのですが…

白石様から、このような状況でのネガティブ感情のおさえかたや、黒カルマを増やさない工夫など、魂の面からのアドバイスをいただけないでしょう か。

どうぞよろしくお願い致します。

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さて今回はお仕事についてのご相談です。

相談者さんをHさんと呼ばせてもらいますが、Hさんは障害者の方への学習訓練などをおこなう職場で従事なさっているとのこと。しかし、なかなか仕事にアジャストできずに苦労しているようです。

また理不尽に感じている部署移動のことや、まわりから発せられていると思われるネガティブな環境も含め、Hさんは今の仕事に対して、もはや良いイメージを持つことは出来なくなっています。
それこそ身の回りのすべてが自分を葬り去ろうとしているかのような被害的な意識、黒カルマが充満しているであろう職場で毎日を過ごさなければいけない危機感が、仕事のやる気を奪い取っています。

たしかに障害を抱えた方を相手にする仕事は、意思の疎通など、健常者相手の仕事にはない苦労も多いでしょうし、特別な知識も必要かもしれません。
また彼らを受け入れようと歩み寄る気持ちがないと、決して勤まるものではありません。

Hさんもなかなか自分の思うように彼らをコントロールすることが出来ずに、日々イライラが積もってしまっているようですが、じつは今のHさんのように障害者に対する哀れみの思いがあるうちは、上手に彼らとコミュニケーションを取ることは出来ないのです。
彼らを不幸だと、可哀想だと考えてしまううちは、それは彼らを蔑んだ目でみているという証しでもあります。


Hさんには知っておいて欲しいことがあります。

それは、生まれつき精神的に障害をもっている人というのは、実は健常者よりも圧倒的に魂は綺麗だという事実です。
多くの場合、丸々として柔らか、とても健康な状態の魂なのです。

魂の智見でもお伝えしていますが、脳を含めた“肉体”と“魂”は別のものです。
肉体に障害をもって生まれてきたからといって、魂にも障害があるというわけではありません。
むしろ肉体的、精神的な酷使がない状態で過ごしているため、魂の健康状態というのはすこぶる良好で、それは生まれたての赤ん坊のような清らかさ。
肉体に障害があるので、魂が肉体を上手にコントロールできていない現状はありますが、魂の健康度で言えば健常者よりもはるかに健康な魂を持っています。

ですから魂のレベルで話しをさせてもらえば、実はHさんは常にクリーンな魂に囲まれて仕事をしているといえます。
もちろん障害者の方と毎日を過ごしたからといって、Hさんに黒カルマが発せられることはまずありません。
むしろ逆のケース、Hさんが障害者の方の魂を傷つけてしまう可能性のほうが高いくらいです。

おそらく障害者の方の魂は、Hさんのイライラからくる攻撃的な魂について常に危険を察知していると思います。
肉体は拒否できなくても、魂がHさんを拒否するような状態だとすると、なかなか彼らはHさんのコントロール下に入ることはないでしょう。

それは資格が有るとか無いとかの話しではありません。
魂が彼らに拒否されてしまうのです。


そうならない為には、ぜひ彼らに敬意を持って接してほしいと思うのです。

確かに障害者のとる行動というのは、常識的な行動からは逸脱していることも多いでしょう。
一般的な目線から見れば、それは異常と映るかもしれません。
しかしその内には、健常者よりも遥かに良好な魂を持っていて、そしてそれは素直で健全です。
脳を使った会話や行動は苦手かもしれませんが、魂 対 魂の疎通能力は健常者以上に発達しているのです。

つまり彼らとコミュニケーションを深めるには、言葉よりもむしろ魂で会話をする気持ちが大切です。
肉体に障害があるという現状を必要以上に哀れむ必要はありませんし、特別だと考えることもありません。
人間の基幹である魂は、むしろ健常者よりもしっかりとしたものを持っています。
つまり向き合う魂は個と個であり、対等なのです。


今回、Hさんの魂を拝見させていただくと、とても懇親的な女性のようで、他人に対する思いやりはかなり深いものを持っている方です。
また決して弱い魂の持ち主ではなく、元来、努力家で胆力も強いものを持っています。

にもかかわらず、今、これだけネガティブで弱きな感情に包まれてしまっている一番大きな理由としては、今の職場に配属された経緯に納得いっていないことが大きいでしょう。

例えば、配置を決めたその上司が誠意をもってHさんにお願いする姿勢であったなら、おそらくもっと前向きに挑戦する意欲も湧いていたはずです。
しかし今回は、誠意ある手順が踏まれなかった。

そのことに対する理不尽なしくじくたる思いが喉に突き刺さっていて、いつまでたっても自分を納得させることができないのです。
つまり“やらされている感”に支配されています。

ただ幸いなことに、Hさん自身が黒カルマを大量に生み出してしまうほどの強い執念のようなところまでは行っていません。
どこかで冷静に自分をコントロールする客観的な視点を残しています。


でもだからと言って安心していいほどのレベルではありませんので、ぜひこの機会に、考えかたを切り替えてみて欲しいと思うのです。

いま自分がこの仕事を任せられたことをアンラックなことと思わずに、人生において意味のあるものとして考えてみて下さい。

障害者の方を相手にする仕事というのは、生命の根源に直接的に触れるような、上辺では繕うことが出来ない本気の仕事であるからです。
これはある意味、Hさんの人間力が試されるような経験です。

今の仕事を難しい難しいと思い込んでいれば、それはどこまでも難しく、
嫌だ嫌だと思い込んでいれば、それは何をどう切り取っても嫌でしかありません。

彼らに教える仕事を辛い仕事だとは思わずに、彼らと同じ目線に立って魂で会話をしてみましょう。
魂の会話がどういうものなのか解らなくたって構いません。

作業として彼らと接するのではなく、人間対人間として接する気持ちを持つことが出来れば、きっと今まで見えてこなかったものが見えてくるはずです。

今の仕事というのは社会的にもとても意味のある素晴らしい仕事であると断言できますし、辛くとも頑張っているHさんに対し尊敬の念を憶えます。
それゆえ今回の相談はぜひともお答えしたいと思いましたし、逆に今のままではもったいないとも思いました。

もっと誇りを持って取り組んでいい仕事であると思います。



東京より
白石

魂に燃料がなくなると part 2

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さあ今回の魂の智見は前回からの続きです。

魂に燃料がなくなると part 1


~~~~~前回のハイライト~~~~~

人生に意味を見出そうとする行為は、実は魂が燃料不足に陥っているからである。

魂へのエネルギーの供給を遮断してしまう原因は、肉体(脳による思考)にある。

魂が悦ぶことをしてあげることが、魂にとってのエネルギーになる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回は、魂の悦びについて講義を進めたいと思います。


魂にとっての燃料は“悦び”であるという話しをしましたが、この悦びとは一体どのようなものなのでしょうか?

そして、どのようにすれば魂は悦びを感じることが出来るのでしょうか?


実は前回の講義ですでに半分正解を伝えています。
それは、魂の使命について述べた、以下の一文です。

もともと魂にとっては、生きることもそれ自体が使命であり大いなる悦びなんですが、肉体(脳による思考)はときにそれを拒否するのです。


魂の使命と言うと、なんだかとても深くて難解な意味があるように思えてしまいますが、じつは魂自体はそんなに複雑な使命を背負って存在しているわけではありません。

ひとことで言えば、“肉体を生かす”という仕事を淡々とこなしているだけに過ぎないのです。

生命体ひとつひとつに存在し、その礎となる魂は、与えられた肉体がその寿命尽きるまで活かし続けることが仕事。
その仕事を全うすることこそが魂の大きな悦びなのです。
そこには複雑なロジックなどありません、至極シンプルなものです。

しかし肉体というのは非常にワガママなもので、すぐに魂の仕事を邪魔しようとしてしまいます。
ことあるごとに魂の求める“悦び”を奪うことしかしないのです。


魂の仕事をゼンマイ仕掛けのおもちゃのトラックに例えてみましょう。

魂のトラックは荷物を積んで走ることが仕事です。
ゼンマイの推進力でトラックはぐんぐんスピードを上げて行きます。

しかし肉体はそんなトラックの荷台にお構いなしにどんどん荷物を積み込んでいきます。


悲観、傷心、弱気、確執、不和、重圧、鬱積、緊張、間違い、私怨、誹謗、虐め、etc・・・


こうしたネガティブな荷物はトラックの加速をにぶらせ、スピードを落とす要因になります。
前へ進もうとするトラックの悦びを奪うことになるのです。


ではスピードが落ちつつあるトラックを再び、力強く走らすにはどうすればいいのでしょうか?
それには二つの方法があるでしょう。

ひとつは荷台に積んだ邪魔な重い荷物を捨てて、軽量化をはかること。
もうひとつはゼンマイを巻き加えることです。


荷台の荷物を捨ててしまうことについては、前回の人生の智慧のエントリ
捨てる勇気も読んでいただきたいと思いますが、人間はモノだけでなく、見切りを付けたほうが良い過去も重い荷物として背負ってしまう人が多くいます。

人生の負荷を軽くし、前へ進む推進力を妨げないようにすることは、魂の悦びにつながります。
そしてこれは肉体がコントロールできることでもあります。

人間は生きていれば欲も湧きますし、楽もしたくなります。
しかしいかに依存をなくしシンプルに生きることができるか?というところは、魂の仕事には大いに関係している要因です。
ここを意識して過ごすことは、無意識でいるよりも確実に差が出ることなのです。


もうひとつの方法としてゼンマイを巻き加えるということがあります。

魂にとってゼンマイの巻き具合と言うのは、まさに生命力に直結しているといっても過言ではありません。
当然、たくさん巻いてあるほうが強く長く力を生み出し、トラックは速く遠くへ進みます。
もし途中でゼンマイを巻き加えることが出来たら、それは魂にとっては大きな悦びになることでしょう。

しかし結論から言いますと、残念ながら魂のゼンマイを巻き加えることは現状では不可能です。
なぜならこれはある意味 神の領域、寿命にも大いに関係している部分なのです。

魂のゼンマイの巻き具合というものは、個々の魂が持っているポテンシャルの違いとして、我々生命体が生まれる以前から決まっていて、結びついた肉体はそれを受け入れることしか出来ません。
魂の生命力が低いからと言って、自分の意思でゼンマイのネジを巻くようなことは残念がら出来ないのです。

もしそれが出来てしまったら、人間の肉体は不滅になり、永遠の命を手に入れることになります。


では、魂のトラックのスピードを落とさないために自分でコントロールできる方法は、荷台の荷物を減らすことだけなのでしょうか?


いえ、あるのですよ、魂に悦びを与えるもうひとつの方法が

ええ、それについては、もちろん次回へ引っ張りますけどね(笑)



東京より
白石

捨てる勇気

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なかなかモノを捨てることが出来ない人っていますね。


「これはいつか使うことがあるだろう。」

「ぼろぼろだけど愛着があって捨てられない。」

「これが自分の手にあるのには、きっと意味があるはず。」


本当に大切なモノだけでなく、一見するとゴミにしか思えないようなものまで様々な理由をつけて、捨てられない人はどんどん溜め込んでいきます。

もちろん多くのモノは結局まったく使うことなく、ただ場所を占領しているだけです。

本人も解っているのですが、どうしても一度手に入れたものを手放す事に対し、不安的な感情が先行しスパッと捨てることができません。
モノに対する強い執着心や依存心が芽生えてしまっていて、捨てることはまるで自分の存在意義をも捨ててしまうことというような、強い脅迫観念すら覚えてしまうのです。


こういう“捨てられない人”は多くの場合、モノだけにかかわらず、どうでもいい情報も溜め込みますし、過去の思い出や経験すらも切り離せないで溜め込んで行きます。

3ヶ月も経てば忘れてしまうようなゴシップ記事やニュースに、毎日貴重な時間を割いて一喜一憂したり、感情移入したりします。

過去の失敗や栄光を何年も引きずり、新しい未来の構築ができないまま歳を重ねていく人も多くいます。


彼氏に振られたことを忘れられずに、新しい恋に向かう気が起きないだとか、

仕事の失敗でリストラされて、新しい職を探す気になれないだとか、

輝いていたころの自分と今を重ねて、落胆の日々を送っているだとか・・・


でもこんなのは、使わないモノに占領されて、足場を失って動けずにいるだけの乱雑なお部屋の状態のようなものです、まったくナンセンスなのです。


解決方法はひとつだけ、簡単な話しです。
捨てればいいのです。

モノを捨てることが下手な人は、こういう気持ちの切り替えも下手な人が多いのです。
過去を捨てることが出来ません。

とっくに過ぎ去ったことを何とか心のなかで整理しようとしますが、そもそも過去を整理しようとしても状況を変えることなどタイムマシンがないと無理なんですからね(笑)


結果として整理などできずに、ただ積みあがっていくだけです。
そう、全く読まないのに積みあがっていく古本のようにです。


運の良し悪しを決めているのは part4 でも言ったように、捨てられないことはケチなことにも繋がっています。


世の中には“もったいない”という精神が美徳であるという風潮がありますが、この考え自体は基本的に間違いではありません。
モノを大切に扱うことはいいことでしょう。
しかし必要以上にモノや過去に執着してしまう生き方は決して美しいとはいえません。

それでは我々はどのような生き方を目指すべきなのでしょうか?

それは、極力モノを持たない生き方、過去に縛られない、シンプルな生き方こそが美しく完璧な生き方です。


僕の好きなブッダの言葉にこういうのがあります。

『鳥はどこへ行くにも翼しか必要としない。
ただのひとつも荷物も持たずに己だけで飛んでいく。

しかしその姿は完璧である。

人間も同じように、今着ている衣と食器一つあればそれでいいのだ。』


余計なものに縛られた人生を歩むことに対する戒めの言葉でしょう。

なにかに強く依存してしまっている人や、過去に縛られてしまっている人は、思い切ってそれを捨ててしまいましょう。
後ろ髪を引かれながらではなく、気持ちよくスパッと捨ててしまうのです。捨てることを怖がってはいけません。

そうすれば、スカッとした気持ちで、新しい地へ向かって飛び立てます。



バンコクより
白石


※ここのところ帰国準備でワタワタしていてブログさぼりがちでしたが、そこはお許しを
9日からバリに入り、アグン巡礼のあと、半年振りの日本帰国です(笑)
今年の夏は日本で過ごします。

しかしなんか最近日本も暑そうで、気温的にはバンコクと変わらないみたいなんだけど・・・

想う人から思われずに、思わぬ人から想われる ―魂のリプライ―

今回の『魂のリプライ』
ブログ読者の方からいただいた相談や質問に白石がお答えするコーナーです。

今日の相談はこの方です。

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先生、はじめましてKと申します。
是非鑑定内容よろしくお願いいたします。

お願いしたいのは、恋愛についてになります。
思う人から思われずに、思わぬ人から好かれて困ってといったことを繰り返して、気がつけば32歳になってしまいました。

現在も付き合っている人はいなく、自分に自信がないので気になる人を誘えないです。

このままではいけないと思い、たまにお見合いパーティーなどに参加していますが、うまくいきません。
このまま、子供も産めないで、一生独身で過ごすことになるのではないかと不安になっています。


宜しくお願いいたします。

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さて今回は恋愛についてのご相談です。

Kさんは恋愛に見放されたまま32歳となり、今は孤独な将来に対して恐怖心が湧き上がってきています。

Kさんがなぜ恋愛に見放されてしまっているのかは後ほど詳しくお伝えしますが、今回のKさんのような恋愛問題で悩んでいる人も多いでしょうから、まずは自分に自信がないという部分、特にルックスと恋愛観についての僕なりの考察をレクチャーしてみたいと思います。


よく実年齢=恋人いない歴みたいな人も多くいます。

でも動物界の自然の摂理のなかで考えれば、何十年も生きていてまともに付き合った人が一人もいないというのは通常はありえない話しです。

24時間365日を真っ暗な穴のなかで過ごすモグラでさえ、ペアを見つけることができるのです(笑)


いったいなぜ?人間には、恋愛に見放されてしまう人がいるのでしょうか?


恋愛に至らない理由をよくルックスや体型などのせいにする人もいますが、たしかに容姿が美しい人は、そうでない人よりも最初の入り口としてチャンスが多いのは事実です。
自然界でも羽の美しさですとか、模様の綺麗さ、角や体の大きさなど、ルックスで異性を惹きつける動物や昆虫はいます。

しかし人間は動物や昆虫と違い、ルックスなど単的な魅力ばかりに注視してペアを選ぶ人ばかりではありません。

人の好みと言うのは本当に人それぞれであって、痩せている人を好きな人もいれば、太っている人を好きな人もいます。
若い子を好きな人がいれば、歳上でないと嫌だと言う人もいるでしょう。

むしろルックスの良い人は浮気されるのが心配だから遠慮したいという人も結構いますし、性格第一、優しい人でないと駄目だという人も多いことでしょう。

そう考えると人間は野生の動物などよりも、よっぽど恋愛に対する間口は広いのです。


また恋愛のゴールを結婚とするならば、そこに至るまでにはルックスだけではカバーしきれない問題もさまざま見えてきます。

見た目はタイプだったので付き合ってはみたけれど、どうも性格が全く合わないですとか、価値観が違いすぎるですとか、実は浮気性だったりですとか、見えなかった家族や経済的な問題があったりですとか、、、
むしろすべてがパーフェクトである方が少ないくらいかもしれません。

つまりルックスが良ければ結婚まで順調に進むということはまったくなくて、あくまでスタートダッシュが決まりやすいというくらいのメリットしかありません。

結婚生活は100メートル走ではなくマラソンのような長距離走ですから、むしろ大切なのは持久的な魅力が自分にあるかどうか?
一緒にいて安心できる、癒される、楽しめる、こういう息の長く続く魅力が自分にあるかどうかの方が恋愛にはよっぽど重要なことなのです。


自分はルックスが悪いからモテないと思い込んでいる人は、恋愛に対する視点が短絡的で野生動物に近いのです(笑)
誰もがルックス基準だと思い込んでいて、印象的な好き嫌いに対し、相手ではなく自分でその判定をしてしまう。

他人が自分をどう見ているかではなく、自分が自分をどう見ているか?というところに縛られてしまい、最初から可能性が無いものと決め付けてしまいます。


本当は多くの異性が望むような優しさや思いやりを持っているのに、それをまったく外に見せることなく仕舞い込んだままだったり、美味しい料理をつくることが出来るのにそれを発揮することが出来ずにいたり、

ルックスの良し悪しが恋愛のすべてだと思い込んでしまっている人は、自分を最も輝かせることができる“魅力的な武器”を発揮できる機会作りにこそ力を入れなければなりません。

ルックスに自信がないのなら、何に自信があるのか?

その部分を相手にアピールできる機会をどうすれば得られるのか?

人が恋に落ちるウイークポイントは一箇所ではない、ということを頭に入れて行動してみることをお勧めします。


さて、そこで話しを今回の相談者のKさんに戻したいと思います。

なぜKさんは恋愛にめぐまれないまま、年齢を重ねてしまったのでしょうか?


『好きな人からは好かれずに、どうでもいい人からは好かれる。』


ここにKさんの恋愛問題をひも解くカギがありそうです。

すくなくともKさんのことを好きになる男性もいるわけですから、Kさんはそれなりに自分の魅力を外に向けてアピールする事は出来ているのでしょう。
ただ問題は、それがうまく意中の相手とマッチしないだけです。


Kさんの恋愛がなぜ上手くいかないのかをリーディングしてみました。
そして魂の視点で見てみると、実はKさんの魂は他人と同調することに対して、非常に特異な動きをしてしまう悪癖のようなものがあるということが解ります。

恋愛に限らずですが、他人とのコミュニケーションを取る場合、そこには必ず魂の同調があります。

魂の同調とは、簡単に言えば周波数が合うかどうかということです。

魂には一定の波長があり、その波長の同調度合いによって、他人に対して心地よさや不快さを憶えます。

初対面でまだ会話もしていないのに、特に外見上の魅力があるわけでもないのに、なぜか心惹かれる人に会うことがあると思います。

「なんかこの人と気が合いそう」

「この人、人間的な魅力があるなぁ」

こう自分が思っている時と言うのは、実は相手も同じように感じていることが多いのです。

反対に何が悪いわけではないけれど、「なんだかこの人とは気が合わないだろうな」などと感じてしまう人もいます。

これは魂の同調度合いによって、シンクロする人と反発してしまう人がいるわけです。


まあこのあたりは、今後の『魂の智見』にて取り上げて行きますが、
Kさんの場合は無意識に波長を変化させてしまう魂の癖があり、それが意中の人に対して働いてしまうという問題があるのです。

もうすこし詳しく説明すると、魂が同調した気の合いそうな人に対して、その同調を長く続ける事ができなくなってしまう。
途中で自分から波長を変えてしまうことで、相手はKさんに対してシンパシーを得られなくなるのです。

なぜこのような問題が起こるのかというと、実はそうさせているのは魂自身ではなく、肉体、もっと言えば脳による思考です。

前回のエントリ、『魂に燃料がなくなると part 1』でもすこし触れましたが、魂の働きと言うものは実に素直で真っ直ぐ、シンプルなものです。
しかし肉体による行動、とりわけ脳による思考は、ことあるごとに魂の働きを阻害する指令を出してくるのです。
この魂の働きを邪魔する思考が強力な人ほど、魂の働きは悪くなっていきます。

Kさんの場合も、魂の波長を狂わしてしまったり遮断してしまう原因となる思考が存在していて、それが出てしまうと、良いと思った人とは同調できずに、まったく意にしていない人に対して同調してしまい好かれてしまう、というようなことが起こりやすいのです。


まあ原因は解っているので、これを治すことは実はそう難しいことではありません。
ようは悪玉となる思考のコントロールが出来ればいいのです。

自分で出来る思考コントロール法については、今後の『魂の智見』で取り上げて行きますから勉強していきましょう。


ルックスに対する間違った捉えかたと、魂の同調。


特に悪癖を治すことができれば、良いと思える人とも自然に同調できるようになっていくはずですから、今後、恋愛チャンスは飛躍的に上がるはずです。

今回はKさんの魂をリーディングしたついでに特別に遠隔同調しておきましたので、今後二ヶ月ほどは魂も今までよりも素直な働きをしやすくなっています。
今年の夏は恋愛チャンスと思って行動してみるといいでしょう。



バンコクより
白石

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『魂のリプライ』では白石に人生相談や質問をしてみたい方を募集しています!

◆内容は恋愛・仕事・家族の相談、世の中の疑問に思うこと、どんなものでも構いませんが、一部の人しか理解できないような相談や、個人が特定されてしまうような相談はご遠慮ください。

◆人間関係などの相談で感情などを知りたい場合は、対象者の住所(解るところまでで結構です)・性別・生年月日・お名前をご記入下さい。これらはもちろん公開はしません。
必要ならばちょっとだけ魂に触れさせて貰いリーディングすることもあります。

◆相談・質問は送って下さっても、選ばれない場合もありますのでご了承ください。
選ばれた相談・質問には白石がこのブログでお答えします。



相談・質問の送り先******

 volforce@gmail.com

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smiling again